みみより日和


SBAはシンボリックなワークだ。


セミナーは
参加した人だけが受け取るギフトが渦巻く「場」


引き寄せあって、理由があって、
集う人たち。


*    *    *


村松恒平先生のセミナーを受講して感じた浜田の想いです。

SBAの詳細については、村松先生のサイトやブログ、セミナー等でご確認ください。

長文なので、目次を掲載します。


◆変容
◆帰着点
◆シンクロニシティ
◆誰に必要なのか
◆設計図
◆磁気的身体
◆セミナーは生きている
◆答
◆つかえる つながる つたえる
◆点・線・辺・面
◆表現の会へ


*    *    *


◆変容


SBAオープンセミナー大阪が終了した。
前回のセミナーから7ヶ月。


「SBAは脱皮した」 


そういう感がある。
受講生の顔ぶれも。ニーズも。
セミナーを開催する目的も。

そういう全てが、脱皮して、くるりと生まれたてになった。

今は静かに次の変容を待っている。


今度は何が起こるだろう? 誰が触媒となるのだろう?


SBAはシンボリックなワークだ。生きた身体に干渉する。
セミナーは参加した人だけが受け取るギフトが渦巻く場。
引き寄せあって、理由があって、その場に集う人たち。


(なぜ、このメンバーなのか?)


必要だから、だ。

その人にしか抜けないねじを、それぞれが持っていて、目をとじてゆだねている人に干渉する。
鹿児島の人。大分の人。岡山の人。兵庫の人。大阪の人。
さまざまな土地のエネルギーを持ち、その人しか持たない指を持ち、その人にしか抜けないねじを抜く。抜いてもらう。

その日、その時しか、受け取れないギフト。


◆帰着点


(セミナーを開催する意義がわかった)


これまで、表現の会は3回、SBAは2回、大阪で開催した。

表現の会については、毎回、レポートを公開したけれど、SBAはシークレットにしていた。

わたしが書くと「実況中継」になってしまい、まるでその場にいるみたいに全てがわかってしまうからだ。

もちろん、いくら克明に書いたとしても、実際のライブ感とは別物なので、「表現の会」のレポートを書くことにためらいはなかったけれど、SBAの手技や概論を公開することは、はばかられた。

受講料を払い、交通費や宿泊代を負担し、時間を工面して学びに来てくれた人や、今後もセミナーを続ける村松先生にさしさわりがあると思ったのだ。


ところが。
SBAサイトが起ちあがってみれば、村松先生は大盤振る舞い。

セミナーでレクチャーしていただいたことは、さらにわかりやすく的確な比喩でオープンになっているし、「心が大事」のブログでは、セミナーの要と思っていた手技までが公開されている。


(えええっ! こんなこと書いていいんですか!?)


目を疑った。
セミナーでしか伝えないと思っていたことが、無料で不特定多数の人にオープンにされている。
丁寧に読みこめば、自分でやってみることは可能だろう。
サイトとブログの両方を読めば、セミナーの講義より詳しいかもしれない。
期待に胸をふくらませて参加した人は、がっかりするかもしれない。
東京でSBAセミナーの受講生が減ったのは、行かなくてもわかると感じた人が多いからではないだろうか? 


さらに。
昨年1年間かけて、有料メールマガジン「GOLD2012」で発信された〈SBA誕生の秘話〉ともいえる膨大な概論も、まとめて書籍化されるという(!)。


だとしたら、SBAは秘伝でも口伝でもない。
セミナーでしか聴けない理論でもない。


(では、セミナーを開催する理由は?)
(セミナーでしか受け取れないものは?)


その答を見極めようと思っていた。


◆シンクロニシティ


その日は地震で始まった。
阪神淡路大震災を髣髴とさせる時間帯だ。
脳裏に、さまざまな思いが巡った。


*    *    *


SBAの告知のため、その2日前のブログに、こんなふうに書いた。


次の開催はいつかわからない。
明日はどうなるかわからない。


自分の身を自分で守ることを余儀なくされたとき……。


たとえ、どこにどんなふうに放り出されたとしても、なにもかもを失ってしまったとしても、SBAは使える。


いつでもどこででも使える。
時と場所を選ばない。道具もいらない。遠隔もできる。


これは、ありふれた日常が望めなくなったときのことを想定して書いた。

今、あたりまえに行っていることが行えなくなったとき。
薬もない。道具もない。知識もない。光もない。手足の自由もない。頼る人もない。

そんなときにSBAなら使える。

そう思ったからだ。


明日はどうなるかわからない。
だから、今こそ。


(……)


まさか、そう思ったから地震が起きたとは思わないけれど、象徴的な出来事ではあったと思う。


朝からずっとパソコンに張り付いて、村松先生や受講生のかたと連絡を取ったり、情報収拾をしていた。参加できなかった人がいたときの補講についても考慮しながら。


交通機関のダイヤは、大幅に乱れていた。
こんな日は外出などせず自宅で待機していたかったと思うのに、全員が会場に集まってくださった。
そうして、始まったセミナーは、わたしにとって脱皮だった。サプライズの数々。


*    *    *


「鹿児島の霧島市から参りました」


自己紹介でおっしゃられるのを聴いて、距離に驚くとともに「霧島」という地名に動揺した。


(鹿児島!?)
(霧島???)


というのも、その二日前、何年も会っていない友人から、鹿児島の霧島神宮で結婚式を挙げたことを告げるメールが届き、「霧島神宮」のことをネットで調べたばかりだったからだ。

添付された写真には、晴れやかな笑顔の新郎新婦の後ろに霧島神宮が写っていた。
そして、目の前には霧島市からやってきたという人が、慎ましく座っている。

本当に不思議なシンクロニシティだった。


(霧島神宮の神様は、私に何かを伝えたいのだろうか?)
(霧島神宮の神様は、村松先生に何かをしてほしいのだろうか?)


そのかたのお住まいは、目の前に桜島が見え、背後には霧島の山系が見えるのだという。双方が一度に噴火した時期の生活の様子も伺った。


(なんというエネルギーの高い土地にお住まいなのだろう)


これまでも、SBAセミナーには、福岡や大分など、九州からの受講者が多く参加してくださった。

九州の地は、村松先生を呼んでいると思う。
または、村松先生が、九州の地から受け取るものがあるのではないだろうか。


たとえば、火のエネルギー。


◆誰に必要なのか


鹿児島から、飛行機に乗ってやってきてくださったことにも驚いたけれど、理由を聴いて、さらに胸を打たれた。
もうご年配に見えるそのかたは、療養している娘さんのためにSBAを学びに来られたとおっしゃったからだ。


(娘さんのために日帰りで鹿児島から!)
(慣れない大阪の、さらにディープな京橋に!)
(わざわざ!!!!)


もう、どうしようーーーーーっ


療養中の娘さんをおいて、大阪まで来てくださらなくても、ご相談くだされば、九州での開催をコーディネイトできたのではないだろうかと思って、おろおろしてしまう。
母親の愛は、かくもあるものかと胸打たれる。


原因のわからない難病だそうだ。
インターネットや書物を見ることはできるので、村松先生の著作やサイトからSBAを知り、


「わたしの病気にはSBAが効くと思う」


という娘さんの言葉でSBAに着目しながらも、東京では日帰りできないとあきらめていたところに、大阪での開催を知り、受講を決めたとのこと。
母娘でブログを読んでいるとおっしゃっていただき、これまで見えなかった遠い地に住む読者の存在に、感慨と重責を感じ、心がひきしまる思いだった。


セミナーが終わって、別人のように明るい笑顔で、何度も頭を下げながら階段を降りていく姿を見送りながら、ふと気づいた。

娘さんではなく、お母さんにSBAが必要だったのではないかと。
大阪の地を踏むことが、お母さんに必要だったのではないかと。


(土地にはエネルギーがある)


子どもは、お母さんにとって一番いいことが直感でわかる。
必要ならば、自分が病気になってでも反応する。
そのことで、お母さんを救えることがあるのだとしたら。

だって、子どもはお母さんの幸せのために生まれてきたのだ。

そして、お母さんの幸せは、子どもが健康で笑顔でいること。

お互いがお互いを想い合う。
お母さんが笑顔になることが、娘さんをすくう。


病気の原因があるのなら、それを取り除かなければならないけれど、病気の原因がないと言われているのなら、取り除くべきものもないわけだから、病気のままでなんかいなくていいのだ。治る。


◆設計図


わたしたちには生まれ持つ設計図がある。どんなふうな姿でいるかは、あらかじめ決まっている。
それは、完全で完璧な設計図だ。


しあわせになることも。元気でいることも。
自分でいることも。必要とされていることも。
生まれてきた使命も。


何も手を加える必要はない。別な誰かになる必要もない。
生を受けた瞬間から、その設計図と照らし合わせながら、細胞は分裂を繰り返し、過不足を整えながら生きている。
自己治癒力とか、恒常性とか、そんな言葉なら理解しやすいだろうか。


軌道という言葉が、とてつもなく好きだ。


軌道上は、「ゼロ」地点。
からだが重くなく、心が重くない。


ゼロにもどる感覚が生きた設計図の自動調整だと、村松先生は教えてくださった。
ゼロでいられる場所。


心が苦しい、痛いいう状態はゼロじゃない。
からだが苦しい、痛いという状態もゼロじゃない。
ゼロじゃない要素が、痛みやつらさになって表れてくる。


(なぜ、押し込めてしまうのだろう?)


噴き出してきたものを、もどしてしまうのだろう?


薬を飲む。からだをいじる。
痛みを鎮める。熱を下げる。
できものを抑える。


おしこめたものは、どこに蓄積されているのだろう?
どこまで沈んでいるのだろう?
その多大なツケを、いつ払うのだろう?


そんなことを、村松先生はSBAセミナーを通じて話してくださった。


◆磁気的身体


生きている種と模造品の種。
有精卵と無精卵。


見かけは同じように見えても、物体をとりまいている見えない力の構造が違う。

生命力の発露。

村松先生は、それを「磁気的エネルギー」、「磁気的身体」と表現されている。


何度、講義を受けても、自分の理解が正しいのかどうかわからないので、ここに書いていることは、わたしの理解しているSBAに過ぎないことを、あらためて申し添えておく。


その上で、さらに続けると、


〈磁気的身体は、設計図のようなもの〉
〈肉体的身体と磁気的身体がピタリと合っていれば不具合は生じない〉
〈磁気的身体と肉体的身体のズレが生じることによって、なんらかの不具合が表れる〉
〈それが痛みや病気や苦しみ〉


今までの薬や治療は「表れた症状」を見て、対処するものだった。
SBAは、 「ズレそのもの」に対処する。症状には何もしない。
だから、とても「微細な干渉」でいい。


ということなのだろうと、〈今〉、わたしは思っているけれど、本当のところはわからないから、関心のある人は、セミナー会場で自分の耳で聴いて受け取ってほしい。


なぜならば。
三回、受講したけれど、そのたびに、比喩や例が違うからだ(笑)


◆セミナーは生きている


本質は変わらないけれど、切り口が違う。導き方が違う。

思うに、そのときの新規受講者に一番わかりやすいアプローチになっているのだろう。


これまでの三回分のノートを再読してみた。
初回のレクチャーが、わたしには原点だ。
今、読んでもよくわかる。

このときは、村松先生は、イメージしやすいように、ホームセンターで購入したと思われるボルトとナットを用意してくださっていた。全員が記念にもらって帰った。嬉しかったなあ(笑)


二回目は、大津でのセミナーの質疑を反映したものだった。わかりにくいという声があがった「磁気的身体」について、詳しくレクチャーしてくださった。
メールマガジンで発信されたばかりの「内なる人」と「外なる人」のモデルが、このとき、初めて登場した。


そして三回目。
大津、大阪、東京とセミナーを重ね、メールセッションの実績も加味され、わかりやすい講義だったと思う。
流暢すぎて、どんどん進み、時間が余りすぎるのではないかと心配になったほどだ(笑)


それでも、三度目にも関わらず、


(初めて聞きました!)


ということが幾つかあったし、お得感満載。


今回は「抜く」ことについての意味を、深く教えてくださった。
「象徴」「磁気」という言葉についても、これまでのセミナーとはちがったアプローチだった。


さらに「触媒」という表現が、初登場。

SBAが干渉することで起きる作用のイメージが膨らむ。

また、遠隔セッションについての質問があったので、村松先生がどんなふうに施術されているかも実演してくださった。 
これは、本当にビックリ。


セミナーは生きている。

主役は受講生。
受講生が必要としたものが村松先生の口から語られる。

そのときだけの「場」。

だから、同じ講義は二度とない。何度聴いても気づきがある。
(三回、受講した私が言うので、間違いないです!)


◆答


今回のセミナーが、私に教えてくれたもの。それは


(受講生は引き寄せあって、その場にいる)


ということだ。


鹿児島から。大分から。岡山から。兵庫から。大阪から。
地震が起きて、交通網が乱れているのも物ともせず、集まったのは何故なのか。
既にメソッドが公開されているにもかかわらず、なんのために何を求めて集まったのか?


(なぜ、このメンバーなのか?)


そのことを、皆さんの表情が教えてくれた。


セミナーの後半は、二人ペアになっての実技だった。
どんどん相手を交代して、実践を繰り返す。
初対面の人同士が、たちまち打ち解けあって、施術しあっていた。


それは不思議な光景だった。
あちこちで、信頼しあうまなざしや、笑顔がとびかっている。

わたし自身も、自分では得られなかった変化が起きていることを、実感した。


(自分でやるより、やってもらうほうがいい!)


SBAはシンボリックなワークだ。生きた身体に干渉する。
セミナーは参加した人だけが受け取るギフトが渦巻く場。
引き寄せあって、理由があって、その場に集う人たち。


その人にしか抜けないねじを、それぞれが持っていて、目をとじてゆだねている人に干渉する。
さまざまな土地のエネルギーを持ち、その人しか持たない指を持ち、その人にしか抜けないねじを抜く。抜いてもらう。

その日、その時しか、受け取れないギフト。
そのために、集まったのだ。

会場は、ものすごい熱気に包まれていた。
セミナーを終え、一歩外に出て、そのことがわかった。


セミナーでしか受け取れないものがある。
今回のセミナーに参加してくださった皆さんが、そのことを教えてくれた。

セミナーの在り方についての指針を与えてくれた。


◆つかえる つながる つたえる


わかるSBAから、
つかえるSBA、つながるSBA、つたえるSBAへ。


次回からは、村松先生のレクチャーに加え、習った人たちのSBAの活用と実践、体験と交流の場を持てないだろうかと考えている。

互いに遠隔をしあったり、ケーススタディを取り合えるような関係が持てたら素晴らしい。

何度も参加してほしい。


自分にとっての黄金の指を持つ人との出会いを感じてほしい。
相互に、より深く「感じあえる」人がいるはずだ。


*    *    *


しみじみ思うことがある。
わたしが世話人をする限り、何をやったとしても、帰着点は「人とのつながり」になる。

受講生ひとりひとりを感じたいし、会場に入ってきたときと出ていくときの表情の変化を見届けたい。
だから、人数は多くはならない(汗)


◆点・線・辺・面


(やってもやっても「点」にしかならない)


そう感じていた。


受講してくれる個々は「点」
リピートしてくれる人も「点」

だから、増えない。
三回やったけど、みんな「点」
何回やっても、「点」?


ふと、気づいた。


点と点を結べば「線」
「線」と「線」を結べば「辺」
「辺」と「辺を結べば「面」
「面」と「面」をつなげば
「立方体」が起ちあがる!


点だと思っていたものが、ある日、いきなり立方体に。
ブレイクとは、そういうことなのだ。


点とは人。
線・辺・面は「縁」なのだと思う。


縁をつなぐように、今後も開催していきたい。
そして、点を各地に。

やがて線に。
それが辺に。
辺を面に。


◆表現の会へ


村松先生の伝えたいSBAを、わたしが理解しているかどうかは、何回も書くけれど自信がない。
たぶん、ちがうのだろう。

ちがっていてもいいと思っている。


思い込みで跳べるのだったら、ラッキーだ。
どこまでだって跳ぶ。


「軌道に還る」という言葉に、ヤラれたのだ。
症状ではなく、ズレに干渉しているのだという理論に、ヤラれたのだ。


(自分に還り続ける)


本来の自分を取り戻したら……
そのときこそ、表現の発露 だ。


自転車のペダルは、片方だけ踏んでも進めない。
SBA講座と表現の会は、わたしの中では両輪。


次回は、表現の会スペシャル「お茶とお散歩とサムシングの会」の世界へ、いざないます。


浜田えみな