イメージする力は、世界を拡大する。
自分を知り、多次元的にデザインする。
未来が拓けていく。
* * *
「一号一惠(いちごいちえ)」は、村松恒平さんのプレミアムメールマガジン 「GOLD2012」 の配信に伴うリターンエッセイです。くわしくは、こちらを → 「GOLD2012」と「一号一惠(いちごいちえ)」
なお、2013年1月末までの期間限定メールマガジンのため、年間購読申込は終了しておりますが、今までのバックナンバーを受けとり、申込み日以降、来年1月末までの購読ということで、随時、併設されたコミュミティサイト 「銀河の家」 へ参加できます。お問い合わせください。 → info@hiden.jp (左記全角@につき、半角@に訂正下さい)
今回は、第13号 「象徴の力と身体の多様性について」 を読んで感じたことです。
文中 【 斜体 】 で表示されている箇所は、 「GOLD2012」 本文中の言葉です。
* * *
今回の要は、「象徴」と「多層的身体」だ。
(象徴とはなんだろう?)
難しい。
本来のものを、わざわざ別の形で表していることが、すでにややこしい。
シンボルとしての象徴。企業のブランドイメージ。形象の力。宗教儀式などで使われる、見えない世界とつながる手がかり。ある効果を引き出すための言葉……。
言葉は「約束」だから、伝え手が意図したものと同じものを受け手がイメージしないとコミュニケーションが成立しない。
村松さんがSBAで使用する「象徴」という概念は、約束が成立しそうにない言葉だなあと思う。
「象徴」が包括しようとしているイメージを正しく受けとめているかどうか確信が持てない。
わたしは、シンボルとは、アンテナの役割だと思っている。
メールマガジンに、マンダラのことが書かれていた。
二年前にマンダラワークショップを受講したことがある。開催案内のチラシに載せられたマンダラの画像があまりにもきれいだったので、申し込んだ。
講師は、鯉沼香帆(こいぬま かほ)さん。
村松さんのマンダラアートとは、別の手法で行うものだ。
今、香帆さんはどうされているだろう?このとき、どんな話を聴いたのだろう?
過去に書いたブログの記事を読んでみた。
(こういうときのために、わたしは詳しい記録を残すのだなあ)
あとで読み返すために詳しく書いたわけではなかったけれど、記事を読むと、記憶から抜け落ちていることが、リアルによみがえってきた。そのときの先生の表情や声までもが再現できた。
きっと、このメッセージを読むことが、必要だったのだ。
この記事に導いてくれたGOLD2012.
村松さんのメールマガジンは、架け橋となるキーワードに満ちている。
香帆さんのマンダラアートに共振しそうだ と感じる友人や知人が、思い浮かぶ。
ブログを通じて、そんな人たちへ届けることも、自分の役割だと思う。
村松さんのマンダラと香帆さんのマンダラは、ビジュアル的には全く違うけれど、ワークの趣旨は同じだ。
香帆さんは、
「マンダラをきれいに描くことではなく、描くまでのプロセスが大事。自分が一番、望んでいること、何を意図して生きているのかを見つめることや、自分に一番必要なものに目覚め、本来の自分とつながるプロセスを体験することが目的」
だと話された。
村松さんのマンダラは、「ここしかない」という直感に従って構成されたものが、本来の自分へとつながる象徴となる。
どちらも、その中に「自分の軌道」が見える。自分の軌道を象徴する。
村松さんのマンダラアートには、境界線はない。テーブルの上という「場」に形成された宇宙。
香帆さんのマンダラは、さらに真円の中で行う。
当時のわたしにとって、この「真円」で形作る「境界線」が、とても大事だったことに気付いた。
今いる場所がどんな場所でも、今抱えている思いがどんなものでも、真円の世界になら、人はたやすく入ることができる。自分をがんじがらめにしている数多なものとセパレートさせて。
真円でかこまれた黒い画用紙の中に、水性のゲルペンで描く、ただ一つの点。
「それは、自分の光。そこから始まる光です。可能性です」
香帆さんのこの言葉によって、わたしは見た。その真円の中に伸び行く軌道を。
視えたなら、感じるままに描く。
そこに表現されたものは、どんなものであれ、自分にとっての始まりと可能性の象徴だ。
* * *
香帆さんのワークには、受講前に幾つかのルールがあった。
「サイレンス」
「サイレンス」というのは、沈黙のルール。
質問やシェアリングの時以外は、誰とも目を合わせず、会話もしないことによって、導かれる静寂の中で深い内観をサポートする。
お昼のお弁当も、誰とも目を合わさず、もくもくと食べたことを思いだした。
香帆さんの言葉。
「目があったら、笑わなきゃいけないのかな、とか、何か話をしないと、へんな人と思われるかな、なんて、考えなくていいんです。目をあわさなくてもいい、好かれようとしなくても、ハートがつながっているから、大丈夫」
「気づかないうちに、わたしたちの意識は、外へ外へと向けられていて… 内に向かうことから、遠ざかっています。
何かに追われ、何かに向かい、何かに気をとられ、何かに気をまぎらわせ…。
そうではなくて、内側に目を向けて、自分の中に入っていく静けさを味わう体験です。感情の波が出る。止まる。トラウマが出る。そうして、逃げたくなったときに、逃げなくてもいいというサポート。安心で、安全で、落ちついた時間、内に入っていく時間の体験です」
この言葉を、必要とする誰かが、今、いるのだと思った。
* * *
今回のメールマガジンは、
SBA(象徴的身体 調整)をとりまくものを提示することで、その輪郭線を明確にし、SBAを浮彫にしようという号だ。
村松さんによると、わたしたちの身体は「多層的」なのだという。
メールマガジンの中だけでも、たくさんの身体について、書かれていた。
【「象徴的身体」「磁気的身体」
「数値的身体」「熱的身体」
「スポーツをする身体」「読書する身体」「文章を書く身体」「絵を描く身体」「歌を歌う身体」
「文化としての身体」】
確かに、「読書をする」ときと、「文章を書く」とき、自分の身体は違っていると思う。
肉体的身体や、数値的身体には変化はないけれど、根幹的なものが違うというのはわかる。
村松さんは、メールマガジンのなかで、文章を書く身体について、こんなふうに書いている。
【言葉と言葉でないものを自由に往来する身体だろうか。言葉だけで凝り固まっては面白くない。言葉以前のものに自由に溶けていって再び言葉に結晶する。そういう運動の主体としての身体……】
それぞれの身体の特性を意識し、洗練させていく。必要に応じて、索引をつけて引き出せるようにする。自分の身体を「文化」として発展させ、確立させていく。
文章がうまくなりたいときには、文章を書く身体がどういうものかを意識し、鍛錬する。
(行われている作業は? 使われている能力は?)
自分自身の多層的身体を観察し、データベースのようなものを創る。
やりたいことのために、持っている能力を有効的に使う。
開発する。プログラムする。
村松さんは、【身体認識】 という言葉を使っていた。 【多次元的な認識】 【多様な身体】 とも。
イメージする力は、世界を拡大する。
たとえば、真円の中だけで成立していたものが、その淵を越えてくる。
自分を知り、多次元的にデザインする。
未来が拓けていく。
* * *
13号で信じられないものを見た。SBA講座の開催要項だ。
(ええーーーーーっ!!)
(講座ーーーーーっ!?)
場所は滋賀県の大津。平日午前中の三回講座。しかも第一回目は十日後!
よく見ると、「表現の会」というものもある。それは、翌日の午前中!!
全てに出席しようと思うと、平日六日間、午前中、仕事を休まなければならない。
(無理)
無理だったおかげで、大阪でもセミナーを実施していただいた。
大津のSBA講座が、受講可能な日程だったら、そちらに出席したので、大阪で催行されることはなかった。
「ピンチはチャンス」だと、あらためて思う。
今回のギフト
・多焦点の文章の料理法
・村松恒平マンダラと鯉沼香帆マンダラにおける軌道の感受
・多層的身体の観察とデータベース化
・大阪SBAセミナーの開催
マンダラワークショップの記事 → 「それは始まりの光」
鯉沼香帆さんのマンダラ画像へもリンクしています。
ぜひ、その微細な波動を感じてみてください。
***************************************************
〈おまけ〉
ギフトの一番目にあげた「多焦点の文章の料理法」については、以下に記載する。
* * *
(えーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!)
思わず叫んだ。
(そうやったんやー)
(やっぱりなああ……)
何がやっぱり?
わたしは、村松さんのメールマガジンを読んで触発されたことを、毎回書こうと決めた。だけど、ちっともまとまらないことに「苦悩」していた。
村松さんは文章のプロだから、毎回のメールマガジンの軸は通っているはずだ。
そのガイドラインに沿うように、構成された順番に感じたことを書いていけば、自分がどんな突拍子もないことを想起したとしても、最終的にまとまるはずだ と思っていた。
にもかかわらず、原稿がぜんぜん、収束しない!!
触発されることは多いから、あれもこれもと浮かぶけれど、浮かんだままに引き連れてきたアイテムは、全く収まらない。
筆者のわたしが読んでも、何がいいたいのかわからないぐちゃぐちゃな文章になってしまう。
(なぜだろう?)
村松さんのメールマガジンに沿って、想起される事象を追いかけているだけなのに。
(どうしてだろう?)
何度もメールマガジンを読み返し、全てを結ぶ流れを軸に再構築する作業は時間がかかるし、こんなやりかたがいいのかどうかも疑問だし、それでもつながらないことが残るので、途方にくれる。
(うーん)
「村松ビュッフェ」だと書いたのは、秘かな抗議だ(笑)
* * *
そのうち、題材が未知の領域に及んでくると、再構築の手がかりがみつけられなくなった。
何が軸なのかわからない。
それで、幾つテーマが浮かんでも、一つだけにしようと決めたのが数号前。
感想エッセイは一気に短くなった。
でも、それだと、メールマガジンの輪郭はわからないのだ。
(わたしは、なんのために書き始めたのだったか?)
一つは自分の感覚の記録だ。
そのとき、触発されたものや受け取ったメッセージは、そのときだけのものだから、残しておきたかった。
文章は、読むたびに投げかけてくる波紋が違うから、初動を特別に扱いたいと思った。
ブログで発信することにしたのは、人に読んでもらう文章として書かなければ、あとから読んだ時におもしろくないからだ。
それなのに。
夢中で書きたいことを書ききった記事は、しばらくたって再読すると、途中でやめたくなるくらい長い。支離滅裂。
といって、ワンテーマだとメールマガジンの本髄に迫れない。迫ろうとすると、支離滅裂……
技術のなさに落ち込んでいたけれど、今回のメールマガジンの冒頭で、その謎が解けた。
【本来、文章は一つのことを書いて、一つのことしか書かないのがいい。そのほうがすっきりして読みやすい。
でも、この『GOLD 2012』では、僕はいつもそういう一つの焦点では収まらない文章にしてしまう。
二つの焦点を持つと曲線は楕円軌道を描く。
(二つ以上焦点があるとどうなるのだろう)
いくつもの焦点があって、単純な円軌道からは逸脱していく。意図的というよりは、そうしないとおさまらないのだ】
(そうだったのか!)
そもそも、焦点がいくつもあるメールマガジンだったのだ。
いくつもの焦点をもつ楕円軌道から発せられた想念を、単純な円軌道に収めようと、わたしは苦悩していたというわけだ。
理由がわかってホッとした。
村松さんのメールマガジンは、長期にわたる購読期間の中で、最終的に収束していくものだ。
そのときに、各号の多焦点が結ばれて、一つの銀河となるのだろう。
感想エッセイは、そんな構成を想定していなかったので、どうしたものだか(汗)
***
何度目かで気づいたことは、村松さんのメールマガジンを読んでいると、見えないラインマーカーを引くように、グループ分けができていくこと。
章ごとに色分けされているわけでもなく、ラインマーカーの色は、無秩序に現れる。
そのブロックを抜き出して、村松さんの言おうとしていることを考えていた。
(この仕掛けはなんだろう?)
(ある効果をもたらすテクニックなのだろうか? どうして、まとめて書いてくれないのだろう?)
と、ほとんど、呪詛のごとく、ブツブツ言っていたけれど、それが、多焦点の軌道というわけだ。
(なるほどなあ……)
【とにかく僕はこのメルマガを始めてから、いくつもの焦点がある文章を書くのに少しは慣れてきた。
読者の皆さんも少しそれを読むのに慣れてきただろうか。
文章とは本来こういうものなのだ。~中略~
非常に食べやすく切り取られた文章ばかり読んでいると消化能力が落ちる】
村松さんは、やっぱりすごいな。
****************************
次回、大阪Wセミナーは9月)開催です! 詳細は決まり次第、ご案内します。
日時 平成24年9月9日(日)
10:15-12:45 「表現の会」(何のワークかは、お楽しみ!)
13:30-17:30 「SBAセミナー」(再受講制度あり)
場所 京橋井戸端ステーション
****************************