ただ、
明らかにしたいことを
問うだけ。


一枚、一枚、
心のひだをめくるように。


隠したことも、
とりつくろったことも、
きれいごとにしたことも、
忘れたことも。


すみずみまで映す
鏡のように。

*    *    *


昨日は、13の月の暦では、 「黄色い自己存在の戦士」 の日。


「自己存在」の日は、「電気」の日に明らかになった〈自分が力いっぱい取り組めることで、自分に何ができるのか? どんなことをするのか?〉を決める日。


何十年もぐるぐると繰り返していることや、心の奥深い場所で望んでいる境地を、たった十枚のカードで見せてくれた禅タロット。


思考は、もういらないのだと、頭部をロータスの花に変えて水のクイーンの姿で、宇宙に手をさしのべている水のクイーン。


*    *    *


「何がしたいのか?」


このことを考えるとき、純粋に「したいこと」にフォーカスできているだろうか?


「何がしたいのか?」ではなく、


「何ができるのか?」
「何で賞賛を得られるか?」
「何で生きる糧を得られるか?」


「それは人から評価を受けるのか?」
「それは人の役に立つのか?」
「それは人が喜ぶものなのか?」


「かっこ悪くないのか?」


そんなことにシフトしている。
だから、苦しい。


先生は、ズバリおっしゃった。


「それをやって、人から認められるかどうか、賞賛を得られるかどうかではなく、自分がしたいことをすればいいんじゃないの。だって、お金や評価ではなく、“自分がやりたいことができたこと”が、ご褒美」


その言葉を聴いて、ハッとした。


(自分がやりたいことができたことが、ご褒美!)


そうだ。そのことがご褒美なんだ。
そのことだけを感謝すればいい、喜べばいい。


でも、
そうではなかったから、苦しかった。

事実からも逃げなければいけなかったし、才能のなさにおびえなければならなかった。
自分の持っているギフトを活かせなかった。

何かを証明するためだったり、自分を認めてもらうためだったり。


(そうじゃなかったんだ!)
(まだ、ぜんぜん、準備ができていない)
(自分の心の中が整理整頓できていない)


だから、観に行こうと思った。

今、立っている心の淵の入口から。
まだ行ったことのない領域へ。


そのツールとして、禅タロットを使ってみようと思った。


明らかにしたいことを問うだけ。
一枚、一枚、心のひだをめくるように。
隠したことも、とりつくろったことも、きれいごとにしたことも、忘れたことも。


すみずみまで映す鏡のように。


信頼できる先生となら、その旅は怖くないと思った。


浜田えみな


KIN56 黄色い自己存在の戦士 の日
形 明らかにする 測る
知性 問う 大胆さ