自分を知ることで、
自分の強みと弱みがわかる。
知らないから、怖れる。
知らないから傷つく。
表現は自分を知ることから。
まだ見ぬ自分半島を探検しにいこう。
まだ見ぬ自分大陸への航海に出よう。
表現の会は、「自分探検隊」。
* * *
さてさて。二時間半のセミナーをレポートするのに、序章が長すぎて、既に連載三回目。
なぜ?
今日こそ、アート塾にたどりつけるのか?
……
ぐだぐだ書いていると、脱線しそうなので、いきなり当日の朝にワープする。
(最初からそうすればよかったのかも)
* * *
今回のアート塾は、気分的にとても楽だった。
前の晩も
〈思い煩うことなく、ぐっすり寝た〉
三回目ということもあるけれど、リピーターが多いので心強い。今までは、
(自分で何でもしなくちゃ! いたらない点がないようにしなきゃ!)
と肩に力が入っていた。当日は早くから会場入りして準備をし、万全の状態でお迎えしなければと、ずっと思っていた。
今回なんて、重役出勤。
会場に着き、看板に張り紙をして、教室のドアを開けたときは、すでに五人の顔ぶれがそろい、エアコンも作動し、設営も全部終わっていた(!)
(感涙)
……不思議と、感謝の気持ちしか生まれなかった。
(世話人なのに遅く来て、準備もせずに、とんでもないヤツだと思われているかも……)
とは感じなかったのだ。(思われていたかもしれないけど)(笑)
(もっと早く来ればよかった……)
とも感じなかった。(思ったほうがいいかもしれないけど)(汗)
ただ、
(なんて素敵なんだろう)
と感激した。
参加する人が、誰かの指示を待つのではなく、自分のホームグラウンドのように、受講する環境を整えられるって、すごいことだ。
そこまでのコミュニティができたって、すごいことだ。
さすが、村松系。みなさん、頼もしすぎる。
* * *
村松先生のメルマガやブログの読者は、これまでは、なんらかの文章表現に関わる人が圧倒的に多かった。
文章表現に関する指南を受けたいと願う人が多いのだと思う。
だから、「表現の会」と銘打っても、(なんだそれ?)と、食指が動かないのかもしれない。
わたしも、当初は文章表現に関するゼミやレクチャーをしてほしいと思っていた。
だけど、大切なのは、
(「やりかた」ではなくて、「何を」の部分だ)
と気づいた。
「小説をどう書くか」ではなく、 「伝えるものを自分が持っているかどうか」
テーマだ。
それを伝えるために、何が適切なのか。小説であれば小説を書けばいい。
テーマを持たなければ、何も始まらない。まず、そこだ。
そのためには、「自分を知る」。
テーマより何よりもまず。
自分を知ることで、自分の強みと弱みがわかる。
知らないから、怖れる。知らないから傷つく。
表現の会を三回受講して、わたしは初めて、これは、「自分を知る」ためにやっているのだと思えてきた。
アートはすべて、オリジナリティ。
同じものを使い、同じことを指示され、同じように取りくんでも、できあがった作品はすべて違う。他者の個性を認めるとともに、自分の個性が浮き彫りになる。
今回は時間の関係で行わない「30ドル」というゲームは、他者からの光が自分に当たることによって、気づかなかった自分の輪郭が浮かび上がるものだった。
この連載の初回で、「とある講座で“自分の人生を変えた言葉は何ですか?”という質問を受けた」と書いた。同じ講座のレジュメで、こんな円グラフを見た。
「自分が知っている自分」(1/4)
「他人が知っている自分」(1/4)
「自分も他人も知らない自分」(1/2)
わたしは、それまで、自分は、
(自分が知っている自分と、他人が知っている自分だけだ)
と思っていた。
表現の会は、この二つを方向から光が当たり、自分がわかるのだと思っていた。
でも。
自分も他人も知らない未知の領域が、あと半分もあるのだとしたら……。
(なんて素敵なんだろう!)
まだ見ぬ自分半島を探検しにいこう。
まだ見ぬ自分大陸への航海に出よう。
表現の会は、「自分探検隊」。
* * *
やっぱり前置きが長い(苦笑)
商業出版物なら、こんな助走部分は、バッサリ切られるのだろうとわかりつつ、自分の記録なので、削除しません。
今度こそ、平成24年9月9日10時15分 井戸端ステーション2階教室Bに強制的に、ワープ。
「生まれついてのもの、天が与えてくれたものを出していく」
開口一番に、村松先生がおっしゃった言葉だ。
アートは、本来、生まれついてのもの。天が与えてくれたもの。
自然にわき起こるものを出していけばいいはずなのに、才能と技術が一緒になっている部分がある。日本の教育制度の中では、とかく規則や技術をうるさく規定して枠にはめてしまうことを、村松先生は憂えていた。
書道も、思うまま、感じたままに伸び伸びと書いていいはずなのに、トメやハライのことを、いろいろと言われて嫌になってしまう人が多い。
そこで、村松先生開発の書道は、「読めない書道」 「へたうま書道」と命名され、 「字を書かない」そうだ。
(え?)
当然、字は書くだろうと思っていたので、驚いた。
「字だと、下手とかうまいとかに、とらわれてしまうから、書きません」
(なるほど)
というわけで、使い込まれた筆と新聞紙と紙が配られた。
マンダラアート用に持ってきた小石は、文鎮がわりに使えて、一石二鳥。
墨汁と、小分けする容器も配られる。これは、昨日、民族学博物館に行ったあと、京橋の商店街で購入したものだ。
村松先生は、自宅では、ふた付のタッパー容器に入れているとのこと。
いつでも始められ、いつでもやめられる。
いきなり好きなことができる。
◆へたうま書道
こんな感じで行われました。
ウォーミングアップ
① 紙に大きな円を書く 右手で書く 左手で書く
② 直線を書く
③ 曲線を書く
このあたりは、まあよいでしょう。
④ 目の前の人の顔を一筆で書く
(顔を一筆?)
そんなん、無理でしょーっ
一筆って、同じところが重なってもいけないし、途切れてもいけないのだ。
顔のように、いろんなパーツが点在しているものを一筆で描くなんて!
「よどみなく書く。止まらずに書く。一気呵成。書いている途中で考えない。弓矢は、当ててから射るというんだよね。だから必ず当たる」
(そんなーっ)
考えないで書いたら、ぜったい、途中で途切れるし、止まります!
……と思うのは、私の思い込みなのだと思う。
短大のころ、人物画を描いていたので、「顔」を「一気呵成」には表現できない。
「顔」に対する思いや、こだわりが強すぎて、心の準備が追いつかない。
顔を表現するというのは、私にとって、その人を表現することなのだ。
顔から感じるものを筆で書けと言われたら、書けたかもしれないけれど。
さらにハードルがあがる。
(↑おそまつすぎてすみません)
⑤目をつぶって書く
(ひ、人の顔を、目をつぶって書くーーーーーー???)
(そんな福笑いみたいな……)
村松先生は、きっと、顔に対して、特に思い入れがないのだろう(苦笑)
さらに、わたしの前に座った人は、黒髪で瞳が印象的な美人!!
そのまま肖像画を描かせてください とお願いしたいくらいの人材だ。描きたい描きたい。スケッチでもいいからさせてほしいくらい、ジャストマイタイプ。
なのでよけいに、
(こんな、へたうまじゃなくて、きちんと描きたい!)
という気持ちが強くて、「一筆書き」だの、「目をつぶって書く」だのという指示に従えない浜田。
そんな私の葛藤をよそに、ほかの受講者は、趣のある線を出していた。
そのまま額に入れて飾りたいくらい完成度の高い人もいた。正面からの顔にとらわれず、横顔を表している人や、印象的な部分だけを強調して表現している人もいて、かっこよかった。
村松先生が、「目をつぶって書く」とおっしゃったのは、
「目をつぶると別の感覚が目を覚ます」からだそうだ。
このことを、体験させようとしてくださった。先生が観た盲目の人のアートがよかったそうだ。
事前に、一筆書きをやったのは、
「一筆じゃないと目をつぶって書けないでしょ。一度、筆を離すと、もう何がなんだかわからなくなるんだよね」
(なるほど)
わたしは、目をつぶることによって目覚める感覚を味わうことなく、目を開けていた時の感覚を追いかけてしまった。残像をたよりに、迷子になっていた。
(だからダメなんだ)
人から教えを受けるときは、「素」になること。
それまでの思いこみや、自分を捨てて、「素」の地に、ただ、吸収すること。
このことが、できなかったので、大反省。もったいなかったと思う。
では。
なぜ、書道ではないのに、筆と墨を使うのか?
筆と墨を使うと、勢いのある感じ・速度感・かすれ などが出せるからだそうだ。
さらに、書道では、文字に書き順があるので、観た人は、書いた人のプロセスを再現できるそうだ。二次元の世界が、時系列の芸術になって再現する。
村松先生は、青山杉雨という書家の作品展を観て、おもしろいとおっしゃっていた。
ちょうど、今年が生誕百周年に当たることから、上野の国立博物館で展覧会が開催されていたのだった。
心のぬか床に入れておいて、いつか取り出したいと思う言葉はコレ。
「芸術は意味からはみだしている」
「言葉でコントロールできないことを取り込むのがアートの領域」
わたしは、文章において、
「言葉でコントロールできない野獣を、読者の領域に放ちたい」
⑥枯れた線を書く
無理難題シリーズは続く。
⑦色が出るようにその漢字を書く
墨一色で、色を表せという指示が出た。
赤という字を書くなら、赤らしい赤を。
黄という字なら、黄らしい黄を。
私は、「白」を書いた。これは、余白で白を表しただけだと村松先生から喝(笑)
他の受講者の写真がないのが残念。みんな力作でした。ちなみに、色は
青(2名) 灰 緑 桃 白 赤
村松先生のお言葉は、
「本来現れるはずのないものが現れる」
「墨一色なのに色が表現できる不思議」
「小説は、紙にインクで書いただけで人が号泣する奇跡」
(なるほど)
⑧自画像を書く
なるべく筆の先っぽをつかって、線の数が多い自画像を書く という指示。
自分の顔なんて、あまり見ていないことに気づく。
目とマユゲは、化粧するときに視るから描ける。
鼻や口はわからないものだと思った。
これも、わたしは真面目にマトモに描いたけれど、皆さんは、デフォルメしたり、趣のある自画像に仕上げていて、拍手!
⑨テキスタイル
布地の反復している模様を書く。自分が使いたい模様を書き、色と用途を発表する。
わたしは、前日の民族学博物館の刺激が抜けなくて、熱帯植物の祝福を感じたままに書いた。腰に巻きたい気分(笑)
色を思い浮かべて線を描いたわけではないけれど、できあがってみると、色が起ちあがってくるのが不思議だった。
ちなみに、色はマゼンタと青緑とこげ茶。
ほかの作品も力作ぞろい。
ブックカバー・ランチョンマット・テーブルセンター・浴衣……など、みなさん、それぞれ色と用途をきちんと発表されていた。
使いたくなるものをアートするって、素晴らしい。
⑩うちわに描く
表現の会初めてのおみやげ作り(笑)
村松先生が、みんなに一枚一枚、団扇を手渡す。
(先生、いつのまにそんなものを(感涙)!!)
もちろん、筆で書くのだけど、ルールが二つ。
・文字は禁止
・自分が使いたくなるようなものを
さてさて。できあがりは……
それぞれ、ストーリーのある楽しい作品ができた。
ひとりずつ、作品の意図などを説明。終始笑いにつつまれ、和やかなムードに。
いつしか自由な表現ができるようになっている。
人の作品が欲しくてたまらない浜田えみな。みんながカバンにしまいかけているのを、
「写真撮らせてください!」
と、並べさせてしまった。
「へたうま団扇」
それぞれに、今日の日を忘れずにいてほしい。
さあ。
墨と筆を片付けて、次のワークはマンダラアート!
あれれ。
新聞紙をひいているのに、テーブルに墨をつける人って誰ですか?
(なんでですか? 村松先生)
浜田えみな
(マンダラアートにつづく)






