子どもとすごす時間に培われていくものは、
にわかに取り繕えるものではなく、
日々の積み重ねのなかで、育っている。
それはとても正直に。ゆるぎなく。
まっすぐに。


*    *    *


仕事帰りに、乗換駅地下にある大型スーパーで、


(次の快速までに、牛乳とブロッコリーとパンと卵を買う! 急げ!)


と、ダッシュでカートを押していると、保育園カバンを斜め掛けした兄弟が、ちょろちょろと、お母さんのまわりを駆けまわっているのが視えた。

子供たちは、何がおかしいのか、ゲラゲラ笑ってふざけている。お母さんは真剣な顔で、ニコリともしないで品物をカゴに放り込んでいる。
保育園のお迎えの帰りになど、スーパーに寄りたくないに決まっている。買い忘れたものや、どうしても必要なものがあって、やむなく寄ったのだろう。さっさと買ってレジに向かいたいだろうに、二人の保育園児はおおはしゃぎだ。


(わかるわかる)


ふだんなら、保育園からまっすぐおうちに帰るのに、お母さんとスーパーマーケットだ。興奮するに決まっている。明るい店内は、いろんなものがあふれている。


(いろんなもの……)


最短距離で目当てのものを買い求めたいけれど、その方向には、子供たちの目を奪う、ジュースやプリンやお菓子があったりする。だから、乾物だの味噌や醤油だの、子供たちの興味をひきそうにないものの列を選びながら、目的地へ向かう。


そんなにまでして、大きく遠回りしているにもかかわらず、いきなり、新発売のお菓子のワゴンが、ありえない場所に出現!!


(おーまいがー)


(おかあさん、これ何?)
(さわったらダメ。買わないの)
(おかあさん、これ、お菓子?)
(さあ。わからない。ちがうと思う)
(おかあさん、これ、おいしい?)
(子どもが食べたらあかんと思う)
(おかあさん、これ、お菓子やで。おばあちゃんちで食べた)
(ええーーーーっ???)


一人だと、サクサク進む買い物が、ちょろちょろと動く子供たちに阻まれて苦戦しているのを、過去の自分と子どもたちのやりとりを思いだして、なつかしく眺めていると……


そのうち、弟のほう……推定三~四歳……が、かけていた水筒をカメラに見立てて、写真を撮り始めた。バズーカ砲みたいに上手に抱えて、パシャパシャ撮っている。


(ものすごい望遠レンズだ…… プロのカメラマンみたい!)


水筒カメラは、なかなかサマになっている。
ずっと見ているわけにはいかないので、笑い声を背にすると、聞くともなく声が追いかけてきた。


「今度は、おかあさん、撮ってあげる!」


豆腐や厚揚げを撮るのに飽きて、おかあさんにカメラを向けたようだ。

その瞬間。
思いもよらないセリフが聴こえた。


「パシャ。 はい! かわいく撮れた!」


(え!?)


制御不能な反射神経(!)
「かわいく撮れた!」という子供の声を聴いた瞬間、


(そんなにかわいい顔してたっけ?)


わたしは全身で振り向いてしまったのだーーーーーーーーーーーーっ。

子どもの声は、よく通り、まわりを気にしたお母さんが、とっさに顔をあげたので、バッチリと目が合ってしまった(!!)

精肉売り場と豆腐・納豆・おから売り場のスクランブル交差点。目と目がクロス。


気まず……


しかし、頭をさげて、ニッコリ笑うくらいの度量は持ちあわせている浜田。
眉間にシワを寄せて、もくもくと品物をかごに入れていたお母さんの表情が、きまりわるそうにゆるむ。


(かわいい子たちですねぇぇ~)


お母さんの顔は……
かわいさで人目をひくタイプではない、と思う。


でも、「かわいく撮れた!」 ……なんだ。

今はこんな、ぶっちょうづらでカートを押しているお母さんも、子供たちの写真を撮った後は、いつもこんなふうに言うのだろう。
シャッターを押したときの決まり文句なのだろう。

ちがう。決まり文句などではなく、心から、そう思っているのだ。


(いいなあ~)


そういえば、ニコリともしないお母さんのまわりで、子どもたちは、ずっと満面笑顔だった。
お母さんだって、時間に余裕があって、仕事帰りのキリキリ舞のスーパーじゃなかったら、大声で笑い転げている人なのかもしれない。


子どもとすごす時間に培われていくものは、にわかに取り繕えるものではなく、日々の積み重ねのなかで、育っている。それはとても正直に。ゆるぎなく。まっすぐに。


怖い顔でカートを押すお母さんが、どれだけ、子どもたちを愛しているか。
ちっちゃな水筒カメラマンは、このさき、ずっと大人になっても、シャッターを押したあとは、きっと言うだろう。


「はい、かわいく撮れた」


それが、母親のあふれんばかりの愛情だと、いつ、気づくだろうか?


*    *    *


さて、わたしはどうなのか? 

結婚しているようにも、子どもがいるようにも、見えないと思う。独身だと言っても異議は唱えられないだろう。
結婚するとは思っていなかったし、子どもを産み育てるとも思わなかった。
それでも、結婚生活は楽しいし、子どもたちはすぐそばにいる。


かわいいものはかわいいし、かわいくないものはかわいくない。


コツメは客観的にはかわいくない。と思うけれど、
いたいけのなさというか、ちんまりとした丸さや、まったく整っていないところが、いじらしくて、はぐはぐむぎゅむぎゅに、かわいいときがある。


一緒に寝ているので、寝顔にちゅー。ほっぺたにむぎゅー。かわいいかわいいと、毎晩つぶやかずにはいられない。重い足を胸に乗せられても、夜中に平手打ちが飛んできても、いつ見ても、布団を蹴りまくっていても、なだれのように転がってこられても。


朝、目が覚めたら、そばに寝顔があって、平和な気持ちになる。
先日、じっと見てたら目を覚ましたので、オハヨーを言って、


「コツメ、かわいいー」


と、ぎゅーしたら、その瞬間、速攻で、信じられないリターンが。


「おかあさんが、いちばん、かわいい」


(えぇぇぇーーーーーーーーーーーーっ?)


ものすごい、リターンエースだった。やられました。娘にねぎらわれている……


耳を疑い、
それから、
嬉しくなった。

そして……


(わたしだって、小学校六年生まで、母が世界で一番きれいだと、思ってたんだよなー)


実は、わたしは、母とは仲良しこよしではない(笑)
大好きなお母さんが、お母さんじゃなくて、人間であり女性だということを、思春期に、うまく受け入れそこねてしまったからだという気がする。


〈おかあさんが、いちばん、かわいい〉


と言ってくれたコツメにしろ、その気持ちのまま、大人になるわけはないから、これから、どんなふうになるのかを考えると、のんきに喜んではいられない緊迫感がある。


コツメは小さいときから、わたしの母親か、姉のようなところがあるので、このまま、甘やかしてほしいなあと思う(笑)
願わくば、


〈ダメダメだけど、おかあさんは、おかあさん〉


くらいに、思って赦してくれないだろうか。いちばんかわいくなくていいから(笑)


*    *    *


しかめっつらのお母さんを、水筒カメラで笑顔に変えてしまう保育園児も、いつのまにか、母親の心のツボを心得ているコツメも、百発百中人生まっしぐらのリクトも、子どもたちは誰だって、先に生まれている家族を助ける使命をもって、生まれてきた。


生まれてきてくれて、ありがとう。


最後に生まれたコツメは、実は、いちばんすごいのだ。大活躍。これからも、よろしく頼みます。
コツメのことを助けてくれる人との出逢いは、みんなで応援しています。
おとうさんもおかあさんも。おじいちゃんもおばあちゃんも。おにいちゃんもきっと。


浜田えみな