みみより日和


意味の呪縛から解き放たれた「音」の旅立ち。
その先を感じ分けていくことは、心躍る探訪


音から感じるものなのか?
文字から感じるものなのか?

文字も音もない手紙が伝えようとしたもの。


神様は、人の姿を借りて音連れる。
人との出会いは、神様からの手紙。


*    *    *


「古くは、赤、黒、白、それ以外の色を“あを”といったそうだ」


という一文を目にして以来、そのことが心にあった。


気になって調べてみると


……古代の歌や物語の中に出てくる色は「赤・黒・白・青」の四色で、残された文脈から判断すると、当時は現在のわたしたちが認識している色相や彩度による区別ではなく、明度による区別として表されていたのではないか……というような記載を多く見かけた。

だけど、「青」を「あを」というとらえかたをしているものは、ほかには探すことができなかった。
でも、腑に落ちた。


“あを”


「名前のことだま」の創始者である山下弘司先生と、ことだま師の皆さんとの大阪一宮めぐりで大鳥大社を訪れたとき、日本武尊の像をみつけた。
古事記の中で、日本武尊が死の間際に詠んだとされる「望郷の歌」を思いだしたとき、わたしの中で“あを”のイメージがあふれてきた。


“あを”


五十音表を思い浮かべてもらえるとわかりやすい。
“あ” で始まり、“いうえお” と下りて、“か” に上がり、“きくけこ” と下がり、“さ” に上がる。
そんなふうに、五十音表を「あ行」から「わ行」まで駆け抜けて、最後に記される音が “を”。


「青垣」と表記されているときには気づかなかった「あを」の奥行。


今までは、漠然と奈良盆地の青く連なる山並みを思い浮かべていた。
季節はいつだろうか? 時間はいつだろうか?
いつのときも変わらず、手前から奥へと青く連なり空にとける山々の深淵な息吹。
日本武尊のまぶたには、ふるさとの原風景のようなワンシーンが浮かんでいる。そう思っていた。

だけど。


“あを”が表すものが、「あ」から「を」まで、五十音のすべての明度や彩度や質感や温度や音や動きを含む場の力だとしたら。


やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまごもれる やまとし うるわし


折々の季節、さまざまな時間の山並みが、死を意識した武尊のまぶたを、走馬灯のようにかけめぐったのではないだろうか。


春のやまと、夏のやまと、秋のやまと、冬のやまと……
春のなかでも、早春から晩春。初夏から晩夏。初秋から晩秋…… 
そして、時間。
明け方のやまと、朝日のやまと、昼のやまと、夕方のやまと、闇のやまと……
天候。
雨のやまと、晴れのやまと、曇りのやまと、雪のやまと、風のやまと……


“あを”が表すもの。


はるか古代から、この、ただ二つの音が旅してきた森羅万象が起ち昇ってくる。

その呼び声。


思えば、わたしは、声を聴くたび、音を聴くたび、文字が頭の中に響くたび、そのことだまに喚起される不思議な感覚を察知していた。
言葉の意味や、言語としての響きがそうさせるのではなく、意味をはずした音だけが自分に働きかけてくる確かな気配。


(なぜ、この音を聴くとやすらぐのか?)
(なぜ、この音を聴くと、何かがざわざわと蠢くのか?)


その音に、既存の漢字をあてはめても、ふさわしいものを見つけられない。
言葉では表しきれず、説明のつかない気配。
そんなものが、音連れる。

たしかめたくてたまらないのに、表す言葉がない。
なのに、なぜ、こんなにも気になるのか。
文字であらわせば見た目は同じなのに、それは、まったくちがうのだ。届いてくる呼び声がちがう。


(この音の感覚を表現するふさわしい漢字はどこにあるのか?)


そんなことを、よく考えていた。
意味を持たないひらがなではなく、意味を表す漢字を見つけなければ、その特別さを固定できないと思っていた。
そうではなかった。


ひらがなだから、意味にとらわれることのない世界が可能だったのだ。


*    *    *


だから、 「名前のことだま」に出会ったとき、のめりこんだのだと思う。
ひとつひとつの音に、意味と働きがあることを教えていただいたからだ。

自分が感じていたものが、たしかに存在するとわかったからだ。


感じるけれど、分けることも留めることもできなかった感覚が、きちんと分類されていて、それぞれの行や母音の列で共通のテーマを持っていることを知ったとき。
嬉しかった。


それが、「名前のことだま」だった。


日本人の感じ分ける力が優れているのは、うつろいゆく四季のせいだと言われる。
同じ花でも同じ色や形がないように、ことだまも、同じものは、ひとつとしてない。

文字で書けば、どれも同じひらがなで表記される。おなじ名前。
でも。


「ちがう」


言葉にできない、その感覚が、本当に存在することを、山下先生の「名前のことだま」で体系だてて学ぶことができた。


鑑定の場で、向き合う人と対話をしていると、その人のもつ「名前のことだま」の風合いを感じることができる。
どれもちがう「ことだまの花」として、わたしの心に咲く。

ひとつひとつの音が、とても大切なものとして。


*    *    *


神様からの「文字のない手紙」のことを考えていたとき、ふいに気づいた。


「音もない」


“あを”という文字を見たとき、わたしの中に起ち昇ってきた森羅万象の感覚は、音を聞いたからではなかった。
それなのに。
“あを”のもつさまざまな気配や風合いを、今の自分が想像できる範囲において、感じることができる。


(なぜだろう?)


「名前のことだま」を学び始めた当初、わたしは、このことを混同していたのだった。


山下先生は、何度も、


「ことだまは文字ではありません。テキストに書いてある「あ」という文字にあるのではなく、人に呼んでもらうことによる、その音です」
「人とのつながりがあることが大事なんです」


とおっしゃっていた。それでも、間違えてしまう人がいて、


「名前を書いた紙を持っていたら、ことだまの力がいただけるんですか?」


などと尋ねられるのだそうだ。


ことだまは、その音を発する人に還るもの。
「名前のことだま」は、名前を呼んでもらうことが大切なのだ。
山下先生は、人と人とが関わりあうこと、つながりあうなかで音連れ、響き合うものを教えてくださる。
また、


「書いたものには、また、別の力が宿ります」


と、おっしゃっていた。


文字が持つ霊と、音がもつ霊は、ちがう作用があるのだと思う。


「名前のことだま」に出逢うまで、ずっと感じていたのは「文字が持つ霊(たま)」

だから、本を読むことが好きだったし、言葉が好きだったし、書くことが好きだったのだと思う。
書いたものから、たくさんの力を得ることができたのも、文字のもつ霊を感じていたからだ。


ことだま師になってからも、最初は、「ことだま」ではなく、五十音の「文字のかたち」が投げかけてくるものを、より強く感じていたのではないかと思う。
鑑定書を作っていると、とても楽しかったから。


そして、対面で、お名前を呼ばせていただきながら、お話を伺っていると……
「場」が生まれ、新たな感覚が伝わってくる。
その感覚を、わたしは「花」が咲くようだと感じていた。


(それが、「名前のことだま」なんだ)


文字が大陸からやってくるまで、日本人が「感覚」していたもの。


漢字にあてはめることのできない、こまやかな感性がとどめておきたいすべてを表記するために、古代の人は万葉仮名を使い、ひらがなや、カタカナを創りだした。


漢字や既存の言葉では表しきれないものがある。
漢字をひらがなにすることは、意味の呪縛から解き放たれた「音」の旅立ち。


漢字をひらがなにすることを、「ひらく」という。
「ほどく」と表す人もいる。
山下先生は、使命を「ひもとく」とおっしゃる。


(その先を感じ分けていくことは、心躍る探訪)


「名前のことだま」に出会って、ことだまの鑑定をしていると、今までに体験したことのない感覚につつまれる。


それが、なんなのか?
それが、その人の名前の「ことだま」なのか?


音から感じるものなのか?
文字から感じるものなのか?
両方からなのか?


鑑定の「場」だけに降りてくる奇跡。
鑑定の「場」だけに開かれる扉。

その感覚につつまれているとき、「温泉」みたいだと思った。

わたしは、「ゆ」の音を持つことだま師なので、そう感じるのかもしれない。


その人が自分のマグマ……才能や技術や情熱やエネルギー……とつながり、温泉をあふれさせる。
いつでもどんなときにも、自分も人も癒えていく治癒の温泉。
創造の力。


今年は、それが、本当にそうなのかを確かめたい。


自分に与えられた使命を。
わたしにできることは何なのかを。
文字も音もない手紙が伝えようとしたものを。


神様は、人の姿を借りて音連れる。
人との出会いは、神様からの手紙。


浜田えみな


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大阪では、初級講座が、3月9日(土)10日(日)に開催されます。

初級講座は、「わかることだま」として、一番大切な「ことだまの本質」を学びます。


何度再受講しても、そのたびに深い気づきをいただく序論と本論。
各論では「名前セラピー」の巻末や、無料配信されている五十音表には書かれていない、ことだまの意味と働き、そのなりたちについて、学ぶことができます。

日本人の生活にある季節おりおりの行事の意味などを教えていただくことで、形だけではない「豊かさ」と「豊かな生活」を手にすることができます。


関心のあるかたは、命名言霊学協会へお問い合わせください。