青空のゆくえ


「何を持っているのですか?」
と、訊かなかった。
「いつ出せるのですか?」
とも、訊かなかった。
「どうやって出すのですか?」
とも、訊かなかった。


*    *    *


あなたにとって「豊か」とはどういうことですか?
自分が豊かでいられるとは、どういうことですか?
豊かな生活とは、どういうものだと思いますか?
健康なからだとお金があったら、何をしますか?


加藤憲子さんが並んで座る受講者に問いかけていたとき、名前を呼ばれたら困ると思って、小さくなっていた。
思いをめぐらせても、断片的なことが浮かぶだけで、一つの軸にはならない。


わたしの頭にすぐに浮かぶ「豊かさ」は、「創造の喜び」や「感動する心」や「健康」などで、「お金」とは関係がないように思える。だけど、お金がないと、たちまち衣食住に困る。
思いついたものを書きとめるペンと紙さえなかったら、すべてが空疎に消えてしまう。
心の健康も身体の健康もそこなってしまうだろう。


自分が、毎日を何も考えずにふわふわと生きていることに気づいて、愕然とした。


「突然の問いにどれくらい答えられるか。いつも自分の中で、“こうなりたい”と思っている人は、突然でもすぐに言える」


と加藤さんがおっしゃった。


「自分の先にあるものをイメージする。自分がイメージしやすいことは、自信を持って進めていく」

とも。


(自分の中でイメージできる〈自分のすごいもの〉って、なんだろう?)


「お金は、自分が使って、価値を発揮するもの」
「自分の中に踏ん張る力をもつ。踏ん張れば誰かが支えたくなる」
「自分のために一生懸命になると、お金との縁が深まる」
「お金が集まる人は、笑っている人。苦しい時こそ、笑って、空気を変える。落ち込んだら、笑う。笑えば笑うほど、自分から出てくるエネルギーが高まる。笑うことが自分を強化する」


加藤さんの言葉を聴きながら、ひとつのことを思いだした。

先日、テレビを見ていた夫が、教えてくれたのだ。
雑誌の読者モデルに対して編集長が言った言葉で、


〈自分のことだけを考えていると、自分の知っている一番いいと思う表情しかできない。いつも同じ表情しかできない。でも、相手のことを考えていると、その相手によって、いろんな表情ができる。いつも違った表情が生まれる……〉


というような内容だった。

このように、相手のことを思う笑顔は、どれも違う豊かさで、違うエネルギーを放つにちがいないと思った。

自分の顔は自分で見えない。だけど、笑顔は笑顔を引き出す。
笑顔はエネルギーを呼ぶ。


*    *    *


受講者は36人だった。
整列していた椅子を手分けして3~4人のグループに並び替えたあと、いったん、両端の壁際に立った。
くるりと一回転して、目にとまった椅子をめざし、集まった人とワークを行うのだという。
同じ椅子を目指した人が重なったら、じゃんけんをする。


こんなふうに同じグループになった人たちは、ちゃんと必要な理由があって、一緒になっているそうだ。


「100万円が手元にあったら、どんなふうに使うかをシェアしてください」


100万円は貯金できない。必ず自分のために使うこと。
30万円でいいのなら、30万でいい。その30万は100万円の価値がある。30万円使って、70万円は貯金というのはナシ。
そういうルールだった。


参ったなあと思った。何にも思い浮かばなかった。
わたしは「書きたい」と思っている。書くことそのものにはお金はかからない。
だけど、そういうことではない。


(なぜ書きたいのか? 何を伝えたいのか? 誰に伝えるのか? 書いたらどうするのか?)


ということが明確になっていなかったのだ。

さらに、「書ける自分」も、「書いた創作物」も、わたしの中に想定されていなかった。
それでは、書けるわけがない。


「書きたい自分」は、「書けない自分」や「書かない自分」と、まったく同じだったのだ。


(なんというカラクリなのだろう)


今、自分が動けるかどうかは別として、

「書く自分」・「書ける自分」・「書いた創作物」がイメージできていれば、書きたいテーマのために取材したい場所があったり、インタビューしたい人がいたり、挿画を描いてほしい人がいたり、装幀を頼みたい人がいたり、出したい出版社があったり、届けたい人がいたり、ほかにもいろいろ、創りたい本のためにお金を動かす算段が湧き出し、止まらないはずだ。


(なんだかなあ……)


つまりは、


(そういうこと)


なのだ。


創作に向かう姿勢は、一見、耳に心地よい。
十年でも二十年でも騙される。
だけど、「書きたい自分」としてすごすのと、「書く自分」としてすごすのでは、まったく違う。このことに気づいた。


(一生、自分に騙されないでよかった)


目的もなく準備体操をして、いったい何になるつもりなのか。
アスリートだって、競技種目に応じた相応のトレーニングをすることで欲しい結果をつかむのだ。


ハングリー。


ハングリー精神というのは、目の前を通り過ぎるものを、どんなものでも自分が求めていたものに変える貪欲で強引な力なのだと思った。
そして、通り過ぎてきたものまでも糧にする。


今からスイッチオンだ。


*    *    *


と気づいたものの、今まで、ぼよよーんと過ごしていたのだから、自分が何を目指しているのかなんて、いきなりワークショップの席で覚醒して、理路整然と構築できるわけではない。
何も浮かばなくてすみませんと、頭を下げるだけだ。


このことに気づくために、自分は今日、ここに来たのだなと思った。


*    *    *


次に、もう一度、壁に戻って一回転。目についた椅子を目指す。
新たに集まったメンバーで、先ほどの100万円ビジョンを発表し、エールを贈るというもの。

偶然のようでいて必然のグループ。それぞれのグループにお互いを引き寄せた共通のエネルギーがあるそうだ。

加藤さんは、一つ一つまわって、肩をたたき、声をかけておられた。
わたしたちのグループは4人。


「ここは、出し惜しみしているグループ! みんな、持っているものがいっぱいあるよ」


*    *    *


ワークの最後は、残り三十分ほどの時間で、集まった人たちと挨拶をするというものだった。
全員と話そうとすると、一人一分もかけられない。でも、一分以上話したい人もいるだろう。笑顔の交歓だけで終わる人もいるだろう。タイミングが合わず、誰とも話せない時間も生まれるだろう。

その中で、いったい、何人の人と笑顔の交換ができるのだろう?

偶然ではなく必然の引き寄せだ。


加藤さんのところへは、行っていいのかどうかわからなくて、三度くらいためらって見送ったあと、勇気を出して近づいた。


持っているものがあること。出したいと私が思っていること。準備が整えば出していけるから大丈夫…… みたいなことを言われたと思う。

加藤さんは素敵すぎて、舞い上がってしまって、あまりちゃんと覚えていない。


「何を持っているのですか?」と、わたしは訊かなかった。
「いつ出せるのですか?」とも、訊かなかった。
「どうやって出すのですか?」とも、訊かなかった。


加藤さんもおっしゃらなかった。
でも、「わかっているでしょう?」と全身から、あたたかいもので包んでくださった。


それで、わかった気になるのだから、わたしはおめでたいのだろう。
それとも、本当に何かを「持っている」のだろうか。
ただ、ホンモノの人のオーラはすごいと思った。


「ここは出し惜しみしているグループ!」


と言われたとき、わたしの左隣にいたYちゃんも、正面にいたKさんも、右隣りにいたMさんも、自分が出し惜しみしているものがわかっていたと思う。


加藤さんの言葉は、文字で書けば一つなのに、四人の心に、別々のものを生み出したのだ。
わたしたちに「〇〇をしなさい」とは言わなかった。
だけど、それぞれの中に「〇〇」のために動くエネルギーが生まれた。


言葉のもつ力。
そして、タマラのエネルギー。


いろんなことに気づくのは、タマラのエネルギーのせいだ。


ワークショップで配付された「アクセスハートプロジェクト」のリーフレットには、こんなふうに書いてある。


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加藤憲子は、「タマラ」創始者として
アクセスハートプロジェクトの事情、
NPO法人タマラアソシエーションの活動を通して 
人本来の生き方を、日本で、世界で伝えています。


「タマラ」とは、人の人生そのものをサポートするエネルギーの名称です。

タマラのエネルギーは、あなたが本来持っている能力を最大限に活かす時、活かそうと努力する時、なりたい自分になるために本気で変わろうとする時、あなたのポジティブな思いと行動のサポートとして自然に使われます。

世界中、誰もが自分自身のために役立てられるエネルギーです。
加藤憲子は、さまざまな活動を通して「タマラ」を世界中に伝えています。


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わたしは今年4月に林洋子さんからアクティベーションを受け、「タマラのエネルギーを使える人」になったのだけど、タマラのことは、よくわかっていなかった。


〈ポジティブな思いと行動をサポート〉?


よくわからないけれど、今日、加藤さんに会い、加藤さんのエネルギーの中にいて、わたしなりに感じたことを書いてみる。


何かを手にする喜びが生まれたとき、失う悲しみも同時に生まれる。
夢を叶える自分が生まれたとき、夢に破れる自分も生まれる。


これは、避けることができない。


つまり、 「書きたい自分」だけでなく、「書く自分」も「書けない自分」も全て同じ なのだ。


「書けない自分」は苦しい。苦しい方には進めない。
わたしは今まで、苦しくなる側面ばかりを見ていた気がする。
だから、実現のエネルギーが生まれなかった。


「書けない自分」ではなく、「書く自分」を見ればいい。


無理に生み出すのではない、どちらも同時に、生まれているもの。
ポジティブがよくてネガティブが悪いのではなく、両方ある。ただ、ある。


(そのうちのどちらを見るのか?)


選択すればいい。定義づければいい。
楽しくなる方を見ると。創造できる方を見ると。実現のエネルギーのサポートを受けられる方を見ると。


すべては、そこからだ。


(100万円あったら、わたしは何をするだろう?)


決める力。


うしろめたさも、モヤモヤもなく、人のせいでなく、自分が心から満足できる自己表現につながる選択をする力。


それをサポートするのが「タマラ」ではないだろうか。


*    *    *


さて。
100万円ではなく、10万円が欲しいと願った浜田。

何かを思ったとき、そこには常に、


「可能」・「不可能」
「成功」・「失敗」
「取得」・「喪失」


など、対極のイメージが生まれる。

ただ、生まれ、ただ、ある。


それに付随する思いは、自分が勝手につけてしまうフリカケみたいなもの。
どちらのフリカケでごはんを食べるのか。どちらから前に進むエネルギーを得るのか。


そして「ハングリー」


目の前を横切るものは、すべて贈り物。


なんでもやりますよ(笑)


浜田えみな


追記


加藤さんは、


「この次に会うときを楽しみにしてるからね」


と言ってくださった。

その言葉だけで、頑張れる。