フェイスブック
ワンハンドレッドポエムズ
佐伯祐三
* * *
「フェイスブックやってる?」
と訊かれることが多くなった。
イベントの告知もフェイスブックが便利だという。
そんなことを言われても、ブログだけで手いっぱいだし、携帯電話すら使わない生活なので、これ以上、余分なことに時間を使いたくない! と思って、手を出さずにいた。
……のだけど……
どうしても参加したい企画があり、フェイスブックのアカウントがないと参加できないため、覚悟を決めて登録しようと決めて一週間。仕事もこれからがピークで残業続きだし、新しいことを始める気力は生まれず先延ばしにしていたら、今朝、以前通っていたヨガ&ピラティス教室の先生から、フェイスブックのお誘いメールが届いた。
(……)
これは、すぐにやれというサインだと思ったから、一瞬で登録してしまった。説明も読まずに。
さらに、よくわからないまま、イベントのページに村松先生のセミナーの告知まで登録。
(こんなんでいいのかな)
背中を押してくれたヨガの先生のことだまは、「あ」。
新しい展開。希望。ひらめきのことだまだ。
確かに、新しい扉が開いた。
みんながおもしろいと言っていたわけがわかった。
右端に出る〈知り合いかも?〉は、どういう仕組みで抽出されているのだろう?
本当に、つながりのあるお友だちが数珠つなぎになっていた。
(わー みんなフェイスブックしてるんだー)
懐かしすぎる人もいて、思わず写真をクリック。
(こんな顔だったっけー?)
また、名前には見覚えがあるけれど、アイコンのシルエットがあまりにも太っていてオバサンっぽいので、同姓同名だと思ってスルーしていた人がいた。
でも、出身地などが合致して、やはり気になるので、クリックしてみたら、太っていたけど面影が(汗)
(えーーーーーーっ ○○ちゃん!?)
失礼すぎて、ディスプレイの前でとびあがりそうになった。
* * *
シンクロニシティ
昨日、ブログに「日本人」であることと、万葉集のことを書いたのだけど、直木賞作家の中島京子さんの『花桃実桃』という小説を読んでいたら、関連する出来事が出てきたので、驚いた。
その概要は……
主人公の茜が相続し、管理人となったアパートに、新しい入居者がやってきた。近くの大学で教鞭を取るクロアチアの詩人、イヴァン先生。先生がポケットに入れて持ち歩いているのが、
「ワンハンドレッド・ポエムズ」
(もしかして、百人一首?)
「アイライク、ジス」
と言って、主人公に先生が見せてくれた詩は、英語で書かれていた。
(そうか、英訳が)
そうなのだ。一音一音たいせつに、省略することも違えることもなく、漢字の音を借りて表現した歌だって、現代では英訳されているのだ。
(ちょっと見てみよう)
ネットで検索すると、たくさん出てきた。古典の訳は難しいから、平易な英訳を読んだほうが情景が理解できるのだろうか? と期待して読んでみたけれど、和歌を解する人たちからの評価は苦笑まじり(笑)
でも、時代背景や、歌を詠んでいる人の社会的な立場などから、ひもとかれるものが大きいので、それらを理解していないと、歌だけを読んでも、心情を訳することができない。
英訳どころか、現代日本語にさえ、訳せない。
万葉集二番目 舒明天皇 国見の歌の「うまし国ぞ。あきづしま やまとのくには」を、「ああ、日本はおいしい国だ」と訳したら、テストではバツだろうけど、現代口語なら、それもありかも。
* * *
佐伯祐三
ライブの日を間違えて、心斎橋まで行ってしまったので、「佐伯祐三とパリ展」を観てきた。
たまたま、学芸員が展示品の解説や作家のエピソードなどを話してくれる「ミュージアムトーク」の時間だったので、思いがけず、いろいろと話を聴くことができた。
佐伯祐三が三十歳の若さで異国の地で亡くなったことは知っていたが、一人娘もその二週間後に亡くなったと聞き、遠い異国の地で夫と娘をほぼ同時に失くした米子さんの心中は…… と思うと、たまらない気持ちになり、帰宅してから佐伯祐三のことを調べてみると、真実は定かではないけれど、事件性を含んだ状況なども記されていた。
美術館で絵を観ていたときとは暗転だ。にわかには信じられない。
当然、学芸員は、こういうことを知った上で、それをうまくぼかしてレクチャーしているのだ。
この疑惑のことを質問した人はいなかったから、あの場にいた人は、誰も知らないのだろう。
ネットに掲載されていた、佐伯祐三の身体が悪くなりはじめてからの書簡などを読んでいると、絵にとりつかれたような激情と焦燥、死を逃れられないことを覚悟した無念さが悲痛に伝わってきて、途中でやめることができなくなり、読み進むうちに、ずいぶんと記事を読んでしまった。
(まさかこんなことになるとは……)
今日は、村松先生の「GOLD2012」13号のリターンエッセイを書くはずだったのに!
* * *
そうそう。びっくりしたといえば、金山平三の評伝の中で、島崎藤村の「エトランゼエ」からの引用があり、当時、パリにいた日本人芸術家たちの交流のようすなどがわかることを知って読んでみたくなり、島崎藤村を調べたときにも、その女性関係の事件を知って、
(ひょえーーーっ)
と思ったのだった。
教科書に出てくる文豪なんて、知っているつもりでも、入試問題に使われる作品しか読んでいないことに、この年になって気づいた。
うわー まとまらないまま、今日は終わります。
佐伯祐三の書簡は堪えます。……
* * *
気丈に死なないといいながら、死に近づく自分を予知し、死から逃れるように、異常なまでの執念で絵を描き、評価を求めている。
自分を信じる信念と決意が悲壮なまでに繰り返し綴られている。
からだの変調により、目もよく見えなくなり、色彩感覚もわからなくなった中で、あの「郵便配達夫」や「ロシアの少女」の絵が絵かがれたのだと知ると、絵を観る眼がまったく変わってくる。
さまざまな見解とアプローチがあり、どれを信じたらよいのか、真相はわからないけれど、単なる情事のもつれではなく思想や政治的な背景もからんでいるような考察もあり、絵の制作過程における重要な考察もあり、壮絶・凄惨としか言いようのない最期に言葉を失う。
日本には描くものがないと言って、再びパリに立ち、二度と日本の地を踏むことなく生涯を終えた佐伯祐三。
同じように日本を離れ、日本に戻らなかった藤田嗣治は、けれども日本の面相筆を使い、日本人にしか描けない色や線でヨーロッパの人々を魅了した。
渡欧後、帰国し、日本に描くものを見つけ、生涯、日本人にしか描けない日本の風景を表現しつづけた金山平三。
(佐伯祐三は、何を描きたかったのだろうか)
帰国してしばらくアトリエを構えた下落合の風景を描いた佐伯祐三の作品に魅かれる。いつか原画を観たい。
浜田えみな