青空のゆくえ


笑う門には、いつだって、
最大級の福が来る。


*    *    *


新しい季節が始まった。


今日のこの日のことを、去年の悲壮な私は、想像もできなかった。
一年後に訪れることはわかっていても、それまでの間、どんなふうに乗りこえたらいいのか……、乗りこえられるかどうかも、わからなかった。


でも、明けた。


年季奉公を終え、晴れて自由の身になった気分だ。目の前に広がるのは、日の出前の海。昇る朝日に照らしだされるものは……


(嬉しい!)


だって。
昨日まで、わたしは、十二年に一度と言われる「年の天中殺」だったのだ。

ふだん、占いには関心がないのに、インターネットの「無料算命学占い」をやってしまった。軽い気持ちでクリックしたら、いきなり、恐ろしい言葉が連なっていて


「人生の冬の時期」


という宣告を受けた。ちょうど、去年の今ごろのことだ。
知らなければどうということもなく過ごしたはずなのに、知ってしまうと、とらわれてしまう。


しかも。
置かれた立場と行く末を見れば、それまで遭遇したことにない試練のオンパレードなのだ。
PTAの本部役員。子どものクラブチームのスタッフ。職場では人員減。それまで二人でしていた仕事を一人で受けもつことに。
慣れないこと、自分の思い通りにいかないこと、多くの人たちの感情との対面、自分が中心になって動かなければいけないこと、人を動かさなければならないこと……。


(こんなん、ほんまはイヤやねん)


と、逃げだしたいことばかりだった。


でも、終わった。


たしかに、気分的には、谷底につき落とされたような悲惨な気持ちも味わったけれど、頑張れたことや、つかんだこともあった。
あの日々が「天中殺」なのだったら、そこから解きはなたれた今年は、いったい、どんなすごいことが待っているのだろう?


明けたのだ。


「オニは外! オニは外!」
「福は内! 福は内!」


*    *    *


二年前の節分に書いたブログのタイトルは、「オニの面はなぜ?」という。


豆まきの由来を調べると、オニの面など必要ないことがわかる。なのに、なぜ、福豆とセットで売っているのだろう? 保育園で工作をするのだろう? 


「オニの面はなぜ?」


自分で書いておきながら、内容をすっかり忘れていたので、節分の朝、コツメに声をかけた。コツメは工作が得意だから。


「今日、豆まきするから、学校から帰ったら、オニの面つくっといてね」


もっと早く、自分の過去のブログを読めばよかったのだ。でも、出勤前に、そんな時間があるわけがない。


*    *    *


子供たちが、もっと小さいころは、わたしも育児に熱意を燃やしていたので、わざわざ星形の巻きすを買って、ウィンナーと卵を巻いたり、ミートボールを巻いたり、細巻にしたり、邪道な巻きずしを作ったこともあったのだけれど、星形の巻ずしは、けっこう太目な上に、切り口を見せてこそ「星」なのであって、棒のままでは、ただ、いびつなだけ。
丸かぶりには、全く適さなかった。


そもそも、幼児の小さい歯では海苔をかみきることができないのだし、そのうち、乳歯の生え変わりで前歯が少なくなってしまうと、巻きずしの丸かぶりなんて、もう、ぜんぜん、ダメなのだ。


というわけで、いったん、やる気を失うと、もう二度と、節分に巻きずしを作ろうなどと思わなくなる。
つい、(魔がさして)実家の母に頼んでしまったのは、いつだっただろう? それ以来、母が作って届けてくれるのだった。


ところが。
田舎育ちの母がつくる巻きずしは、なんというか、ずっしり重い。すし飯の量が多いのだ。ぎちぎちにつまった巻きずしは、こん棒のようで、のどにつまるし、それだけでおなかがいっぱいになってしまって、とても苦しい。
途中でお茶も飲めず、恵方を向いて、黙って食べなければいけないのだから、そんな時には、ふっくらふわふわの巻きずしを、ほろほろと食べたい。まだ足りないと思えるくらいの量で!


幸い… といおうか、今年は、母からも何も言ってこなかったので、


(帰りにどこかで買おう!)


と楽しみにしていたら、メールが入った。


「巻きずし届けておいたからね」


(げ!)


心は、すでにデパ地下だったので、爆弾が届けられたような気持ち……。

つづいてメールには、具材は何と何で、子どもたちの分は何でとか、巻きずしに関する説明があり、


「とりあえず、今年も作れたから、食べてください」


とあった。


(…………)


そんなふうに書いてあるのを読むと、母の巻きずしを食べられる回数も、永遠ではないのだということに、あらためて気づく。食べたくても二度と食べられない時が、やがてやってくるのだと。


心していただきます。

新しく開ける年、どんな厄が降りかかろうと、はねとばせるパワーを、母の巻きずしが与えてくれる。


*    *    *


帰宅すると、玄関に巻きずしの入った重箱がおいてあった。


「コツメー。なんで、神様にお供えしてくれへんのよー」


とリビングに向かって叫びながら、カバンを置いて、コートを脱ぐ。

コツメが廊下に出てきたので、重箱を渡す。


「はい、神様にお供えしてきて」


台所に行き、鍋に水と昆布を入れて、しばらく待つ間に


(そうだ、節分の復習をしよう!)


と、自室に戻り、パソコンを起ちあげ、自分のブログ記事を検索した。二年前、節分の豆知識を得て、何やらしっかりと書いたことは覚えているのだ。内容は忘れているのに(笑) 

記事を読む。


(なるほど。そうだったのかー)


自分の記事なのに、初めて読むみたいな感動がある。ブログって便利だなー。


*    *    *


二年前の浜田家の節分のひとコマが、そこにあった。→ 二年前のブログ記事 「オニの面はなぜ?」
二年前のリクトとコツメ。今もたいして変わっていない。あいかわらずケンカばかりだ。

そのときの光景が浮かんでくる。
コツメは一年生だったのだ。画像の折り紙で作ったオニの面も、幼さが残っている。
リクトは、来年、中学生。もう、豆まきなんてしないだろう。


読み進んでいくと、インターネットで得た情報が書かれていた。


(これが読みたかったのだー)


◆節分とは?


季節の節目。春の節分は、冬と春の分かれ目だ。
旧暦の新年は春から始まるから、大晦日にもあたる大切な節目だったとある。

オニは、形の見えない邪気や厄の象徴で、丑寅の方角(鬼門)に棲み、牛の角と虎の牙をもち、虎皮のパンツをはいている。(どこの説?)
九歳のコツメの作った今年のオニは、なぜか細面(笑)で、角が虎ジマ。
二年前のオニの角は一本だったから、今年は、若干、ほんもののオニに近づいた。


◆オニはいつ来るの?


オニは、丑寅にやってくる。時刻では、深夜二時~四時。方角は北東。


(この時間に、豆まきをすればいいのだろうか? そんなことはないよなあ)


二時以降に起きていると、よくないのだとわかった。心の弱い部分に、何かが忍びこんでくるのだ。
厄祓いの一歩は早寝早起き。
 
◆なぜ豆?


大豆には、霊的な力が宿っていると信じられ、神様への供え物にもなっていることや、京都鞍馬山の鬼退治に、毘沙門天のお告げで、大豆を鬼の目(魔の目=まめ)に投げたことなどが書かれていた。
魔を滅する=「まめ」に通ずる などということも。


(おおお!)


そして、必ず「炒り豆」でなければならないと。
「射る」に通じ、拾い忘れた豆から芽が出ぬように。


(ことだまの力だなあ…) 


さらに読み進んでいくと…


「福豆は、神様の力が宿るように、豆まきをするまで、神棚にお供えしておきます」


(きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ)


そうだった、そうだった! 忘れていた!


あわてて、用意していた豆を台所に取りにいき、神棚に供える。

鍋を弱火にして、お吸い物の具は何にしようかと思いつつ、パソコンに戻る。沸騰するまでに戻らねば。


続きを読む。


「一家の幸せを願う行事なので、本来は、豆をまくのは家長の役目です。年男年女がいる場合には、厄祓いの意味でも適任。……」


(えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ)


もぉぉ、てんちゃん!!
てんちゃんは、今日はいないのだ。


家長が不在!
年男なのに!


(ぶーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ)


十二年に一度しかできない大チャンスだったのに!


なんで、節分に飲みに行くのかなあー
家で豆をまいてもらわないと困ります!!!
まあ、いいや。来年は、わたしが年女だ(^^)


「まきかたは、窓をあけて「鬼は外!」と、外へ向かって2回まき、鬼が戻らないよう、すぐに窓をしめてから「福は内!」と室内に2回まきます」


このことを、ずっと知らなくて、なんだかヘンだなと思いつつ、家の中で、オニの面をつけたてんちゃんや、子どもたちに向かって、「鬼は外!」と、豆を投げていた。
去年からは、家族で、奥の部屋から窓を開けて行っている。うちはマンションなので、ベランダに向けて豆を投げる。


ここまで読んだら、もう大丈夫だ。

(あ、もう一行あった!)


「恵方巻は、幸せを巻きこみ、祈りをこめて封じこめたもの。福が切れるので、包丁を入れてはいけません


だいじょうぶだよー。


*    *    *


「今年の恵方はどっち?」
「北北西」


子どもたちは学校で先生から聞いているので、すぐに応えてくれる。


(北北西ってどっちだー)


なぜか三人で立ったまま、巻きずしを、リコーダーのように構えて縦に並んでしまう。

おばあちゃんの巻寿司は、今年も、こん棒のように重く、ぎっちりだった。しかも、ずっと玄関に置かれていたので、冷えきって、のどを通りにくいことこの上ない(苦笑)


(お茶を飲んでもダメなんだろうか? ああ、ショウユつけたいなあ…… 用意しておけばよかった)


などと考えていると、


「もう、しゃべってもいい?」


半分ほど食べたコツメが、振り向いた。やれやれ。


「いいよー」
「ほかのもの、食べてもいい?」
「いいよー」


(おかあさんも、お吸い物飲みたい)


さらに罰当たりなことを思ってしまった。今年も大失敗。

二年前、どうして、このことが目に入らなかったのだろう?


今年得た知識。それは……


◆恵方とは


その年の福の神様がいらっしゃる方向!

恵方を向くとは、歳徳神様に向かって、その年の幸せを巻きこんだ食べ物をいただく儀式だったのだ……。


そうとわかったら、敬虔な気持ちになる。からだじゅうに福がゆきわたるよう、しみじみ、祈りたくなる。
「黙って食べなければいけない」のではなく、祈りのひとときなのだから。


福を、からだのすみずみにまで、ゆきわたらせ、みなぎらせる、大切な時間だったのだ。


(なんとなぁぁ…)


来年、ちゃんと覚えていますように。


*    *    *



青空のゆくえ


豆の皮の掃除をするのが大変なので、今年もテトラパックの豆にした。かわいいものが、たくさん出ている。


これをつかんで、奥の部屋から、窓を開けて、「鬼は外!」と二回まき、きゃーきゃー言いながら拾い集めて、邪気が入らぬよう、急いで窓を閉め、「福は内!」を二回。
また、大急ぎでテトラパックを拾い集め、次の部屋へ。
大移動だ。


「楽しかったねー」


オニの面はいらなかった。


*    *    *


オフロに入って、パジャマにも着替えて、もう寝る時間になってから、コツメが部屋の入口のところで、何か言いたそうに立っている。


「おやすみ」
「オニのお面は?」
「いらなかったね! 豆まきって、オニが来ないように、おうちの外にまくから、オニの役はいらないねんなあ」
「…………」

(あれれ)


「じゃあ、いらんかったやん」

(へ?)


「じゃあ、作らなくてもよかったやん。意味ないやん」

(出ました、意味ないやん!) → 「意味ないやん」の由来


「きゃー ごめーん! おかあさん、コツメに作ってって、お願いしたなあ……。ごめんよーっ」

(ありゃりゃ)


「お面つけて、豆まきする?」
「うんっ!!」


げげー。こんなに嬉しそうな顔をするなんて。
もしかして、今までずっと、お嬢様は不服だった??


というわけで、喜色満面、オニのお面をつけたコツメに向けて、

「オニは外―っ オニは外―っ」


急いで拾いあつめて、

「福は内―っ 福は内―っ」


三回やって、おしまい!

……だと、さびしいよね。しゃーないな、


「おかあさんもやろか?」(えーっ ありえへんーっ)
「うん!」


あ~あ。嬉しそうなんだな。これが(笑)
こんなことが、こんなに嬉しいのだから。やれやれ。


というわけで、生まれて初めて、オニの役をやりました。
オニの面に空いた穴から、コツメの笑顔が見える。


「オニは外―っ オニは外―っ」
がんがん、厄祓いして! 祓って! 祓って!


「福は内―っ 福は内ーっ」
新しい季節が始まる。


*    *    *


「オニの面はなぜ?」


子どもの笑顔を見るためだ。
笑う門には、いつだって、最大級の福が来る。


浜田えみな