「伝えていない」のではないだろうか?
わたしから聞きたいと思っていることを。
わたしに言ってほしいと思っていることを。
* * *
今日、「ま」のことだまの人と話をした。
「ま」は、「真」という意味を持ち、ものごとの真善美を見極める力がある。
本当に正しいもの、本当に善いもの、本当に美しいものとは何なのかに気づかせてくれる。
「ほんとうの」という意味もある。真っ白は、ほんとうの白。真心は、ほんとうの心。
その人にとっての、ほんとうのものに気づかせてくれる。
そして、まっすぐ進む力。
あなたのやっていることは、間違っていない。まっすぐ進みなさいと後押ししてくれる。
よく頑張ったねと認めてくれる力もある。
ご本名も、セラピストネームも、「ま」で始まる まりんさんは、ギャラリーHana*輪のオーナーさんだ。
「どんな人が自分のまわりに集まっているのか。自分と会って、どんなふうになっていくのかを知ることは、今、自分のことだまが放っている力を知ることになります」
と、お伝えして帰ってきた。
ことだまの鑑定をするとき、いつも話していることなので、深い意味はなかった。
家に帰って、おふろに入りながら、ここ数日、ずっと頭にあることを考えていると、ふと、まったく違う角度から答えが出てきた。
(これが、わたしの「ほんとうの答え」なのだろうか?)
その人にとっての「ほんとうの〇〇」に気づく力が、まりんさんにはあるのだと思う。
クライアントさんがリピートするのも、きっと、何かに気づきたくて、答えを得たくて、OKサインを出してほしくて、訪れているのだろう。
* * *
思いを伝える。
本当に心の底から思っていることを、自分を偽ったり、ごまかしたりせず、ありのまま。
過不足なく、誤解されることなく、伝えたいことを。
恐れなく、不安なく、信頼感と、愛を持って。
ためらうことなく言葉にすることは、
生まれたばかりの赤ちゃんのころをのぞいて、難しくなることが多い。
赤ちゃんだって、泣いても抱いてもらえないことが続けば、泣かなくなってしまうのだ。
自分が伝えたいことが伝わっていないと感じた経験は、たとえ一度だけのことでも、意識の中に強いブレーキとなって残る。
そのことで、うまく話せなくなったり、伝えることをあきらめてしまったり、寂しさや悲しみが降り積もるあまり、怒りのエネルギーと化して、からだの中で出口を求めて渦巻いていたりする。
そして。
いつしか、そんな根っこのことは忘れてしまって、
(思いを伝えられない)
という事実だけを解消しようとする。
どうやったら人に伝えることができるのだろう?
伝える文章が書けるのだろう?
伝えるためにはどうしたらいいのだろうか?
自分に自信をもつこと?
素直になること?
相手の心によりそうこと?
技術?
真心?
自分を好きになること?
(今?)
ではない。
今、感じていることを誰かに上手に伝えることじゃなく、
今、目の前にいる人に思いを正しく伝えることじゃなく、
今、言葉を受け取ってくれる人に伝えるのじゃなく、
(伝えなければならない思いと、伝えなければならない人がいる)
そう思った。
そんなことを思っていたら、こんなブログ記事に出会った。
自分が感じていることと、あまりにも同じだったので、本当に驚いた。
由美子さんとは、何度かイベントなどで会ったことがあり、ことだまのワークショップにも来てくださった。
ブログを読み、その姿からは想像もできない思いや、それを、まっすぐな言葉で発信されていることに、胸打たれた。
(やっぱり、根っこの思いは、その根っこの原因となった人に伝えなきゃ、本当には満たされない)
そう思った。
でも、一番、ぐっときたのは、
「ずっと、おかあさんにやと、思ってた」
という言葉だった。
(えーーーーーーーーーっ)
(ちがうかもしれへんねや)
それは、ものすごくリアルに迫ってきた。
なぜなら、今までに「解消できた、感情解放できた」と思いこんでいることも、
(ちがうかも?)
しれないのだ。
(バクダンだ!)
と思いながら、
両親からそそがれてると気づくことができたものや、母にきちんと言葉で伝えられたことを考えていた。
(わたしが伝えていないものは、何だろう?)
(わたしは何を、伝えていないのだろう?)
そう思ったとき、
(「夢」やミッションは話していない)
と思った。
わたしの作文が小学校の先生にほめられたり、詩やエッセイで賞をとったりしたこと、書くことが少しは得意だということは、母は知っている。
でも、大人になってから
(童話や小説で賞をとったときに、話しただろうか?)
(作品が載った本を見せただろうか?)
と、考えたとき、きっぱり、
(見せていないし、話していない)
と即答できた。
両親は、わたしがブログを書いていることも知らないし、ことだまの鑑定をしていることも知らない。書くことが好きだということも知らない。
たとえば、今、表現した何かが評価されて、メディアに公開されることになっても、今さら両親に伝えたりしないと思う。
(なぜだろう?)
両親の前で夢を話せるのか?
両親に名前のことだまの話ができるのか?
今、やろうとしていることを話せるのか?
わたしがやりたいと思っていることを話せるのか?
必要としてくれる人がいることを話せるのか?
(おとうさんとおかあさんのおかげで、わたしは生まれてきて、今、自分が思うことをやることができて、とても幸せです。ありがとう)
と言うことはできたけれど、「自分が思うこと」が具体的にどういうことなのかは、言わなかった。
これからも言わない と思った。
家に帰ってから思い浮かんできたこと。
セルフリリースできたと思っていた。
感情解放は終わったと思っていた。
トラウマもない、ブレーキもない。
わたしはわたしのままで、両親から愛されている。
その想いは、尽きることなく湧き出して、あふれている。
でも、それは、自分の内面のことだった。
わたしは、受け取りたいものを受け取った。
(両親はどうなのだろう?)
わたしは、「伝えていない」のではないだろうか?
両親が、わたしから聴きたいと思っていることを。
わたしに言ってほしいと思っていることを。
「伝える」ことは、
過去に言いたくて言えなかった(と思っている)ことや、
今、自分が言いたいことではなく、
自分を誰よりもかけがえなく愛してくれている人が、
わたしの口から聞きたいと思っていることなのではないのか?
と、あらためて感じ入った。
わたしだって、リクトやコツメが話してくれなかったら、さびしいと思う。
(なぜ、言わないのか?)
(なぜ、言えないのか?)
この、「親に言えない」というのが、すでにトラウマかブレーキなのだろう(げんなり)。
この点については、うだうだ考える時間がもったいないので、明日にでも、
「おとうさん、おかあさん、わたし、本書きたいねん」
と、さらっと言っておこう。
たぶん
「小学校のころから、言ってたやん」
って、さらっと言われるのだろう(笑)
小学校2年生の時には、「お話ノート」を作っていた。
あのころは、母にも見せていたんだなあ~。
では次のハードル。
(「今」、書いたものを、親に読ませられるか?)
(ぎゃああ)
それは拷問(汗)
* * *
まりんさんの「ま」のことだまが気づかせてくれたこと。
「伝える」というのは、
自分が言いたいと思っていることだけでなく、
相手が聞きたいと思っていることを
「伝えられているか」ということだった。
人からしてもらえなかった何かのことばかり気にしていると、自分がしていない何かに気づくことはできない。
受け取ることばかり気にしていると、渡していない多くのことに気づくことができない。
これが、
わたしが気づかなければならなかった「ほんとうの答え」
イベントの打ち合わせで、思いがけない、ことだまのギフトをいただいた。
わたしは、まりんさんに、何かプレゼントできたのだろうか?
ことだまは、名前を呼んでくれる人に還ります。
その人のことだまは、その人だけの力があります。同じ音でも、ちがうのです。
自分のことだまの力を知るのは、人との出会いです。
自分に会いに来る人が、何を求めているのか? 何を受け取ったのか?
自分のことだまを知ると、人のために何ができるのかがわかります。
そんなことだまの世界を、ちょこっと体験していただきたくて、イベント鑑定をする予定です。
12月16日(日)午後です。詳細は決まり次第お知らせします。
浜田えみな
