みみより日和


特に何かが変わったわけではない。


ものすごく嬉しいことや、
楽しいことがあったわけでもない。
ほめられたわけでも、
評価されたわけでもないのに、


自分がブレない。


そのままでいいとわかったら、
あふれてくる。
やらないでおこうと思っても、
止まらない。


*    *    *


本来の自分を取り戻したら、人は何をするだろう?


表現だ。


表現する喜び。表現を認めてもらえる喜び。受け取ってもらえる喜び。


人は表現する。
人は表現を欲する。


*    *    *


誰もが「あるべき姿」を「磁気的身体」としてまとい、生きた設計図として、常に参照しながら自動調整しているという。


赤い花の種からは赤い花が咲く。

ただ、その場所に根を張り、光を浴び、水を吸い上げ、呼吸するだけで。


黄色い土に植え、黄色い光を浴びせ、黄色い水をやり、願い続けたとしても、黄色い花は咲かない。
植物であれば自明のことが、自分のことになると何一つ見えない。


(何もしなくても完璧)


いつから、そう思えなくなっていくのだろう?


自分を好きになるためには、今の自分ではダメだと思い、別の自分になれたら、その自分を好きになれると思い、徒労としか思えない努力する。

赤い花として生まれたのに、黄色い光を浴びにいき、黄色い水を吸い上げ、黄色い花を咲かせようと無茶をする。

生まれもつ設計図との差が、どんどん開いていくから、保たれるはずの恒常性が狂い、行き場のないオーバーエネルギーが生まれる。

本来ならば、すみずみにまで行き渡り、成長のために満ち満ちていく力に過不足が生まれる。
それが、ついには痛みや病となって、警鐘を鳴らす。


(痛みはどこからくるのか?)


根幹が、「本来の自分」と、「なりたい自分」とのズレから生じているSOSだとは気づかず、症状だけを見て、排除しようとする。
おぼれかけ、もがいて浮き上がり助けを求めているものを、出してはならないと、さらにおしこめ、沈めていくように。


悪性のマグマのように蓄積されていく負のエネルギー。


そのツケは、いつ払うのか?
大噴火するまで、ためこみ続けるのか?


磁気的身体と肉体的身体に生じたズレがなくなれば、滞りやオーバーエネルギーが解消され、「本来の姿に戻る」というのが、SBAの理論だ。


(ありのまま)
(あるがまま)
(なにもしない)


本来の自分は、設計図どおり。
健康で、健全で、のびやかで、すこやかだ。


(自分のままでいいと知る)


このことが、どれほどのギフトなのかは、体験すればわかる。


特に何かが変わったわけではない。
ものすごく嬉しいことや、楽しいことがあったわけでもない。
ほめられたわけでも、評価されたわけでもないのに、


自分がブレない。


「ここにいていい」と許可され続け、「あなたのままでいていい」と信頼され続け、全てが創造につながり、天とも地ともつながっている感覚。


ただ、呼吸をして、存在する。


必要なものを受け取り、不要なものを返し、あふれたものをそそいでいく循環。
「自分のいる場所が根を張る場所」だと、わかり続ける肯定感。


それが、どれほど、安心と安全でゆるぎのない気持ちで、心と身体を満たしてくれることなのか。


感謝と喜び。
そこから生まれてくるもの。


創造する喜び。
必要とされる喜び。


(ちがう自分にならなくていいとわかったら、能力が、次々に引き出されてくる)


*    *    *


こんなことは、いろんな人がいろんなところで提唱している。
既にわかっている人も多いと思う。
聞き飽きたという人もいるだろう。
わたしもそうだ。言葉ではわかっていた。


「自分を好きになる」というのは、
がんばって今とちがうレベルになった自分を好きになるのではなく、
「変えたいと思って捨ててきた部分を見直して、それが宝物だと気づくこと」だ。


宣言することができる。


だからこそ、「ありのままの自分」でいることが、「設計図」だとわかって、嬉しかった。
設計図は完全なるもの。

「最高の姿」が、常に参照する磁気的身体として、わたしたちに与えられている。


(だから、そのままでいい)


このことが、信じられた。


ひとつぶの種に未来の姿が約束されているように。


がんばることが不調を生むことも、納得できた。
がんばってはいけないのではない。
自分でない何かになろうとすることがダメなのだ。


(…………)


そのままでいいとわかったら、あふれてくる。
やらないでおこうと思っても、止まらない。

本来の自分を取り戻したら、人は何をするのだろう?


表現だ。
創造だ。


だから、SBAと表現の会は、どちらを欠くこともできない両輪だと思う。
表現が生み出される場所と、SBAがリンクしている場所は同じだからだ。
表現の会を四回、SBAセミナーを三回、嬉々として受講し、レポートを書いてきて、思うのだから間違いない。


(記録したノートを開く)


どちらのメモだとしても通じるくらい、先生が伝えている本質は同じだ。


ある程度、表現活動をしている人なら、気づいていると思う。
続けるために必要なものが技術などではないと。


(表現者として作品を生み出していくために必要なものが何なのか?)


SBAは、その調整をも行っている。
そう感じている。


(表現者のためのSBA)


表現も創造も、プロだけのものじゃない。


感じること。受け取ること。あふれていくこと。わかちあうこと。つながること。


*    *    *

次回は、いつだろう?
場所は大阪とは限らない。


次は、あなたの住む町。


村松先生に出会うまで、わたしにとって、講座は「開催されたら行くもの」だった。
開催される日を指をくわえて、待っているだけだった。
だけど、やってほしいと思ったら、自分からお願いすればいいのだとわかった。


やると決まったら、セミナーの開催について、手取り足取り教えてくれる人が現れる。
苦手なことは手伝ってくれる人が現れる


「無理」とか「できない」って、いったい、どういうことだろう?


(無理だと思われたくない)
(できないと思われたくない)
(否定されたくない)


そういうことなんだと思う。


誰かにお願いしたり、頼ったりすることを自然に受け取れるようになったら、いつしか、お願いされたり、頼られたりしている。


だから、だいじょうぶ。

ぜひ、ご自身の住む町に、村松先生を。
「本来の自分にスライドしていく醍醐味」を体感してください。


(ありのまま)
(あるがまま)
(なにもしない)


本来の自分は、ただ、設計図どおりだと、村松先生は教えてくれた。


書いたものでは、とうてい表現しきれないものが、ライブには渦巻いている。

受講生が引き寄せあって集まっていることも。
それぞれが必要とされて存在していることも。
出会いが大きな意味を持つことも。


(軌道上で重なる)


それは偶然などではないのです。


SBAオープンセミナー大阪(2013.4.13) → レポート記事
お茶とお散歩とサムシングの会(2013.4.14) → レポート記事


わたしにとっての「脱皮」だ。

今後、いくつ、どんなセミナーを重ねたとしても、この会のことは忘れない。
本当にありがとうございました(^^)


(感じること。受け取ること。あふれていくこと。わかちあうこと。つながること)


なくしたくない。なくさない。守りつづけたい。


ひとつぶの種に約束された未来のように。


浜田えみな


SBAについてのご質問・お問い合わせ・セミナー開催の要望等は → 村松恒平氏 SBA象徴的身体調整