花は咲く そして始まるアドベンチャー 愛でられ愉しみ証を(あかし)を生きる
浜田えみな
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昨日、禅タロットの「勇気」というカードを引きました。
日の光も水も潤沢に降り注ぐ、やわらかい土の上ではなく、硬い石垣の隙間に落ちた種が、さまざまな条件の加護の中で、光と水を得て芽をのばし、花を咲かせます。
困難や過酷と思われる中にあっても、それゆえに風に飛ばされることも、雨に流されることもないことや、壁だと思っていたものに自分が守られていたことに、開花の瞬間、種は気づくかもしれません。
「咲く」ということを知り、信じ、受け入れたら、どんな状況にあっても、あとは咲くだけです。
……そんなことを思っていたら、今日、「愚者」というカードが現れました。
〈その手に摘まれているのは、もしや昨日の「勇気」の花!!〉
〈石垣の下からやっとの思いで開花したのに、一瞬で摘まれた!!〉
今まで、このカードを見て、そんなふうに思ったことはなかったのですが、あまりに象徴的すぎて、岩肌を跳ぶようにステップする「愚者」の手の花から目が離せずにいます。
花の幸福とはなんでしょう?
きれいに咲いた様子を愛でてもらうこと?
誰の目につかずとも、虫たちに受粉してもらって、次世代の種が育むこと?
カードでは詳細がわかりませんが、たとえば花は、手折られたのではなく、根っこからすくいとってもらって、別の場所に植え替えられるのかもしれません。
石垣を離れて、新たな場所へと。
それは、めくるめくアドベンチャーです。
私たちはよく、自分を種にたとえたり、願いが叶うことを「花が咲く」と言ったりしますが、「咲くことがゴールではない」ことを、今日のカードは私に伝えてくれます。
咲いたあと。
それが、ひとりひとりの腕のふるいどころであり、オリジナリティであり、生まれてきた証なんだと、あらためて、感じています。
だって、咲くことは決まっているのですから。
どう咲くか。歓び、愉しみ、どう散るか。
その冒険を楽しむために、生まれてきたのです。
