青空のゆくえ


人は何度でも透明になる。
透明になって命を受ける。


すみずみまでしみとおっていく。


何度でも受け取っていいという赦し。
いつでも、心の邪気を祓って、
透明になっていいという赦し。


何があっても、
どんな状況にあっても、
何度でも「す」になれるという赦し。


*    *    *


佐藤初女さんの講演会で、一番心に響いたこと。それは、


人は何度でも透明になる。
透明になって命を受ける。


野菜をゆでていると、緑がぱあっと明るくなって、茎が透明になる瞬間がある。
そこをのがさずに火を止める。
茎が透き通ったときが、いちばんおいしくて、いちばん、私たちの身体に入る。
この瞬間を、「いのちの移し替え」という。


そのことは、初女さんの著書やインタビュー記事で知っていた。


セミでも、カイコでも、ザリガニでも、脱皮の瞬間、さなぎになる瞬間、透明になるという。
陶芸でも、本当によく焼けるときは、窯が真っ白に燃えて、何も見えなくなるという。


そんなエピソードも知っていた。
だけど、講演会では、そこから先があった。
初女さんは続けた。


「透明なときに、いのちの移し替えがされます。野菜は一回でいいけど、人は一回じゃダメ。何度も折にふれて透明になる。透明になって考える。人の透明とは、素直な気持ち。素直さ。自分の気持ちを透明にもっていく。拒否しないで受け入れる。大事なことを受け入れることです」


人は「何度でも」。
「透明」になったとき、「命」が入る。


(何度でも、「す」になって、命をいただく)


「命」という字は、「いのち」とも読むし、「めい」とも読む。

日々の活動の力(生きる力)をいただくほか、わたしたちは、「(使)命」をいただく。
このからだを使って、神様のかわりに、人のためにできることをさせていただく。
素直になって。邪気を祓って。生まれ変わるように。


前日、わたしは、鈴を鳴らし、邪気を祓って「す(透明)」になった心に、命をいただいた。


講演会で聴いた初女さんの「何度でも折にふれて透明になる」という言葉は、


自分に託される使命が「一つではない」こと。
この世の限り、このからだを使える限り、「命を受け取る」ことができること。


を許可するもの。


すみずみまでしみとおっていく。


何度でも受け取っていいという赦し。
いつでも、心の邪気を祓って、透明になっていいという赦し。何があっても、どんな状況にあっても、何度でも「す」になれるという赦し。


そのことに包まれた。
「す」になった心。


*    *    *


初女さんの講演のなかで、特に「す」のことだまを意識できたのは、今回、そのことだまを持つ人とご縁があったからだ。
そして白蛇弁財天 の見たこともないほど、大きな鈴。


このことだまの音連れで、帰宅してからも、「す」のことだまについて考えていた。


「す」は、中心のことだ。

すっきりする。すーっとする。
それは、自分の心の中心にあるモヤモヤしたもの、つまっているものや想いを、外に出せた状態を表している。


本来は、自分の中にあるよくないものを外に出して、心の中がすっきりした状態が「す」。
邪気を祓うこともそうだ。

それが転じて、ことだまでは、自分の中にあるよいものを出して、相手のよいものを引き出す力と見ている。それはまた、相手のつまった思いを外に出してスッキリさせるはたらきも合わせもつ。


すっきりしたら、入ってくる。


「う段」の音はすべて、素直な気持ちで受け入れる力と生み出していく力を持つ。
さらに、「う段」の音は、前の音を受けて次の音へつなぐ「縦の流れ」と「横の流れ」を持つ。


「く」の働きを受けた「す」は「つ」へとつながる。
「く」は、ご先祖さまから伝わる宝物の力。「す」は素直で邪気のない心になって大切なことを受けとること。


それができると、「つ」へ。よいものが集まる力。伝える力が生まれる。


初女さんは「つ」のことだまを持つ。古くから日本に伝わるよいものを受け取り、伝えていく人だ。


*    *    *


講演会の第一部は、初女さんの出演された「地球交響曲№2」(植村仁監督)のダイジェスト版だった。初めて聴く初女さんの声が流れる。

しょりしょり、ざっざっという音の雪解けの土の下から、ふきのとうが丁寧に掘り起こされていく。

青森県岩木山の麓にある「森のイスキア」での初女さんと自然の四季おりおりの生活が描きだされていた。


この映像の中でも、ことだまのメッセージがあった。

講演会が始まる前に、岡山からMさんと一緒に同行されたHさんに名前のことだまの話を伝えていると、ちょうど、お名前の最後の「き」の途中で開演時間が近付き、時間切れになってしまった。


「き」のことだまは、とても深いことだまで、たくさんの意味とはたらきを持つ。
簡単に、「〇〇ですよ」と言ってしまえるものではない。
日々の音連れにおいても、メッセージを読み取ることが難しいことだまだ。


人の見本になればいいのか。役に立てばいいのか。決断をすればいいのか。宮大工になればいいのか。あるがままでいればいいのか。


途中になったことが気になりながら、スクリーンを見ていたせいか、実にさまざまな「木」の姿が映し出されることに意識が向いてゆく。


最初に気づいたのは、初女さんが使っている「すりこぎ」が映ったときだった。
とても長いものだったが、三本目だという。その長いすりこぎが、短くなるまで、愛用されたと話しておられた。


すりこぎの先がアップになり、年輪が映る。

年輪が密になっていて、とても使いやすいのだそうだ。

年輪は、木の成長の証。過酷な環境にあると、年輪の幅は小さく密になる。
苦しい状況を越えて、ゆっくり成長した木は、その分だけ人に役立つものになる。


夏のシーンでは、白神山地にある樹齢何百年もの大きな木が映った。長く生きた大きな木は、それだけで人々を敬虔な気持ちにさせる。


初女さんのにぎるおにぎり。飯台も、しゃもじも、まな板も、みんな木だった。
お風呂や煮炊きには薪が使われる。
イスキアは木で造られている。
鐘は木箱に梱包されていた。
そして、イスキアを包む清々しい空気。
白神山地から降りてくる敬虔な「気」


木がどれほど日本人の生活とともにあるのか。
ただよう「気」にどれほど私たちの心が癒えていくか。


その在りようを、ひしひしと感じ、深い浄化に包まれたのは、直前に「き」のことだまの話をしたからだ。


「き」は、人の見本になり、役に立つということだま。
適材適所という言葉に表されるように、活かされる場や、輝く場は誰にも必ずある。それを見抜く力。


大きな木の持つ癒しの気。


わたしは、これまで、宮大工の西岡常一棟梁『木に学べ』 という著書をひもといて、ことだまの話をすることが多かった。

西岡常一棟梁が手掛けているのは、千年永らえる特別な建造物だ。一般の民衆が使用するものではない。


だけど、そのような寺社仏閣の建材ではなく、日々の生活の中での木、普通の人が使う「すりこぎ」の在りようを、この日、わたしは実感できた。


初女さんのつくるおむすびや料理は、訪れた病める人たちを救っている。
すりこぎであたったゴマやクルミの和え物は、傷ついた心と身体を癒し、その命を移し替えている。初女さんの作るごはんで生きる力を得た人は、いったい、どれだけの数になるだろう。


しゃもじや、汁椀や、まないた。
一瞬にして燃え尽きてしまう薪でさえ、その命を、イスキアを訪れた誰かに移し替えたのだ。


雪が解け、姿を現した若木は、覆われた雪の力でゆがんでいたけれど、芽吹いていた。
冬の間じゅう、日もささず、雪に覆われた中で、じっと命をつなぎ、息づいていた。春を待っていた。


日本人の生活から切り離せない「木(き)」 
特別でない、ふだんの生活の中に命を燃やしている「木(き)」
癒しの「気(き)」


今後、「き」のことだまを伝えるとき、この日にの映像と、初女さんの言葉が私の中に在る。
必要な人のもとに届けることができる思い。
本当に嬉しい。


*    *    *


不思議なことは、まだある。


先日、hana*輪さんでのことだまのイベントをお知らせしたところ、一番に申し込んでくださった人の名前が、「けいこ」さんだった。

そのときは、単純に「え段」のことだまは、「発展」と「行動」の力なので、追い風をいただいた気持ちで嬉しく思った。

ところが、講演会でいただいた気づきを元に、ことだまをひもとくと、音連れのメッセージの深さに気づく。


「け」は、食べ物のことだ。
そして、「ハレ(特別な日)」と「ケ(日常)」という言葉に表されるように、日々の生活のことだ。毎日の生活が大事なこと、丁寧に生きる積み重ねが大事なことを伝えている。
「い」は、命、 生きる力だ。
「こ」は、想いを実現する力


佐藤初女さんが伝えていることは、まさしく、特別な日ではなく、ありふれた毎日の食事や言葉かけが「生きる力」を作っていくという信念。
そして、映像の中に映し出された「木」の力は、日常生活で役立っているものばかりだった。
初女さんは、「こうなったらいいな。こうだったらいいな」という夢を、どんどん形にしていく。


初女さんの講演会で差し出されたものは、すべて、けいこさんのことだまが表している姿だった。


人との出会いは、ことだまの音連れ。


受け取るべきメッセージを教えてくれる。


*    *    *


最後に、どんぐりの実が映った。それは、地面に落ち、芽を出しかけているどんぐりだった。


イスキアは秋から冬に向かおうとしている。

初女さんは、その芽を出しかけたどんぐりを、地面に埋める。
春になり、雪がとけたら、力強く芽を伸ばし、地中に根を張っていく命。
雪の中で、春に向けて準備している命のことを、初女さんは想う。


画面いっぱいに文字が出た。初女さんの言葉だ。


冬の中にも春があります


春の中には夏があり、夏の中には秋がある。秋の中には冬がある。
どの季節がいいとか悪いとかではなく、巡りゆくもの。


巡りゆくことが、生きていること。


初女さんのてのひらにのせられたどんぐりから、小さな緑の芽がのぞいている。

映画を撮った植村監督は、初女さんが「め」のことだまを持つことを、意識されただろうか。


「め」のことだまは、「希望の芽」


今、希望の芽が出ましたよ と、人々に伝えることだまだ。


*    *    *


ことだまの導きで、わたしは初女さんに出逢うことができた。
そのあたたかな手で自分のてのひらを包んでいただいた。
おむすびをむすぶように。


ことだまの音連れは、心に深くしみこみ、出会いをかけがえのないものにする。
さまざまなことを教えてくれる。
受け取らせてくれる。


伝えることで、いのちをうつしかえていく。


浜田えみな


追記


わたしは、こんなふうに、ことだまと共に生きています。
出会った人の名前を聴くと、そのことだまの力が響いてくるのです。


みなさんも、「ことだま生活」を体感してみませんか? 
今まで気づかなかったことが見えてきます。
受け取ると、動き出すのです。


ご自身の名前のことだま。
ご家族の名前のことだま。
大好きな人の名前のことだま。
尊敬する先生のことだま。
最近出会う人の音連れのメッセージ。


ことだまって何かな? と思っている人へ、お試し体験です。
すでに使命鑑定を受けられたかたは、最近の出会いをふりかえってみませんか?


みなさんに贈られたことだまのメッセージをひもとくお手伝いをさせてください。
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