クロッキーは、
短い時間で本質を取り出す作業。
造形を超えて、写実を超えて、
挑んでくるものの声を、聴いて、応えること。
いくら感じても、いくら受け止めても、
線を描かなければ、呼応できない。
応えたい。
* * *
文章学校の校長先生 村松恒平さんの、文章力強化ギプス『言葉のクロッキー2012』 が開講されます!
(文章力強化ギプス???)
こんな見出しもついています。
〈描写訓練メソッド!〉
ツイッターでは、こんな言葉も。
自分が文章の可能性のごく一部しか使っていないことに気づくこと。そのことに意識的になったときに、表現能力はにょきにょきと伸び始める
(にょきにょき!!)
校長先生の開設サイトに飛んでみましょう。
シンプルでさりげない課題の中に、僕の30年に亘る編集・ライター生活のエッセンスを凝縮してあります。今までの文章ワークブックの類の中で、最強のメソッドであると自覚しています。
〈30年に亘る編集・ライター生活のエッセンスが凝縮!〉
〈最強のメソッド!〉
* * *
といっても。
受けたことがないので、わたしもわからないのですが(笑)、
実施要綱を読むと、毎週金曜日の朝、メールで課題が届くようです。クロッキーといっても、それですぐに書くというのではなく、イメージが固まるまでは、あれこれ考えていいのだとか。
だけど、いったん机に向かって書き始めたら、三十分以内で一気に書きあげる! 字数は四百字程度。
これがルールだそうです。だから「クロッキー」なのですね!
期限までに提出すると、翌週日曜日の午後に作品例と解説が届きます。至れり尽くせり!
* * *
(ここがすごい!)
と思うのは、課題作品を投稿したり、仲間の課題を読んだりできるWEBページが併設されること。
同じ課題に、ほかの人がどのようにアプローチし、どう表現したかを読むことができるのです。
文章を発信することは、一方通行でひとりよがりになりがちです。でも、同じモチーフにアプローチする他の視点や、それを表現する文章の風合いを、リアルタイムに感じていくことは、自分を俯瞰することであり、気づかなかったクセや、とらわれている「枠」に気づくことができると感じます。ブレイクスルーするきっかけが生まれるはずです。
村松さんは、こんなふうに書いています。
文章を書くときには、精神の在り方全体が重要になる。
凝り固まった部分をほぐし、柔軟に心が動くようにすること。
心の筋肉をパワーアップすること。バランス感覚を磨くこと。
文章を書くことは、精神の運動全体を活性化すること。
* * *
言葉は、ライターや小説家になりたい人だけが関わるものではありません。
【言葉で表せないものがある】
確かにそうかもしれません。
だけど、私たちは、言葉を持ち、言葉とともに生活しています。可能なかぎり、表現できたほうが、さしだすものも、受け取るものも、格段に豊かになるのです。
自分に芽生えた気持ちに向きあい、浄化をしたり、ろ過したり、純度を高めたりして、精製することは、めんどくさそうだし、ややこしそうです。でも、そうして生まれた言葉は、結晶のようにきれいで、いつまでも消えない灯となって、心を照らしてくれると私は思うのです。
クロッキーは、短い時間で本質を取り出す作業です。
ブレず、ごまかしのない、自分の決断の切り口を、毎週一題、十か月、四十の課題で挑戦することができます。
いつのまにか、言葉では表せないと思うより先に、言葉が浮かぶスキルが備わっているとしたら?
すぐに言葉がみつかったなら、いつでも差しだしたくなるでしょう?
心の筋肉のパワーアップとバランス感覚は、どんなことにも役立つはずです。
* * *
なんちゃって。
あちこちで、
「文章を書くことが好きです!」
と、はばかりなく宣言しているけれど、よく考えたら、文章修業など、ほとんどやったことがないのだった。
十代最後の二年間という、振り返ればゴールデンな時期も、文章なんかまったく書かずに美術のサークルで油絵を描いていた。
そのとき、ヌードクロッキーに参加した。
こんな機会はめったにないから、絶対に参加するようにとのお達しで、某京都工芸繊維大学美術部主催のヌードクロッキーに、先輩たちと参加したのだ。
初めて行った京都工芸繊維大学は、世界の果てのように遠い辺境に感じたけれど、今、地図を確認したら、当時はなかった地下鉄が通っていて、そんなに不便な場所でもなかった。
幾つくらいの大学の美術サークルに声がかかったのかはわからないけれど、部屋にいたのは三十人くらいだろうか? 五十人くらい、いたのかもしれない。
カーテンを閉め切った空き教室に場を作り、そのまわりに、椅子を並べて、スケッチブックを膝に置いて、緊張して待っていた。だって、ヌードクロッキーなのだ。
ガウンを羽織ったモデルさんが入ってきて、すみっこに腰掛けた。小柄な人だった。
進行役の男子学生から、タイムスケジュールなどの説明を受けた。一ポーズ何分とか、休憩が何分とか。
その人が、ものすごくテキパキしていたことを覚えている。
一瞬でガウンが脱ぎ捨てられ、
(!)
あたりまえだけど、その下には何もつけられていなかった。
びっくりする間もなく……
モデルさんが肢体をしなやかに伸ばして、ポーズを決める。
ものすごい威厳だ。微動だにしない。ブレない。迷いがない。すきがない。別人のようだ。
どんなふうに描こうか、どこから描こうかなどと、ぼやぼや考えていたら、情け容赦なく次のポーズに変わってしまう。
迷ってる時間はない。一瞬で判断して、決めたら描くだけだ。
つぎつぎに新しいポーズをとり続ける能力に感動した。
モデルさんは、細くて小さくて、胸もおしりもペタンコで、痛々しいくらいの人だったのだけど、そのポーズにはリズムと躍動感があった。
(精神力というのだろうか?)
堂々として、ゆるぎない、プロ意識のようなものが、みなぎっていて圧倒された。
そんなエネルギーとは裏腹に、クロッキー帳の真ん中に、どうすることもなく萎縮して、心ももとなく、ちぢこまっていた一枚目。
それは、わたしの心だ。
クロッキーは、わたしを描くのではない。
何枚も描くうちに、だんだんわかってくる。
何を描くのか。どこを描くのか。自分が何を感じているのか。
駆け引きのような時間との闘い。集中。
描ききれなかった焦燥感。敗北感。
納得のいく線が描けた満足感。達成感。
その繰り返しのなかで、線が描けるようになっていく。
終わったあと、クロッキー帳を中央に並べて、一ポーズごとに、いっせいにめくって、品評会をした。先輩たちが、口々に批評する。めくるたびに、自分のクロッキーが変わっていくのがわかる。
「あれ、いいね」
と、見知らぬ他大学の先輩に指さして言ってもらえて、嬉しかった。
クロッキーに求められているのは写実ではなく、本質をとりだすことだと、あのときに、わかった。
造形を超えて、写実を超えて、挑んでくるものの声を、聴いて、応えること。
いくら感じても、いくら受け止めても、線を描かなければ、何も感じられなかったのと同じになることを、中途半端なクロッキー帳の一枚目が教えてくれた。
応えたい。だから描く。だから書く。
言葉のクロッキーは、やったことがない。
でも。
応えたい。
限られた時間で。限られた字数で。
このことは、私にとっては、ものすごいギプスだ。
字数制限も時間制限もないのをいいことに、長いブログを更新中の身としては(汗)
十か月後、キレとコクをそなえた浜田になりたい。
サービス定食みたいな文章じゃなくて。
浜田えみな
よかったら、いっしょにクロッキーをしませんか?
ふだん、文章を書いていない人のほうが、ギプスをはめられた感がないぶん、有利です(笑)
わたしなんて、両手両足にギプス。背中には砂袋。腰には古タイヤです。トホホ。
4月6日配信スタート。→ 言葉のクロッキー2012
十か月間。四十枚のクロッキー帳は、たからものです!
村松恒平さんはこんな人です → 文章学校