みみより日和

(父の生家 徳島県名西郡)


わたしたちが一番安らぎ、強みとし、
世界に誇れるものは、日本の中にある。

自分につながる人を知り、
自分に流れている「宝」を知る。


*    *    *


なぜ、民家集落博物館に行きたいと思ったのか。


そのことを、濱谷浩氏の写真集「裏日本」の冒頭に掲げられた言葉が代弁してくれる。


「人間が 人間を 理解するために 日本人が 日本人を 理解するために」


(日本人が 日本人を 理解するために)


日本の風土の中で生きるわたしたちに古代からおくり続けられてきた大和魂。根源。ルーツ。
どんなに生活環境や思考が欧米化したとしても、わたしたちが一番安らぎ、強みとし、世界に誇れるものは、日本の中にある。
なのに、消えようとしている。


そんな警鐘が、ずっと鳴り響いている。


「名前のことだま」を学びはじめ、神話のことや、日本における慣習を知り、ますます、その気持ちが強くなった。

海外で評価の高い日本人の特性は、日本の風土や、四季のうつろい、生業、信仰とともにあるものだ。


同じ人間でありながら、諸外国の人には聴こえない音が聴こえ、視えないものが視える。
自然の中にある音を愛で、自然の色合いを感じ分け、生活のとりいれる感性の細やかさと豊かさ。秘めた情熱、手先の器用さ、勤勉さ、緻密さ、根気強さ。
そういうものを支えてきた「根底」が、今、崩れようとしているのではないだろうか?


(日本人を支えてきたものは何なのか?)


四十年ほど前に、日本のどこの家でもあたりまえのように行っていた行事や、季節のしつらえが、その本来の意味をもたずに形骸化している。もしくは行われなくなっている。
かつては、祖父母や両親や、地域の人たちを通じて伝えられてきたはずのものが、とだえていく。


(ルーツを失ったら、わたしたちは、何をよりどころに、どこへ行けばいいのだろう?)


*    *    *


日本人は、伝統や継承を重んじる民族だ。


脈々とした流れの中で、おくられたものを受け継ぎ、引継ぎ、それを伝えていく。
「伝えるもの」を持ち、「引き継ぐ人」を持つことが「宝」なのだ。
今、伝える人も、引き継ぐ人が途絶えつつある……


「自分探し」という言葉を耳にするたびに思う。


それは、自分につながる人を知り、自分に流れている「宝」を知ることだと。


両親がどんな人なのか。祖父母はどんな人なのか。生まれた場所はどこだったのか。ご先祖様は何をしていたのか。自分が生まれてきたのは何をするためなのか。家系からのメッセージが必ずある。


(その声を聴かずして、自分につながるものを受け取らずにして、何を探せばいいのだろう?)


*    *    *


(日本人を知る)


そんなテーマを漠然と抱えているときに、濱谷浩さんの「裏日本」の言葉に出会った。


作品を特集した雑誌を購入した。感じたことをブログに書いたら、たくさんのかたがメッセージをくださった。今でも、わたしのブログを訪れる人の検索キーの上位にある。

どんな人が、何を知りたくて、「濱谷浩 裏日本」という文字を叩くのかはわからないけれど、消えようとする「消えてはならないもの」に対して、何かをせずにはいられない気持ちではないだろうか。


わたしは、大阪で生まれ、大阪に住んでいる。両親は徳島の山間部の出身だ。
雪国の生活は知らない。海辺の生活も知らない。


日本は南北に長く、平地が少ない。
四季とは名ばかりで、夏は短く一年のほとんどが雪に閉ざされる地方があり、雪など降ることもない地方がある。


使われている言葉が多様化しているのは、その地域に住む人しか共有できない感覚だからだ。
その土地独特の言葉は、その土地で生まれ、その土地に住む人をねぎらい、癒し、明日への活力を満たすものだと思う。
生まれた土地の言葉を大切にしたい。


(民家は、人が住む場所)


その土地の人々が、その土地で生きていくための、最適な造りになっている。


(なぜ、このような形をしているのか?)


そこに、その地方の気候や、地形、生業、風習や慣習を見ることができる。
民家集落博物館にある家は、実際に、その土地で人が住んでいた家を移築したものだ。

大阪の服部緑地内の一角に移築され、もはや住む人のない民家から、その地方で営まれていた息づきを感じ取ることは難しいかもしれない。

でも、行って、この目でみたいと思ったのだ。


*    *    *


思い始めてからも、すぐには腰があがらず、「いつでも行ける場所」として頭の片隅にありながら、具体的な行動には至らなかった「民家集落博物館」が、一気に浮上したのは、村松恒平先生と知り合い、 「表現の会」のお世話をするようになってからだ。


文章に関するメールマガジンの読者が多かったことから、村松先生を知る人は文筆活動を志す人が多い。わたしもそうだった。
最初は、文章作法や表現技術ばかりが気になり、とらわれていた。


だけど、ある程度、書いていると、本当に必要なものは、技術ではないと思い知る。
技術は時間をかければ磨くことができるけれど、本当に大切なのは


「何を書くのか」「誰に書くのか」
「何を伝えたいのか」「誰に伝えたいのか」


「誰が書くのか」


(誰が?)


それは、ほかでもない「自分」だ。
その「自分」を自分は肯定できるのか?
自分のことを知っているのか? 自分が好きなのか?
発信する自分に「軸」が持てるのか? 「信頼」しているのか?


書けるかどうかは、そういうことだと思うようになった。

「書く」というのは、さまざまな「表現活動」や「創作活動」に置き換えてほしい。

何かを発信するための土台づくりのヒントを、村松先生の言葉から、私は受けとってきた。
スイッチが押されていく実感。
または、導火線への点火。


わたしが考える「土台」というものの中に、外せないものとして「日本人を知る」ことがある。


(そのために何からアプローチすればいいのか?)


その一環として、民家集落博物館での「表現の会」を、村松恒平先生にお願いした。

村松先生が何を思い、遠い服部緑地まで足を運んでくださるのか……。
講師料はたぶん出ない(笑)。下手をすると、村松先生からも、実費を割り勘徴収?
それでもいいとおっしゃってくださった。


以前のわたしなら、必ず下見に行って、現地ガイド並みの知識をインプットしていなければ、開催できなかった。今回も、実は事前に行こうかどうしようかと悩んでいる。
でも、やめた。


(ぶっつけ本番。それでもよかったら遊びに来てください!)


わたしは、「人」がテーマだ。


民家の中に「人」を探し、「風土」を探し、「生活」を感じようとするだろう。
そこにしみついた人の声や、笑い声や、生活音を聴こうとするだろう。


*    *    *


そんなことを思っていると、そういうものがやってくる。


大阪の南堀江でヒーリングサロンをされている敬愛するセラピスト 滝川聡美さん のブログを訪れると、富山県の五箇山を訪れた時のことが書かれていた。


その記事の中で、曽我忍さん のフォトサービスサイト「1965-1967 五箇山アーカイブス」に出会った。
ウェブ上で全ての写真を閲覧できる。(文末でリンクします)
1965年から1967年にかけて、五箇山に移り住み撮影した集落の生活がそこにあった。


その写真を見たとき、「民家」が人の住む家であることがわかった。


人とともに地域に息づく共同体であることを認識できた。

同じ造りの家が林立している様子は圧巻だ。
それは、その土地に適した構造だからだ。その土地の生業に不可欠な構造だからだ。
その土地に住む人々にとっては、珍しいものでもなんでもない、生活をするために、それしかありえない構造なのだ。


このことは、他の地方の民家にも言える。

この写真集を見なければ、民家集落博物館で、わたしは民家の構造だけを見て、わかったような気持ちになって、通り過ぎていたかもしれない。


(なぜ、このような形をしているのか?)


そのことが、その地の地形や自然環境や風習や慣習を知る手かがり。
そこに生きた人の声を聴く手がかりなのだ。


*    *    *


同じころ、ブログに


「小学校6年生ごろに父親の書棚にあった「裏日本」を見ています」


というコメントをいただいた。

19歳と20歳の時に下北半島の写真を撮り、 「下北半島にて 1964-65年」というタイトルで個展を開催され、60歳を過ぎてから写真を再開されたと書かれていた。

北海道在住の写真家 大坂忠さんだった。


写真家は、文章でも絵でも表現できないものを写真で表現する。
写真に添えられた言葉は、さらにその奥行を深くする。

先日、写真集と今までの個展の記録、大判の写真なども送ってきてくださった。



みみより日和


どんな場所でも、どんなときにも、人は笑う。


濱谷浩さんの写真を見たときにも感じた想いが、再びあふれた。


曽我忍さんが、五箇山を写真におさめていたころ、大坂さんは下北半島をまわっていた。
下北半島の人々の姿がそこにある。
同時期の日本の人々の姿だ。


*    *    *


民家集落博物館の建物を見ていくと、さまざまな形態があることに驚く。
同じ日本であっても、気候や風土や生業が、それほどまでに違うということだ。
ガイドブックには、移築前の現地での民家の写真や、その地域の風土や慣習などが詳しく掲載されている。
そのなかで、印象に残った民家のことを書いておく。


◆「信濃秋山の民家」(長野県)


この民家は、周囲の壁が厚いカヤで取り巻かれている。土壁や板壁を見慣れた目には、とても不思議に映る。


(なぜ?)


この地は、日本でも有数の豪雪地帯だ。
土壁では雪溶けとともに、はがれ落ち、板壁にするための製材も難しかったからだそうだ。
また、この地方には、夜具・布団の類はほとんどなく、ワラで作った寝袋のようなものに入って寝ると書かれていた。


(布団がない? 貧しいということだろうか?)


そうではなく、あまりに寒くて原材料が生育していないのだった。
蚕がいないので、絹は作れない。木綿も生えていないので衣類にとぼしい。
山に自生するイラという草の皮を糸にして、麻のかわりに使い、編んで作った布を着ていたそうだ。


(自給自足というのは、そういうことなんだ……)


*    *    *


◆「南部の曲家(まがりや)」(岩手県)


旧南部藩に属する地方は、かつて馬の産地として栄え、民家は大きなうまやをカギ型にして母屋に接続した構造になっている。日常生活の場から馬のようすが見えるので、外にでなくてもよく、雪に覆われる冬場に都合がいい。


母屋には煙出しがなく、イロリであたためられた空気が、うまやの上をとおって外に出るようにしているのも、馬に対する心遣いだという。


屋根は「草棟」というつくりで、屋根の保護のために植えているものだそうだ。イチハツやカンゾウという植物が植えられ、季節には花も咲くそうだ。
家の屋根に草花が咲いている様子を想像しただけで、うれしくなる。

*    *    *


詳しく知りたくなり調べていくと、ガイドブックには掲載されていない、その地の置かれた状況などもわかってきた。
日本のことなのに、まったく知らなかったことがたくさんある。
そして、気づいたこと。


(今、知らなければならないことは何なのか?)


行ったことのない、生まれた場所から遠く離れた地域のことを知るのではなく、今、自分がいる場所のことだ!


今いる土地に根差しているエネルギー。
自分に流れているスピリット。


両親の生まれた場所のことであり、祖父母たちが育ってきた環境のことだ。

今とちがって、昔の人たちは、生涯、生まれた土地を離れることがなかった。その土地で、脈々とつながれてきた想いが引き継がれている。
それは何なのか。


(自分を知る)


自分に流れているよいものを受け取る。
本当に困ったときに自分を支えてくれる底力は、その土地で培われてきた気質にちがいない。


(受けとりにいく)


生まれた場所を離れてきたなら、


(その気質を、今いる場所で使っていく)


そんな使命があるのではないだろうか。


*    *    *


一昔前の日本人は、神様とともに生きていた。
日本の神様は、生活のいたるところで人々を守り、支えてきた。


民家には必ず神棚があり、季節ごとに村を興して神事があった。祭りは奉納だった。
田植えの時も、収穫の時も、木を切るときも、海に出るときも、家を建てるときも。
歳神さまをお迎えするときも。
生まれるときも、結婚するときも、死ぬときも。


どんなときも、神様とともにあった。

そのことが、日本の人々を支えてきたのだと感じる。

民家集落博物館に移築されたどの民家にも、神様を祀る場所がある。
神様とともに生きていた証として。


「人間が 人間を 理解するために 日本人が 日本人を 理解するために」


(自分を知るために、何を知るのか?)


そんな膨大でまとまりのない構想を抱えつつ、まったりのんびり春の日を楽しもう。
呼びかけ人らしいことは何もできないけれど、よかったら、遊びに来てください。


みなさんは、みなさんのすごしかたで。

自分だけの「サムシング」のために。


浜田えみな


村松恒平先生のセミナーのご案内 

→  「SBAオープンセミナー」

→ 「お茶とお散歩とサムシングの会」


曽我忍さんのフォトサービスサイト → 「1965-1967 越中五箇山アーカイブス」

五箇山の生活をぜひご覧ください。


大坂忠さんのウェブ写真展 → 「下北半島にて 1964~65年」   

このほかにもたくさんの作品があります。HPを。


曽我忍さんに導いてくれた滝川聡美さんのブログ記事 → 「越中五箇山」  


発端となった「裏日本」についてのブログ記事 → 「『裏日本』 ~濱谷浩~」