公式があるなら知りたい。
方程式があるなら解きたい。
「作者にしかわからない変換方法」を探している。
自分自身でも気づいていない、
自分の変換方法を探すように。
* * *
神戸に行くことになった。せっかくなので美術館のハシゴをしようと検索すると、
「日本の印象派 金山平三」 という文字が出てきた。
(聞いたことがない名前だ)
兵庫県立美術館のホームページを見ると、リンゴなどの静物を描いていた頃のセザンヌのようなあたたかみのある色使いの絵や、日本各地の自然の風景画がたくさん出てきた。
そのときの印象は、
(まあ、みてもいいか)
きれいな絵だから、心が平安になるだろうと思ったからだ。
ところが。
さらに情報を集めて記事を読むうち、
(絶対に観に行く!)
と思わせる金山平三の言葉があった。
「日本人にしか描けない日本の風景」
「おまえは線で描くが俺は色で描く」
この「日本人にしか描けない日本の風景」という言葉にとても魅かれた。
四年もの留学で、ヨーロッパ各地のそれぞれに特徴ある自然や人々にふれ、つぶさにスケッチしてまわり、日本に帰ってきた金山平三が気づいたもの。それを、強く求める衝動を感じた。
「色で描く」という言葉も迫力があった。これは、東京美術学校の後輩である小磯良平に対して平三が言った言葉とのことだった。
金山平三の名前は聴いたことがないけれど、小磯良平の絵なら即座に思い浮かべることができる。好きな作家で、神戸の小磯良平美術館にも行ったことがある。兵庫県立美術館には小磯良平の展示室があり、折に触れ作品を鑑賞できる。きれいな女の人のまなざしが、とても印象的な作家だ。
小磯良平が線で描く画家だと意識したことはなかったけれど、「線」あっての色彩だと言われれば、そんな気もする。となると、それに対して、「色で描く」という平三の絵が、ぜひとも観たくなった。
違和感を覚えたのは、チラシにもレウアウトされている
「春になったら、みんなでHEIZO」
という、あまりにもポップなキャッチコピーだった。
写真で観る金山平三は、西洋風の顔立ちのモダンなおじいちゃんだが、明治気骨の人だ。しかも日本の近代洋画の巨匠。
(みんなでHEIZO?)
フレンドリーで、明るく愉快な人なのだろうか?
* * *
軽い気持ちで出かけた。
きれいな絵を「きれいな絵だ」と鑑賞するのに、時間がかかるとは思えなかった。
風景画の色と構図を、あまりにも浅く考えていた。
せっかく足を運ぶのに、あまり早く観終わるのも、もったいないと思い、ミュージアム・ボランティアによる解説会に参加した。
百人入るレクチャールームなのに、入場したのは十数人だった。
写真や作品のスライドが映し出され、見るからに慣れない様子の女性が、用意された原稿をたどたどしく読んでくれた。おいたちが語られ、東京美術学校の卒業制作が映り、ヨーロッパ留学時代の風景画がスクリーンに映った。
「この頃はまだ、構図も考えず見たままを描いています」
(え?)
これが最初のスイッチだった。
風景画なんて、どれも同じに見える。どれも見たままを描いているのだと思っていた。
(見たままでない風景画?)
* * *
最初の自画像で心をつかまれた。こういう自画像を描く人は好きだ。
パネルの言葉も、一つ一つ読んだ。
ここでも、
「見たままを描くから構図と色へどのように画一していったか」
という言葉があった。金山平三の絵は
「ある時期から「眼」が変化する」 と。
このときにわたしの心に浮かんだのは、
(その変化を探したい)
そして、
(見たままを描いていいのだ)
ということだった。
東京美術学校を主席で卒業し、ヨーロッパ留学をしている、後の日本の洋画界の大家でさえ、「見たまま」を描いていたのだ。
(見たままなら描ける)
(見たままから始めていいのだ)
(絵が描きたい)
……
わたしは、文章と同じくらい絵が好きだ。
小さなころは、絵のほうが得意だった。それなのに、なぜ、絵ではなく文章を描いているのか? その答えを、金山平三展が教えてくれた。
それは、企画展ではなく、常設の金山平三展示室のパネルの文章の中にあった。
ここに来て初めて気づいたのだけど、私は何度も金山平三の絵を観ていた。
神戸県立美術館でさまざまな企画展を見るだびに、常設展示のこの部屋に足を運んでいた。
隣の小磯良平展示室の印象ばかり強くて、日本の美しい風景を描いた小作品の画家は、名前すら覚えていなかった。
パネルの文字も、何度も読んでいたはずなのに。
美術評論家の今泉篤男氏が、金山平三の「眼」について書いていた。
「肉眼の知覚だけで、目前の風景の示している空間を受け取るのではない。空間の軸、空間の広がり、知覚だけによらないものを直感によって受け取っている」
「私たちが普通に見ては気づかない風景の構造や見分けられない形、目に留まらない色彩をその作品において見せてくれる」
さらに学芸員の言葉が続く。
「自分自身でしかわからないやり方で現実の風景を絵画でしか実現しない何か別のものに置き換えている」
これらの文章に、眼が覚める思いだった。
(なぜ画家は絵を描くのか?)
それは、直感で受け取った知覚だけによらないものを、自分自身にしかわからないやりかたで、「絵画でしか実現しない」何か別のものに置き換えているからだと、今泉氏は述べている。
絵画でしか実現しないものを、画家はその作品において見せる。
それならば、
文章でしか実現しないものを、ものかきはその作品において見せているのだ。
わたしが、絵を続けなかったのは、どうやって絵に置き換えたらいいかわからなかったからだ。
唯一、感じたことを絵画で表現できたのが人物画だった。人物であれば、わたしは自分の感じたことをキャンパスにのせることができた。顔には表情があったからだと思う。
眼はもちろん、眉や、鼻さきや、口もとや、頬や、顎や、そのいたるところで、その人を表現できると感じ、表現するために打ち込むことができた。どうすればいいかが直感でわかっていた。
だから、人物ばかり描いていた。
風景や静物には、どんなふうに感情を入れればいいのか、まったくわからなかった。
風景は見たまましか描けなかった。構図は、自分の立ち位置を変えることでしか思いつかず、表現のために構築するなどと思いもよらなかった。
テーブルの上の静物は、なぜモチーフにするのか全くわからなかったし、見たままを描いても、ちっともおもしろくなかった。
部室に転がっている適当なモチーフ(花瓶やグラスやビンや筆洗や筆やパレットナイフや絵の具や木箱や布や紙!)に、いったいどんな感情をこめられるというのだろう?
今なら、風景の表情も、静物の表情もわかる気がする。
構図や色彩表現のもつ可能性についても、なんとなくイメージできる。
気負わず、見たままを描くことから始めればいいのだとわかる。
自分が表現したいものが、そこに「置き換え」られるかどうかがわかるまで。
そう気づいたら、絵が描きたくなった。
技巧ではなく、「表現したいもの」と、学芸員が「自分にしかわからないやりかたで」と述べている、この「置き換え」かたが、作品を創るときも観るときも、わたしを刺激する。
わたしは、どのような変換機能を使っているのだろう?
そして幾つもっているのだろう?
* * *
画家としての生涯のほとんどをスケッチ旅行に費やしていた金山平三は、旅先から妻にハガキや手紙を書いている。その数は七百通にもなるそうだ。
企画展のパネルに掲示されていた文面の中に
「どこを見ても描けるので気が散ってならない」
「まだ美しさが見える小生には絵描きの幸福を味わっている」
「うっかり早死にしてはならぬ」
というものがあった。
絵描きの眼を持つ者としての幸福。
これは、今泉氏の言葉を借りれば、
「自分にしかわからないやりかたで、絵画でしか実現できない方法で置き換え」たいと、全身全霊が沸き立つほどに覚える感動や衝動に出会う幸福のことだ。
それならば、
「ものかきの眼を持つ者としての幸福」
もまた、確かに在ると信じることができた。
このことがわかっただけでも、金山平三展に来てよかったと思った。
文章を書こうと書くまいと、作品が世に出ようと出まいと、「ものかきの幸福」を、わたしは一生味わうことができる。
嬉しい。
うっかり早死になんてできない。
* * *
金山平三の作品が伝えるものはなんだろうか?
わたしは風景画が好きなのではない。印象派が好きなのでもない。
金山平三が好きなのだ。
金山平三の絵には、彼が直感で受け取ったものが、彼にしかできないやりかたで、絵画でしか実現できないものが、その色と構図に置き換えられている。
その「置き換えかた」に惹かれている。公式があるなら知りたい。方程式があるなら解きたい。
今まで、
その前から動けない作品というのは、作者の投げた「問いかけ」に応えたいと願っているからだと思っていた。
それが何かはわからなくても、答えがすぐに出なくても、その問いを魂がキャッチし、からだが反応しているのだと思っていた。
でも、金山平三展に来て、
「作者にしかわからない変換方法」を、わたしは探しているのかもしれないと思った。自分自身でも気づいていない、自分の変換方法を探すように。
(波長が合う)
と、公式や方程式がわからなくても、どんどん「解」がなだれこんでくる。
好きな作家、惹かれる作家とは、そういうものだ。
金山平三のことをもっと知りたくなり、いつもは絶対に購入しない図録を買った。
絵が観たかったのではなく、解説が読みたかったからだ。
絵のページは見ない。
原画の印象が、消えてしまう。図録の色は、まったく違う。
どんなに印刷技術が進んでも、死んでいる。
印刷された絵を観ないようにして、コラムや解説を読んだ。
もっと知りたくなった。
飛松實氏の「評伝金山平三」という本を読みたいと思い、さっそく注文した。
「逸話金山平三」という豆本もあった。こちらは希少な本らしく、値段も高いので原典にはあたれないけれど、金山平三のエピソードを詳しく書いているブログを見つけた。読むのが楽しみだ。
今さらだけど、美術に限らず、どの分野においても、西洋の文化がなだれこんできた明治期以降の日本人の創作活動には注目すべきことがたくさんある。
そして。
小説家でも、写真家でも、画家でも、自分をステージアップさせるアーティストとの出会いがある。
金山平三は、そうだと思った。
会期中、あと二回は足を運ぶ。
浜田えみな
(つづきます)