青空のゆくえ


自分の中にあるものを
出す。出す。出す。
出していくという浄化。
出していくという祈り。


*    *    *


わたしには、しずくさんというお友だちがいる。

会いたいのに、なかなか会えない。
距離でいえば、すぐ近くに住んでいるから、いつでもどこでも会えそうなのに、なかなか会えない。


パソコンのメールアドレスも、携帯のメールアドレスも知っているのに、話をするのは、なぜかウェブ上のコミュニティサイトの掲示板とか(笑)
近況は、公開しているウェブ日記に日参して、にんまりしたり、はらはらしたり、声援を贈ったり、刺激を受けたり。 
片思いでも、もう少しアクションするかもなあと思いつつ、ほとんどストーカーレベルで、追いかけている。


しずくさんというのは、ペンネームだ。
とてもきれいな名前。
「しずく」で画像検索すると、本当に、きれいなひとしずくの画像が、モニターいっぱいに出てくる。

ひかりとともに。水とともに。虹とともに。
ピュアネス。


だけど、わたしは、しずくさんが作家だと聞いて、
泣きたいほど……


せつなくて、苦しくて、心を根こそぎもっていかれそうな、
さみしさとか、怒りとか、不安とか、心細さとか、悲しさとか、愛とか、孤独とか、やりきれなさとか、守りたいものとか、そういう渦が押し寄せてきた。


それは、「しずく」ということだまが必要とされた背景が、どーんと響いてきたからかもしれないし、自分で勝手に想像しただけかもしれないし、わたし自身のデジャヴなのかもしれない。


でも、この音たちは、しずくさんを「すくう」ためにやってきた。

そのことがわかったから、伝えたいと思った。


どうしようもなく「う段」なはたらき。
そして「い段」のはたらき。


自分の中にあるものを
出す。出す。出す。
出していくという浄化。
出していくという祈り。


「しずく」というのは、
とても強くて、神聖で、
静かに時空を超えるような、悠久で幽玄なことだまだ。


きれいで、はかなげでありながら強い。
石に穴をあけるほどに。


その音と、がっつりタッグを組んでいるしずくさんは、すごいなあと思う。


この音が、なぜ来たのか。いつ来たのか。どうやって来たのか。
それは、しずくさんに教えてもらわないとわからない。


でも、この音が、しずくさんにもたらすものがなんなのか、それを、知りたいと思った。
音連れたことだまを、すべて受け取ってほしいと思った。
物語に気づいてほしいと思った。
ひもといて羽ばたいてほしいと思った。

ことだまは、自分のためではなく、呼んでくれる人に還るものだからだ。
しずくさんを必要としている人に。


にもかかわらず。
しずくさんに、なかなか会えない。
そのわけがわかったので、このブログを書いている。


たぶん。
しずくさんのことだまを伝えるには、わたしは、まだパワー不足なのだ。


最近、「す」のことだまについて、たくさんの新しい感覚を得た。
ことだまは生きている。
しずくさんにまだ会えないということは、しずくさんの名前のことだまの極意が、まだ視えていないのだと思う。


たぶん。
二人にとって、最適なタイミングで、出逢えるにちがいない。
それまで、楽しみ。


「く」のことだまが、ポイントではないだろうか。
しずくさんのおばあさまは、どんなかただったのだろう。


過去を知って、未来を創る。


*    *    *


そして。

「しずく」のことだまは、しずくさんを助けにきてくれた「お助けマン」みたいなものだから、生まれてきた使命は、本名のことだまにある。

なぜ生まれてきたのか?


次回、会うときまでに、わたしは学んでいくのだろう。
待っててね。


浜田えみな