(シラサワユウコさん画)
今よりもっと
素敵に楽しく幸せになるために
今より違う
自分を目指すのではなく
今よりもっと、
自分を大切にする
* * *
魔法の絵描き屋 木の葉堂 シラサワユウコさん の絵が好きで、原画を観たいとずっと思っていた。
カレンダーにつけられたお話の朗読会があると知って、さっそく駆けつけた。
お話のあとには、お絵かき会もあると聞いて、ますます嬉しくなった。
ユウコさんが、どんなふうに描くのかを、この目で視たかった。
願いごとが叶う日は、いろんなプレゼントも一緒にやってくる。
「時間をめぐる冒険 わたしの時間をとりもどす」
ユウコさんが作製した2013年カレンダーのタイトルだ。
「一枚、一枚、描くごとに“自分を取り戻していく”ようだった」
と話すユウコさんの言葉に、全身が共振した。
まるで「音叉」のように。
「自分と同じ」だからではない。とても近いけれど、ちがう周波数。
どうちがうのか、わかりそうでわからない。
ちがうことが「自分を知る証」
大切なヒントに出会えたこうふく。
お話が始まると、もっとたくさんのシグナルが点滅した。
逃げ出したうさぎのかわりに、舞台でマリオネットを演じているぞうがめくんの姿は、多くの人の姿に重なるだろう。
逃げ出し、冒険の旅に出るぞうがめくんといっしょに……
(ブレイクスルー)
また、
「人間の世界は何千何万のカラフルな色付きの……」
という言葉が、心の中に、とても鮮やかに舞い降りてきた。
何度も何度も。
絵を描く人は、この世界の何もかもが、色で感じられるのだろうか?
満ち溢れる、表現可能なカラフルな色。
では、わたしの世界は、なんといったらいいのだろう?
わたしが感じている世界には、色はない。
耳に聞こえる音もない。
動きはある。
温度もある。
奥行もある。
痛みもある。
時間はない。
その世界は、けっして、「言葉」では、できていない。
よく誤解されるけれど、「ひらがな」が飛び交っているわけでは、ぜったいにない(笑)
(……)
言葉でない「サムシング」を伝えるために、なぜか言葉におきかえ、言葉ではない「サムシング」に変換して受け取ってほしいと欲する。
その「サムシング」は、まったく別のものに化けることもあるのに。
(なんて、不自由なんだろう)
伝えたいのは、
心の中に飛び込んできた「サムシング」
湧き起ってきた「サムシング」
光がない世界や、言葉がない世界や、からだのない世界では、ダイレクトに通じ合い、つながりあっていたはずの「サムシング」
(……っていたはず?)
ちがう。
いまも、そんなことにとらわれているのは、意識の中の一部分だけだ。
ほんとうは、ちゃんと、つながりあっているにちがいない。
(そうかぁ……)
楽しいんだ!
おもしろいんだ!
(言葉から生まれた物語が「サムシング」に変わる瞬間が)
* * *
ユウコさんは、カレンダーの絵を描いているあいだ、毎日、散歩をしていたそうだ。
散歩は、自分を「整える」ことで、「イメージがきたら」絵を描いていたそうだ。
(かっこいい!)
宮沢賢治も、散歩しながら創作したというし、ユウコさんの思考の車輪も「散歩」なのだろうなあ。
わたしも、自分の「思考の車輪」を、ビシっと見つけたい。そうしたら、バンバン書ける。
もしかすると、通勤電車なのだろうか?(笑)。
そして、書いていない時間すべて。
書きはじめたら、一気に書く。
* * *
ユウコさんは、自分のことが好きではなかったそうだ。
今の自分のままじゃ生きていられないと思うくらい、イヤだったそうだ。
でも、ある日、
「今より1センチも変わらなくていい」
とわかったという。
「変わらなくていい」
と自分でわかって、
「よろこびのうず」
に包まれたそうだ。
「役にたたなくちゃ。成長しなくちゃ」
と思っていたけど、
「変わらなくていい」
とわかった瞬間、
「エネルギーがわいてきた」
という。
「変わることに使っていたエネルギーがなくなって」
ユウコさんは、
「変わった」
* * *
今よりもっと素敵に楽しく幸せになるために、
今より違う自分を目指すのではなく、
(今よりもっと、自分を大切にすること)
気づいてしまえば、あたりまえのことなのになあ。
(にんげんって、めんどうくさいなあ)
そして、「自分を大切にする」ことは、さらなる冒険の旅。
ユウコさんは、ぞうがめくんと旅に出て、自分を取り戻した。
あなたは、誰と?
わたしは、この子と(笑)
浜田えみな
ユウコさんのカレンダーの物語はブログで連載中です。 → 「時間をめぐる冒険」物語
「思考の車輪」は、齋藤 孝氏の言葉です。→ 「思考の車輪」

