みみより日和


癒すとは傷が癒えること。
傷がなければ癒されない。


癒されたいという願いは、
傷つきたいというリクエストと
ともにあるのだろうか?


癒されたいと思うほどに、傷ついていく。
癒すとは傷つけることなのだろうか?


*    *    *


◆理由はいらない 


最近、「理由なく人と会う」ということが、ちょっとだけできるようになった。
もっとちゃんと分析すると、「理由なく人と会う自分」に「スイッチオン」している。


(いったいいつからだろう?)


「理由がないと会えない」と思い始めたのは。


……
大好きなセラピストさんには、クライアントとして予約を入れないと会えない。
村松先生にはセミナーを開催しないと会えない。
アーティストさんたちには展示会に行かないと会えない。
講師や講座で知り合った人には、次の講座を一緒に受講しないと会えない。
ことだまの鑑定に来てくれた人は、さらなる鑑定やワークショップを提供しないと会えない……


(ほんとうにそうだろうか?)
(そうだったのだろうか?)


ちがう。


(「会いたい」と言えば会えるんだ)


そう気づいたら、「会いたい」と言われるようになった。

もう二十年近く会っていない高校の友だち。
「この人すごい」と思いながら、会うなんてとんでもなくて、ブログの感想メールを送るだけにとどまっていた人。
ことだまの鑑定をした時にファンになった人。
引き出しがたくさんありそうで気になっていた人。
わたしはその人にとって「その他大勢」であろう人。


そんな人たちから
「年賀状の言葉を読んだら会いたくなった」とか、
「今、会う必要があると感じたから会いたい」とか、
「時間とってもらえませんか?」とか、
「話がしたい」などの手紙やメッセージをいただいた。


少し前だったら、とまどっていた。
とまどったまま、社交辞令だと、うやむやにしていた。

自分への自信のなさ。
不用意な言動で傷つくこと。傷つけること。うじうじ思い悩むこと。
そんなこんなから逃げていた。
起きてもいないのに。


人と関わりたいのに、関わると後悔するような、そんな思いがぐるぐるしていた。
起きてもいないのに。


たくさん話したのに、言葉が足りなかったり、伝え方で悩んだり、話したことで悔んだり、そんな、いつの記憶かもわからないダメージに縛られていた。
起きてもいないのに。


でも、そんなことを言ってぐずぐずしていられなくなった。
自分から鑑定モニターを募集したからだ。
申し込んでくださった人たちひとりひとり、ご都合を訊いて、時間と場所を決めていく。
「この日しかダメ」と言われた日時で調整していくと、パズルみたいに埋まっていく。
そんな工程を繰り返す中で、いつのまにか「人と会う」というハードルの高さが消えていた。


◆日々はエクセサイズ


年が明けてから、仕事が急に忙しくなった。
自分に向いているとか向いてないとか、やったことがあるとかないとか、うだうだ憂慮する間もなく、とにかく必要とされている業務を終わらせていく過程には、無理!とか、できない!などといったネガティブな気持ちが入る隙はなかった。

夢中でこなしてきた動きが、今回「人と会う」ことにおいて活用された。


(身体が、その動きを覚えたことが大事なんだな)


迷ったり悩んだりする時間はない。

やる。
できる。
できる。
できる。


だから、以前は躊躇していた「会いたい」「会おう」と言う声に、さくさく応えて、時間と場所を決められたのだと思う。

少しでも空いている時間を使って、できるだけ近い日程で多くの人と会えるように、メールを書いて、予定を組めたのだと思う。


それでまあ、しゃべりすぎで声が枯れたりしながらも(笑)


わかったことは、日々が「エクセサイズ」ということだ。
ものすごく面倒くさいことや、信じられないくらい不幸に思えることほど、その動きの中に、とてつもないギフトを隠している。
つまらない基本問題や練習問題のあと、とうていできそうもない応用問題や難問が解ける。


毎週、人と会う。
はしごだらけだ。


「神様は、人の姿をして音連れるのです」


何度も伝えてきた言葉を、今、受けとっている。


*    *    *


◆からくり


自分が人から誘われるようになって、ブロックを作っていたのは自分だったとわかった。
「理由なく人と会えない」という思いは、わたし自身が発する「拒絶」だった。
来る人を全身で拒んでいたのだ。


(なぜ、拒んでいたのか?)


「断られる」ことにOKが出せなかったからではないだろうか。
「断られる」イコール「自分に会いたくないのだ」という図式を上書きできずに。


(今……)


相手からの答えがどうであれ、願望をストレートに伝えた自分に爽快になれそう な気がする。
「会いたい」と言われても「会えない」と言われても、どっちでもOK。


(言っていいんだ!)


大好きなセラピストさんに、クライアントとしてではなく、「お話したい」とか。
村松先生に、セミナーでもセッションでもなく、「観光に来ませんか」とか。
アーティストさんに、展示会に行くのではなく、「晩御飯を食べようよ」とか。
講座で仲良くなった人に、「おいしいランチのお店に行こう」とか。
ことだま鑑定を受けてくれた人に、鑑定ではなく、「ただ、一緒におしゃべりしたいのです」とか。


「会いたい」気持ちに余分なものを付け加えない。
否定されたのは「会うこと」で「自分」ではない。
断られることと、断られないことは等価。


そんなことをきちんとわかって、すべての癒着をはずしたら、どんどん身軽になっていく。


スイッチをオンにするだけ。



「人と会う」「人と話す」「人の話を聞く」


そして。
スイッチは、一方通行ではない。
オンにすれば双方行に行き来する!


「大好きな人に会いたい」というスイッチを全方向にオープンにしたら、「わたしに会いたい」という人が全方向から現れた。


本音で生きるというスイッチを押したら、本音で関わりたいという人が集まってきた。


心から嬉しくなることだけをしようと決めたら、嬉しいことが数珠つなぎになっている人ばかりが現れる。


(なんだ。そういうカラクリだったのか)


わかったら、オンにするだけだ。


*    *    *


◆今、関わっていること


オンにすると、交流が始まる。
どんどん入ってくる。
どんどん出していく。
そのなかで生まれるものたちを、今年は育てていく。


表現の会とSBA


村松恒平先生のSBA大阪セミナーは、4月開催決定です。「表現の会」と合わせて、たっぷり2日間。
ご要望・ファーストセッションSBAお試し体験をご希望のかたは村松恒平先生まで。


タマラヒーリング


昨日は、3月末にATCで開催される癒しフェアに参加するメンバーと、プチ(裏?)交流会。
なんと、わたしはここで「毒舌家 ブラック・浜田」の役割が(笑)

いろんなコミュニティに属しているけれど、ほぼ初対面なのに、わたしの本音トークを引きだした彼女たちは何者? タダ者じゃないことだけは確か。今後の動向が気になる気になる。どんどん変容していく彼女たち。目が離せないぞ。
順次、追いかけてレポートしたいと思います。
これから羽ばたいていく人たちです。やや(いや、かなり)スピ系。


名前のことだま


家系のことだま鑑定モニター募集中です。
研究科・研鑽会もあります。ライフワークです。
ワークショップもやります。


コトトレ講座


吉井春樹さんの女子限定コトトレ講座第一期。ついに最終回。続いて第二期も開講します。
女子って、すてきすぎる。
だけど。
それは女性のみの時に限り全開オープンすることを、昨日、タマラのプチ(裏?)交流会で悟りました(笑)
男性の吉井さんには、決してのぞけない扉。そして、わたしたち女子にも、のぞけない男子の世界があるのです。


秘密会議


中川智子さんと白澤裕子さん主催の秘密会議に参加します。たぶん、ここもめくるめく女子力の世界(^^) 


随時おしゃべり会


「会いたい人」とのおしゃべり会。何かコラボが生まれる予感のする人が、わんさかいるのです。


その他なんでも


今年は文章以外のことに手を染めます。
日々はエクセサイズ。
「優勝」します。


*    *    *


◆ヒーリング


禅タロットにヒーリングというカードがある。


今回のブログを書いているとき、このカードについて書かれていた解説の文章が、ずっと浮かんでいた。


誰もあなたを傷つけることになど興味はない。誰もあなたを傷つけようと積極的に待ち構えているわけではない。誰もが自分自身の傷を守ることに忙しいのだ。


だが、それでも、それは起こる。傷つけてほしいと言わんばかりに、まさにその準備を整えて、あなたがきりきりのところでなんでもかまわず待っているからだ。

(「OSHO 禅タロット」日本語版ブックレットより)


癒すとは傷が癒えること。
傷がなければ癒されない。
癒されたいという願いは、傷つきたいというリクエストとともにあるのだろうか?
癒されたいと思うほどに、傷ついていく。
癒すとは、傷つけることなのだろうか?


……
などということを考える「頭」を無にして(笑)。

傷を作っているのは自分だということに気づいて。


開き、そして受け容れる。


癒される用意を。


まずは、手ごろなスイッチをオンにしてみてください。


浜田えみな