探すとは受け容れぬこと 身の丈の影踏まぬよう光目指して
浜田えみな
* * *
禅タロットカードを引いていると、似ている風景が登場します。
昨日の「愚者」のカードの下の道は、もしかしたら、この「トラベリング」のカードの道なのではないでしょうか。
上記の31文字は、「種」と対で作ったものです。
咲くことは受け入れること 目の前の石垣さえもミカタにつけて
探すとは受け容れぬこと 身の丈の影踏まぬよう光目指して
なぜ、このように詠んだかというと、合わせて「引き延ばすこと」というカードが出たからです。
「勇気」のカードのメッセージが「ここで咲くこと」だとしたら、「トラベリング」は真逆です。
何を引き延ばしているのか?
そう思ったとき、「ここで咲くこと」や、自分の種の資質を認めることを先延ばしにしていると感じたのです。
すると、今まで、わりとよい意味に受けとめていた「トラベリング」のカードは、逃避の旅に観えました。
太陽に向かっている限り、影は後ろにしかできません。
自分の(身の丈の)影を知ることから逃げる旅……。
それは、ただ、元に戻ってくる旅なんです。
だから、「引き延ばすこと」
光の方向を目指すって、素晴らしいことのようでいて、自分の影を見ないですむ方法なんだと言われたようで、グッサリきました。
その翌日に引いたのが「愚者」のカードです。
その手には、自分を受け入れ、咲くことを受け入れ、置かれた環境をミカタにして、その場所で咲いた「勇気の花」が、あっさり地面から離れています。
咲いてしまったら、自由なんです。
どこへ行っても、いいんです。
新しい世界がひらけるのです。
そう思ったら、「トラベリング」のカードは、もう「逃避」には見えません。
アドベンチャー(笑)
これが、カードの「表」と「裏」ということなのかもしれません。
今の私にとって、「トラベリング」のカードの表は〈アドベンチャー〉で、裏は〈逃避〉
カードって、本当に不思議。
一緒に出るカードで、いろんな顔を見せてくれます。
光と影が表と裏であるように。
それは、私が投影される側面。
だから、毎日、変わっていきます。
