ヘンな人と言われたい。
「ヘン」は武器。
「ヘン」を探しに行こう。
それは枠をはずすこと。
なりたい私も、認めてほしい私も、
実はワンネスだと、確かめに行く旅。
自分の枠がはずれたら、
人のことも枠にはめない。
* * *
最近、ものすごくテンションが高い。
なんだか、いろんなことが集結して、腑に落ちたからだ。
ちょっとずつ用意されていた導火線に、火をつけてくれたのは、先日のトークライブ。
まずは、北川涼子さん のトークパートから。
* * *
涼子さんのトークで一番印象に残ったのは、ハートと枠の絵だった。
自分がハート型。そこに、四角い枠が重なる。この枠は、社会の規範とか常識とかモノサシとか。
ハートと枠は三つのエリアを作る。
① 枠からはみ出した部分。(社会生活の中で不適切な部分)
② 枠とハートが重なっている部分。(社会適応できる部分)
③ 枠の中のハート以外の部分。(社会生活において、自分に足りない部分)
涼子さんは、トークの中で、この図を使って、檄を飛ばしてくれた。
ハートと四角。自分を知る。はみだした部分と足りない部分。自分の形を知るチャンス。
でこぼこを感じるとき、自分を知るチャンス。
合致するところだけで生きていると小さく収まってしまう。
死ぬときにおもしろかったと言って死にたい。
おもしろかったと言えないことはしない。
はみでたところをいかさずに死ぬのは許されない。
不具合はチャンス。イヤなことはチャンス すぐにはそう思えなくても。
瞬間的にいろんなことが押し寄せてきて、目が覚めた。スイッチが入った。
家でも図を描いてみた。涼子さんはハートだったから星にしてみた。
わたしは、重なった部分で生きている。
そこは、安心で安全で、人から何もとがめられない場所。
そして、社会の枠の中にある自分に足りない部分に、あこがれと、敬意と、賞賛をもっている。
そんな人になりたい、ならなくてはと、目標を持ち、一生懸命努力している。
だけど、それは、「なりたい私」なのだろうか?
そんな私になって、うれしいのだろうか?
(うれしくない)
このことに気づいたのは、今年の春から受講している、とある講座だ。
その講座では、毎回、相手の瞳を見て、その人のいいところを互いに言い合うワークをする。
受講者全員から言ってもらえる。
最初のころは、嬉しいと思った。
でも、だんだん、自分の感覚が澄んでくると、ぬぐえない違和感を感じるようになる。求めているものは別の場所にあるとわかる。
自分が本当に言ってほしい言葉は、それじゃない と。
そんなことはわかっている。言ってくれなくても、わかってる。
だって、それは、私がそうなりたいと思って身に着けたものだから!
優しそうだとか、笑顔が素敵だとか、信頼できるとか、相手によりそえるとか、女性らしいとか、話をしていて落ち着くとか。
そんなことは、人と人が気持ちよくすごすためのマナーであって、わたしのパーソナリティではない。
枠の中にいるために身に着けている借り物の着ぐるみ。
「あなたの着ぐるみは素敵です」と言われても、中身ではないから素直に喜べない。
本当に言ってほしいのは、枠から「はみだした自分」の部分。
それを認めてもらったとき、心の底から満たされた気持ちになるのだとわかった。
そして、図にしたことで見えたことがある。
社会の枠の中は、そこに適応した同じような人であふれている。
自分に足りない部分も、重なりの部分も、誰かのコピーだ。
今、社会に足りない部分があって、求められているものがあるとしたら、それは、枠からはみだした部分。
そこに、宝物がある。
いや、宝の部分は、ほんのちょっぴりかもしれない。砂漠の中の砂金のように埋もれている。
それでも、今、誰のコピーでもなく、価値があるかもしれないレアバリューな部分は、もう、そこにしかないのだ。
(活路は枠の外)
さて。
わたしは何を「なかったこと」にしてきたのだろう?
いい人なんて言われなくていい。
ヘンな人と言われたい。
「ヘン」は武器。
わたしの「へン」を探しに行こう。
(それは枠をはずすこと)
なりたい私も、認めてほしい私も、実はワンネスだと、確かめに行く旅。
自分の枠がはずれたら、人のことも枠にはめない。
苦手な人も。怖い人も。関わりたくない人も。
* * *
涼子さんは、もう一つ、素敵な呪文を教えてくれた。
キライな人に出会ったときの対処法だ。
(なに、あの人?) と思ったら、
① イヤな理由を書く。
② 「もうちょっと、こうやったらいいのに」 を書く。
③ それを自分でする。
②までは誰でも頭の中でやっている。
涼子さんのすごさは、③だ。
今まで、私はキライな人に出会ったら、自分の投影だと思ってきた。
本当は自分がしたいけど、ガマンしていることや、気づかないうちに押し込めてしまった部分が、人の姿を借りて出てきているのだと。
そう思うと、確かに、うんざりするような人にも
「教えてくれてありがとうございます」
という気持ちになるし、その人に向けてのイライラをガマンしたり、自分を反省したりできる。
だけど、そこどまりだ。モヤモヤは残る。
でも、涼子さんの教えてくれた方法だと、押し込めた自分の欲望や葛藤やストレスが、同時に癒され、解消されていく。
その人のことを非難するのではなく、相手の立場に寄り添う「こうしたらいいのに」という視点。
それを相手に言うのではなく、「自分がする」(!)
ここに、リリース(解放)が生まれるのだ。
「する」
「DO」「DO」「DO」
思考だけじゃだめだ。言葉だけじゃだめだ。
行動する。相手にさせるのではなく、自分が行動する。
この動きが、「モヤモヤしたもの」を、「取るに足りないもの」に変えてくれる。
これは、クセになる(笑)
* * *
涼子さんがトークの中で、何度も口にした言葉は、
「それで、あんたはどんな気持ちなん?」
わたしを目覚めさせてくれたダイナマイトワードは、
「感覚を忘れたら、成功してもつまらない」
衝撃が走った。本当にそのとおりだ。
「なりたい私」が「うれしい私」でなかったら、どんなに成功しても、つまらないだろう。
ものすごい賞賛の嵐の中で、砂を噛むような気持ちになっている自分を想像し、そんなことは、
(絶対に絶対に絶対にイヤだ!)
と思った。
だから、枠の外に出る。
「認められたらうれしいヘンな私」を探しに。
浜田えみな
え、探さなくても、既に「ヘン」?
いえいえ、もっと、強烈に「へン」なんです。たぶん。
ほめ言葉は、「へン!」 (^^)

