みみより日和


笑いそうになった。
空気さえ重かったのだ。
吹き出しそうになった。
その圧から解き放たれてみて。


腕も足も空回りしそうに軽かった。


なんだ。
思っているより、生きにくかったんだ。
そうか。
思っているより、タフだったんだ。


*    *    *


「今、どのあたりですか?」

と尋ねようと思ったら、「橿原」という表示が見えた。
そのうちに、矢印の先に「天川」という文字が見えるようになってきた。
矢印の先が何キロくらいなのか、何分くらいなのか、初めてだから予測もつかない。

だけど、道は続いている。


だんだん山の気配になってきて、四国のおばあちゃんの家に行くときみたいな道になってきて、川と並ぶように走っていたら、すうっと車が止まって、そうしたらそこは、天河神社の駐車場だった。
ほかには人影もなくて、表示がなかったら、ただの空き地みたいだった。


「ここが?」


車を降りたら……


「あれ……」


それは、今まで、感じたことのない気配だった。
いや、「気配」というのではない。

軽さ?


(軽い軽い軽い)


頭の中がその言葉で埋め尽くされて、何度も何度も点滅してリフレインして……。
その表現しか浮かんでこなかった。

そして……

そのときまで、空気の重さなど感じたことがなかったことに気づいた。


疲れていて、自分のからだが重いことはある。
足が重い。腕が重い。腰がだるい……。
ヨガやストレッチで、からだが軽くなることはある。
でも、「空気」に圧されているなどと、思ったことはなかった。


「重かったんだ」


とわかった。

車から降りた時、軽いとわかったから。
地球の重力はどこでも同じはずなのに、自分が舞い上がりそうに軽いと感じたから。


天川以外の場所では、頭に、肩に、腕に、足に、均等に圧力がかかっていて、その圧の中をあえぐように生きていたのだとわかった。


水の神様のいる場所ともちがう、山の神様のいる場所ともちがう、天川の気配。
「軽い」としか表現できないボキャブラリーの貧困さがもどかしくて、参拝を目前にして、駐車場のトイレに行ったりウロウロしているさなか、別の表現ができないものかと、ずっと考えていた。


すごくおかしなたとえだけれど、そのときに思ったのは、天ぷらの比喩だった。


ふだん住んでいる世界は、安物の油をくぐらせた野菜の天ぷらの冷めて油のまわった衣。
天川の世界は、最高級の料理長の手にかかった、究極の植物油でからりと揚げた、羽のように風のように、さくりと溶ける揚げたての極上エビ天の衣。


重くない。べたつかない。もたれない。
さくさく。ほろほろ。


天川の地は、軽い。空気が軽い。
そのことに本当に驚いた。

もっと、重い、磁場がうずまくような、マグネティックな気配だと思っていたのだ。
こんな、羽のような気配の場所で、訪れる人を拒むなんてことは、ぜったいにないと思った。


笑いそうになった。
空気さえ重かったのだ。
吹き出しそうになった。
その圧から解き放たれてみて。


腕も足も空回りしそうに軽かった。


なんだ。
思っているより、生きにくかったんだ。
そうか。
思っているより、タフだったんだ。


天川の地は、きっと天に近い。


*    *    *


みみより日和


天河神社の一の鳥居は赤だった。


みみより日和


赤い橋も見える。
その向こうには、二の鳥居と石段。


手水場の竜を見て、また目がとまった。


(笑ってる?)


おじいさんの竜!!


まゆげもまつげも白髪まじりで、仙人みたいで、ふぐふぐと笑っていた。
とにかく穏やかで、どこまでも優しい表情だった。


何を諭すわけでも、戒めるわけでも、告げるわけでもなく、ただ、白髪まじりのまつげを伏せて、ふぐふぐふぉあふぉあと笑っているのだった。


みみより日和


「この竜、おじいさんに見えませんか?」


と尋ねてみたかったけれど、観る人によって違う表情に映るのかもしれないと思って、聞けなかった。

ちなみに。そのとぼけたユーモラスさとは裏腹に、お水をいただこうと、ひしゃくをさし入れたら、ものすごく強い水の勢いに弾かれ、水しぶきがあがるばかりで少しも底に残らない。
あわてて、左側の細い流れから、清めのお水をいただいた。


(来たのだなあ)



みみより日和


石段を登りつめたら、とうとう。


拝殿に人の姿はなかった。
わたしたちの貸切だった。


(ほんとうに、ここが?)


天河神社の五十鈴だ。


みみより日和


見上げると、二つ重なりあっていた。


jyunpyさんが、


「ここの鈴は鳴らし方が特殊なんです」 と教えてくださった。


普通の神社のように、鈴緒を前後に揺さぶって鳴らすのではないそうだ。


鳴らし方の手順を示した張り紙もある。
日本語なので、読めばわかる。原理も理解できる。
でも、実際にやってみると、ぜんぜん鳴らないのだ!

ただ、鈴緒がまわるだけで、五十鈴は揺れもしない。

鈴緒も重いし、ずっと上を見上げていると、首も痛くて、へとへとになった。

一度、休憩して、再チャレンジ。
やっとのことで、ほんの少しかすったような音がして、


(こういう音では、ないのだろうな……)


と思いつつ、たぶん、今は鳴らないのだとわかって、二礼二拍手……


目をとじる。


山下弘司先生に「名前のことだま」を教えていただくようになってから、柏手を打ったあとは、何も想わず「す」の状態を心がけている。


「す」というのは、「主(す)」であり、中心のこと。心の中心が何もなく、すっきりしているようすを表している。

「鈴(すず)」の音は祓い。


心の中心から邪気や煩悩が祓われて「すっきり」した場所に、神様からの使命が入ってくるという。
もちろん、神様からの使命をいただけるまでには、自分の魂の成長が必要だから、私など、まだまだだ。

というわけで、いつもどおり、天河の神様の前でも、「す」になろうとした。

でも、だめだった。


ざわざわざあざあごうごう。


柏手を打ち、目を閉じたとたん、胸の入口めがけて、ものすごい勢いでせめぎあがろうとする流れが、あとからあとから押し寄せてきて止まらない。

気持ちを鎮めようと思っても、どんどんあふれてくる。
それが、胸のところまできてぶつかり、ぐるぐる循環している。


胸に「すっきり」空いた場所など、作りようがないのだった。
怒涛のように内から外へあふれだそうとして、押し寄せてくる流れ。


(まず、これを出さないとダメなんだな)


そう思った。

目をとじている間、鎮めても鎮めてもおさまらない動きに、半ば観念して、悟った。
具体的に何を出せばいいのかはわからなかったけれど、とにかく、出さないことには受け取れない。

神様の前で、そのことが、わかった。

鈴が鳴らないのも、「す」になれないのも。


*    *    *


参拝をしたあと、しばらく、みんなで拝殿に腰掛けていた。
三人きりだった。


心地よい風が吹き、うぐいすの声がする。

ひたひたと満たされ、あふれて、しみとおっていく思いは、


(そのままでいい)


というものだった。


(なにもしなくていい。そのままで、いいんだ)


自分の中から何かを出すという能動的なエネルギーとは、相反するようにも思えるその想いは、だけど、ちっとも理不尽ではなかった。


そのままでいて、放たれていくものがあると、ずっと前から知っていた。
意識することなく行われている、おだやかな呼吸のように。


天河神社の気配は、どこまでも心地よく、


(そのままでいい)
(なにもしなくていい)


と、たえまなく打ち寄せてきた。


なにもしなくても何かが生まれていくような気持ちになれた。

おなかの底があたたかくなって、なんの心配もいらないような、おおらかな気分に包まれた。

魔法のように。


そのくせ、ちゃんと、わかっていた。

今日は、ちがうのだ と。


呼ばれた人しか行けないとか、時機が来るまで行けないというのは、天川の地を踏むことでも、天河神社の鳥居をくぐることでも、御神前の鈴を鳴らすことでもないと思った。


天河神社の神様は、人を選んだり、呼びよせたり、時機を図ったり、そんな采配を振るうことなどないのではないだろうか。


いつ訪れてもいいし、何度来てもいい。
好きなときに御挨拶して、御神前の空気に触れていい。


もしも、たどりつけないことがあるのだとしたら、それは、神様が守ってくださったのではないだろうか。


鳥居の内は神域なので、邪悪なものは入れない。
だけど、その外は違う。
結界の外には、いろんなエネルギーが集まってくる。

訪れる人の心身の状態によっては、結界の外によどむ悪いものが憑いてしまうこともあるという。
だから、たどりつけなかったという人は、そうならないように、神様が、神域の外に渦巻く邪悪なものから遠ざけて、守ってくださっていたのではないだろうか。

それほどまでに、天川の空気は、優しかった。


いつでも行ける。何度でも行ける。
だけど、「そのとき」かどうかは、必ずわかる。


心をひらいて、受け取る用意ができているか。
そのことを自分の真実とする覚悟ができるかどうか。
今、「そのとき」かどうか。


それは、自分自身が決めるのだ。
決めた人は、変わっていく。


わたしは、決められなかった。
「そのままでいい」というメッセージを降るように浴びて。
「そのままでいよう」と嬉しくなって。

「次に来るときは」と誓った。

体のいい先延ばしなのだろう。


やれやれ。

さてさて。


*    *    *


天河神社のおみくじは、二種類ある。


みみより日和


「古代言霊御託宣」と書かれてあるものは、和歌と御神託がくずした筆文字で書かれてあり、言い回しも古めかしく、一読しただけでは意味がつかみにくいことがある。(いや、ほとんど判読不能かも)
もう一つは、現代風のおみくじで、現代語で書かれているので、すぐに意味がわかる。

宮司さんがいらっしゃれば、和歌の意味なども教えてくださるそうだ。

やはり、ここまで来たからには、「古代言霊御託宣」を引こう! と思う浜田。
意味がわからなかった場合の安全策ということで、二種類のおみくじを引いた同行のTさん。

彼女は大正解。
わたしは、「古代言霊」にしたものの、半分くらいしか意味がわからなかった(汗)


ここで、junpyさんが、ツアー特典の一つを、おごそかに提案してくださった。


引いたおみくじは、この場所では開封せず、かばんにしまう。
天河神社を後にして、禊殿へと向かう。
禊殿を参拝したあと、その近くのレストコーナーで、カードを一枚引く。
リーディングのあと、おみくじを取りだして読んでみると……
不思議と内容がリンクしているのだそうだ。


おみくじ+カードリーディング! 


しかも天川の地で!


なんてお楽しみ満載なツアーなのでしょう!!!


(つづく)


*    *    *


次回以降、


・「禊殿」とカードリーディング・そしておみくじ
・jyunpyさんのツアーですっかり人気者になった「大門」でのランチタイム
・素敵なオーナーご夫妻との時間、天然水晶、ごろごろ水
・みたらい渓谷での森林浴と浄化のシャワーのライブ中継
・帰路で立ち寄る「だんご庄」のだんごと、フルーツパーラーでのクリームあんみつ


などなど、ツアーを盛り上げる至れり尽くせりのおもてなしの数々を(これまでのツアー参加者の皆様のブログでも、魅力あふれる紹介がされていますが)、わたしも「浜田節」でつづってみたいと思います。


ちなみに、今回のツアーのオープニングシーン(京橋での待ちあわせとツアー参加者の顔合わせ)を、いったい、いつ挿入しようかと(苦笑)

レポートを終えるまでには、どこかに入れます。
突然、回想シーンが始まるという「ベタな展開」が、いきなり訪れると思いますが、


(きたきた! 浜田さんは、こういうのしたいんだなー しゃーないなーもう)


と思って、あたたかい心で読んでやってください。

同行してくださったTさんとは、不思議なつながりがありました(^^)


浜田えみな