青空のゆくえ


ことばでもかたちでもないものを
受け取ってきた。


受け取ったことばでもかたちでもないものを、
文章の座標軸へといざなう。


それは旅の記録。
物語の再生。


*    *    *


ことだま師の先輩・丸田みどりさんの「ことのはブログ」で紹介された案内を見て、いてもたってもいられず、行ってきた。


「墨象 丸山功一・切絵 今井清香 二人展 天象」 → インフォメーション


インフォメーションに繰り広げられた幽玄の世界を、ぜひ、この目で観たいと思った。

丸山功一さんは筆屋さんなので、勝手に「書」だと思い、切り絵師の今井清香さんとの二人展なのだから、「書」と「切絵」のコラボ作品だと思っていた。


地下鉄御堂筋線心斎橋駅を降り、大丸百貨店の地下売場を素通りできず、小さな洋菓子やパンを買って、そのまま地上にあがる。御堂筋を渡って日航ホテルの横を抜け……

どこかで聞き覚えのあるホテルだと思っていたら、会場のニューオオサカホテルは、もうすぐボダイジュエキスポが開催される場所だった。


(ギャラリーはどこだろう?)


ホテルの入口から壁面に架けられたアートらしきものが見えた。


(入ってもいいのだろうか?)


ドアを開けると、芳名録が置いてあった。


墨と切絵のコラボ作品ではなく、それぞれが別々の空間で作品展示をしているようだ。
丸山さんの作品は、文字ではなかった。


その前に立つ。


*    *    *


「天象」とは、天体の現象や空模様 のことだそうだ。

「象」という字は「かたち」をあらわす。
天のきげんや、しぐさ。
今、見えている空がつながっている時空すべての宇宙。


(丸山さんには「一緒にしないでくれ」と怒られそうだけど)一目みたとき、村松先生とやった「へたうま書道」のことを思いだした。


わたしたちは、村松先生に、筆で「枯れた線を書け」だの、「色が視える字を書け」だのと言われて、墨と筆で「状態」や「色」などの「見えないもの」を表現しようとした。

いわば、その、延長(といってもものすごい遠い延長上だけど)にあるのが、丸山さんがされていることではないか? と思ったのだ。


(村松先生が喜びそうな「線」と「かすれ」だーっ)
(こういうのが書けたら、先生を、もっと喜ばせてあげられたのにな)

などと思う。

もちろん、100均ショップの筆と墨とコピー用紙でやったワークとは、品格と質がちがいすぎる。
だけど、村松先生のおっしゃりたかったのは、こういうことなんだなとわかった。


丸山さんの作品の前に立つと、その作品ごとに、自分を構成する細胞の可動な部分が動き出して、受け取るための最適の形に整列しはじめるような感覚がある。

それが、とても、ここちよい。

浄化され続けている ということもできるし、リセットされ続けている ということもできる。
そして、作品は、おろした筆の穂先と墨と水と紙の、呼吸。追いかけて追いつき、捕まえて放す。


(ああ、そうか)
(動き続けている)


平面に留めた造形が投げかけてくる波動。動き続けている不思議。


それはどこから?
目の前の墨象から?
丸山さんの心象から?


そのとき、作品につけられたタイトルが目に入った。


「風」「嵐」「そよ風」「落雷」「雪」「雨」「風の発生」……


生まれて初めて、タイトルが3D化する経験をした。


壁面に架けられた墨のかたちと鑑賞者をつなぐ絆。

手が伸びてきた。下方に記された小さなタイトル文字から、さしのべられた手。
その手をしっかりつなぐ。


タイトルは、差し出された手なのだとわかった。


言葉だったから。

その言葉をてがかりに丸山さんの心象にアクセスを試みるような、新しい感覚が生まれた。


たとえば「風」

わたしが知っている、ありとあらゆる「風」の体感を総動員する。


目の前のかたちに近いものがあるだろうか?
そして、丸山さんの心の中の「風」に思いを馳せる。


目の前のかたちがどうやって生まれてきたのか。
わたしのからだに吹く風と、どこか別の次元に吹く風が、呼応しようと共鳴する場所を探し続ける感覚。

そんな旅。


かたちが、連れていってくれた旅。


*    *    *


夢中で観ていたら、行き止まりだった。


(切り絵は?)
(もしかして、ここはメイン会場ではないのだろうか?)


ぐるぐるまわってみたけれど、ほかに通路もないので、フロントのお姉さんに聴く


「あの……、切り絵の展示は……、どこにあるのですか?」
「切り絵は、こちらのレストランに展示してございます」


(レストラン? 今日は時間がない!)

「観るだけでも、いいですか?」
「はい、どうぞ」


というわけで、どうやら、まだ開店前の店内に入る。薄暗い。


(大きいーーーーーーっ)


額に納まる大きさのものではなかった。
切り絵がこんなに大きな作品だとは思わなかった。


(どうやったら、こんなに流麗な線が描け、切り絵にすることができるのだろう?)

天井の鏡をうまく使った展示は、パラレルな時空を表しているようだった。


*    *    *


額の中の小さな作品の展示もあった。


*    *    *


雪の結晶が美しかった。


こんな結晶が舞い降りてくる今井清香さんの心は、どれほど澄み渡っているのだろうか。
こんな雪を降らせる雪雲は、人の心のどんな思いを集めて、抱きかかえてしまったのだろうか。

髪に。頬に。肩に。てのひらに。鼻のあたまに。舌さきに。
とかして心に、からだに、白い雪を。

雪に映るこころ模様を。


*    *    *


ぴちゃんと音がした。

池の波紋と鯉の作品は、今、まさに、向きを変えた瞬間の、尾ヒレや背びれのしなりが伝わってくるような、波紋の鎮まりを息をひそめて待っていたいような、水の色を感じて染まっていきたいような、自分が鯉の化身になってしまったような、そんな錯覚に揺れる。


物語。

紙と線とカッターで、こんなことが可能なのだ。


*    *    *


ことばでもかたちでもないものを受け取ってきた。
受け取ったことばでもかたちでもないものを、文章の座標軸へといざなう。
それは旅の記録。
物語の再生。


表現の世界はつきない。

いつも新しい体験。

わたしも頑張ろう。


浜田えみな