今日は節分。
何を祓いますか?
* * *
今いる場所から出ようとして、
がむしゃらに押していた力をゆるめたら、
音もなく向こうから開け放たれる。
そんな扉の前で、
わたしたちは立っているのではないだろうか。
引けば開くドアを渾身の力で押し続けて。
* * *
~変わらなくてもいいって気付くと、変わっていく。
そんな不思議なことが、誰にでも起こります。~
みっちゃんこと小島路広さんのフェイスブックのつぶやきを読んで、髪や頬をかすめて過ぎゆく風を感じた。
「変わらなくてもいいって気づくと変わっていく」のは、扉が開くからだと思う。
今いる場所から出ようとして、がむしゃらに押していた力をゆるめたら、音もなく向こうから開け放たれる。
そんな扉の前で、わたしたちは立っているのではないだろうか。
引けば開くドアを渾身の力で押し続けて。
* * *
昨日は、中川智子さんと白澤裕子さんが主催する「秘密会議一味の会」に出席した。
会員証を発行してもらった。裏面の言葉はそれぞれ違う。
どれに何が書かれているかはわからない。タロットカードのように一枚引くと〈会員№2〉
裏を返すと
「楽しむことに遠慮はいらない」
嬉しいときは遠慮なく嬉しい顔をしていいという、あたりまえのことが、わたしはできずにいた。
目の前の人より、少し不幸にしていなければいけないような気がして。
今は、嬉しさや楽しみごとは、セーブすることなく外に出したほうが、相手が気持ちいいんだ!と、わかったから、つまらない出し惜しみはしない。
だって。
大好きなことを見つけて、お金や義務や役割のためでなく、前に進んでいる時、人は、本当に輝くような笑顔をしている。
ただ話をしているだけで、くるくると表情が動き、目の前にいる人を幸せな気持ちにする。
そんな笑顔があると気づかせてくれたのは、みっちゃんファミリーの面々だ。
変わらなくてもいいと気づいて、変わっていった人たち。
中川智子さんと白澤裕子さんは、その第一人者だ。
「秘密会議一味の会」2回目は、出席者4人。
それぞれの「創造」に向けての想いが開こうとしている2013年。
自分が知らないことに詳しい人がいたり、自分が苦手なことが得意な人がいたり。
たくさんの目と、たくさんの手で、いろんなものが集められる。
たくさんの心と、たくさんの足で、遠くまで飛べる。
京都の人ばかりなので、大阪では訪れたことのないようなカフェやギャラリーの話題も出た。お寺にレンタルスペースがあったり、嵯峨には、番台や蛇口がそのまま残る、元お風呂やさんの施設を利用したカフェもあるそうだ。
メンバーにバイオリニストさんがいたので、ふだん聞けないような楽曲や演奏にまつわるお話を聞かせていただいた。
絵本の読み聞かせとのコラボも企画されるとのこと。
音を楽しむことが、生活の中で、どんどん身近になる。
整理収納アドバイザー&カラーセラピストさんからは、「お部屋の状態は心の状態」というお言葉が飛びだし、笑顔もこわばる。自宅を思いだすと入る穴もない(汗)。
しかも、わたしの場合は「カバンの状態が人生の状態」でもあった。
持ち歩かなくてもいいもので、いつも、パンパンにふくれている。重くても減らせない。
身の置き場もない整理収納劣等生の浜田でも、どこまでもやさしく包んでくれる美声の持ち主で、うっとりする。
フェイスブックの書きこみを読ませていただいていたときから、惹かれていたので、会えてうれしかった。
ともこちゃんからは、できたてのCD。
裕子さんの水彩のにじみが幻想的なイラストは、
「どの人も、自分のままで、そこで伸びて、そこで咲いていい」
と、笑いかけてくれる。
ともこちゃんは、自営業をされている家に嫁ぎ、お舅さんお姑さんと同居され、日々、お店や家事に追われている。
CDは、作詞作曲や練習に加えて、手作業の内職的作業がたくさんあって、本当に大変だったと思うけれど、しんどそうな顔やメゲてる顔は見たことがない。
いつも、控えめな場所に満開に咲いている小さく強い花のように、ひたむきだ。
だから、みんな、ともこちゃんのために、何かしたくなるのだと思う。
わたし自身は、今、やっている〈人と会って話す〉ことそのものが、以前の自分からすれば「奇跡」みたいなことで、けっこう頑張っている。
このことが何につながるのか見当もつかないけれど、動き出した流れに乗るだけだ。
と思ったけれど、
糸井重里さんが1月11日の「今日のダーリン」で書いていたように、
「種をまかなければ収穫はない」
(種をまく!)
他人の目にうつってめざましいのは、「伸びているとき」や、「花が咲いているとき」や「実り」だろう。
でも、その前に。
誰の目にも留まらない、自分でも何をやっているのだかわからない、準備の時期がある。
土を掘り起こし、ならす。深くもぐって掘り返すほど、ふかふかになる。
栄養をたっぷりためこむ種のベッドを作る時期。不十分だと、芽を出してもふんばれない。
耕す。耕す。耕す。
わたしは、どちらかというと、この土壌づくりが好きで、いつまでも耕している。
(種をまかずに!)
まかないのではなく、まけないのだ。
まかなければ、比べられることもないから。芽が出ないことを怖れているから。
逆に、耕す間もなく、まきたい種があふれている人もいる。
硬い地面でも。やせた土地でも。耕すこともせず。芽が出ても出なくても。
発芽寸前の種。
ひとりずつなら困る。
でも、二人でなら、いっしょに収穫できる。苦手な部分を、お互いにフォローすればいい。
そういうことが、わかりはじめてきた。
* * *
〈喜べば喜びごとが喜んで喜び集めて喜びに来る〉
〈楽しんでやればうまくいく〉
わたしが楽しいことはなんだろう?
わたしが反応することはなんだろう?
振り返れば遠回りもしたし、多くの講座でムダなお金と時間と労力を使ったけれど、もうわかった。
わたしは、「大好きな人」のために動くのだ。
技術ではなく、それを教えてくれる「人」や、誘ってくれた「人」、いっしょに学ぶ「人」。
そんな「人」に惹かれて動いていたのだ。
今のわたしなら、
習いにいかなくても、つながる方法はあったとわかるし、そんなやりかたでは、つながることなどできないとわかる。
笑い話にしかできない恥ずかしい日々を経て(笑)
何が好きなのかを知り、好きなことだけのために惜しまず動く。
そう気づいたら……
「書くこと」が好きなわけじゃないことに気づいた。
今さら?
愕然とする。
唖然というか、茫然というか。
でも、そうなのだ。
「好きなこと」をするために「書くこと」が必要だったのだ。
* * *
最近、「人と話すのは苦手だったんです」といっても、誰も信じてくれなくなってきた。
自分でも、ホントに苦手だったのだろうか? と思ってきた。
「赤ちゃんのとき、しゃべれなかったんです」とか
「一歳まで歩けなかったんです」とか、
そういうことなんじゃないだろうか。
苦手だと思っていたことって、個人差や時間差はあれ、普通に人並みにできることだったのじゃないのかな。
今日は節分。
何を祓いますか?
浜田えみな




