青空のゆくえ

どんな方向を向いても、
想いもよらない軌跡を描いて
伸びていく「縁」のベクトル。
そこには受けとってくれる人がいる。


あなたは誰ですか?
「へー」
を、いっしょに創りましょう!


*    *    *


あけましておめでとうございます!


二〇一二年最初のブログは、
目的に向かって頑張る力を与えてくれる「な」のことだまを持つ浜田えみなの抱負と、
「島津日進公いろは歌」からの今年の一枚について、お届けします。


*    *    *


「えみな」という名前で呼ばれるようになってから、「目標」や「目的」というものが、すごく気にかかるようになった。

どんなことでも、

(なぜやるのか? なんのために? だれのために?)

が気にかかる。

目的を明確に持たないと動くことができなくなった。


(「な」のことだまのせいだろうか?) 


「な」は
目標に向かって頑張る力。目標を持つことの楽しさを教えることだま。


浜田家には「な」があふれている。
小学校三年生の長女は、コツメカワウソみたいな顔をしているので、ブログネームは「コツメ」としているけれど、本当は「ななみ」という名前だ。わたしがつけた。

「な」が二つ!


とにかく、うちのおじょうさまは、やることに「意味」がないとイヤらしい。
浜田家エッセイの随所に出てくるコツメの口癖は、


「意味ないやん」 


(意味って何?? どの口が言ってるの?)


と、ぷくぷくのほっぺたを左右にひっぱって質問したくなるけれど、彼女にとって「意味のないこと」は、「忌むべきこと」。
無理にさせようとすると、顔をゆがめて烈火のように怒る。怖い怖い。
まったくかわいげがない。


だけど、行動する「意味」を、どんなときにも考えている姿勢は、ある意味、りっぱだと思う。

わたしが、そういうことを考えるようになったのは、恥ずかしながら、つい最近のことだからだ。
目的もなく、ただ「書きたい」と思っていても、何も書けなかったのはあたりまえだと、過去を振りかえって思う。


話をコツメに戻す。

コツメのいう「意味」とは、結果に結びつく「目的」や「理由」。
コツメにとって、行動は目的を伴わないといけないもの。

だから、「意味がない」と判断したことは、やる気になれない。ブイブイふくれてやろうとしない。
とっても困る(苦笑)


名前のせいなのだろうか? 呼び方が悪いのかも。
ついつい、「なな」と呼んでしまうのだ。「ななー」「なな!」「ななっ」「なーな」
……
今日からは意識して「ななみ」と呼ぼう。(たいして変わらないかもしれないけれど)


*    *    *


かわって。
ぽよよん王子のリクトは、そもそも行動の意味…(なんのためにやっているのか?)…などということは考えていない。
少しは考えてほしい。
考えていないから、途中で状況が変わって不要になったことでも、そのままやりつづけている。

リクトのメモリはいつでも、まっさらの初期化状態。


(学習機能はどこにあるのだろう?)


ひとつ教えてもらったら、ひとつだけ。
機転も応用も利かない。効率の悪いこと、このうえない。
でも、モンクは言わず、言われたことは淡々とやる。遅いしへたくそだけど(笑) 


なぜだろうなあ。この二人の性格のちがい。

リクトの「ぽよよん」は、名前とは関係がないと思うけれど、本名は「たくみ」という。

「た」は、おかげさまの気持ちをもって、多くの人の協力をもって物事を成すことだまだ。
我を張ると孤立してしまう。
ぽよよよよよん…… としているくらいが、人に愛されてちょうどよいのだろう。


*    *    *


話がすっかりそれてしまったけれど、元に戻す。
何をするにも「目的」を持ちたくなるのは、「な」のことだまのはたらきだと思う。


目標があると頑張れる。
決めればできる。決めたことは叶う。


ゴールに向かう「な」の牽引力はパワフルだ。
自分に対する「信頼」の力が得られたせいだと思ったけれど、どうやら違うかもしれない(笑)


というわけで、目標がないと「意味ないやん(C)コツメ2011」にあやかって、浜田えみなの二〇一二年の抱負をここに宣言したりして。


◆月に一本 「伝えたいこと」を物語にする …ことにトライ

一年間で十二作だ。来年の今頃は短編集のできあがり。
「小説」を書こうと思っても、どうしていいのかわからない。でも、人に「伝えたいこと」なら、ぜったいある。それを、物語で伝えよう。
やったことはないけれど、浜田家には「な」があふれているから、だいじょうぶ。


◆「名前のことだま」を伝える …ことにトライ

昨年、入門講師の資格を得た。
発信しなければ「意味がないやん(C)コツメ2011」なので、やってみる。


◆ひとりではなく、だれかと協同して何かを創りあげる …ことにトライ

「ゆ」のことだまに新しく加わった「結(ゆい)」の力。
これは、本当に苦手。
できれば、一人で、ひっそりこっそり、ひきこもっていたい。
だけど、今年は「や行」の年。「結」は課題なのだと思う。
しりごみする自分を励まして、たくさんの人と手をつなごう。きっと楽しい(よね)。


◆からだを鍛える …ことにトライ

まだ、具体的に思いついていないのだけど、全速力でゴールできる爽快感と達成感を、心だけでなく体でもライブに感じたい。


*    *    *


でもって。
そんなことを考えながら、島津のお殿様のお知恵をいただいた。今年の一枚。


「へ」


へーーーーーっ


これは、「レア」なことだま!!

今迄に名前のことだま鑑定をした中で、出会ったことがない音がいくつかあるのだけど、そのなかのひとつだ。ちなみに、その音は、

「に」「ぬ」「へ」「ら」「を」


山下先生にも、鑑定したことがない音があるとおっしゃっていたし、どんなベテランのことだま師にもあると聞く。
音連れのないひびきは、自分のテーマや課題なのだろう。


「へ」から詠まれた歌は


「下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりも 山とことの葉」


……


(月に一作、物語を書くぞ!)

と決意したそばから、
「下手」とか「ゆるすな」とか「稽古」とか、「つもらばちりも」とか……


(ああ、すみませんねぇ)


と、苦笑いしたくなるけれど、「山とことの葉」という表現に、勝手に元気をもらう。


意味は、

「どんなに下手でも、練習だからといって自分から気をゆるめて投げ出してはいけない。塵もつもれば山となるという、我が国のことわざがあるように、あきらめずに続けていると少しずつでも成長し、達成することができる」

というもの。「山と」は「大和」をかけている。


へたくそでも、少しずつでも、練習を怠らなければ、「伝える言葉」、「伝わる言葉」、「届く言葉」が、山のように積みかさなって、宝の山のような財産になる。

そんな情景が浮かんで、ものすごくうれしかった。


「ゆるすな」という文字は、

(練習だから、趣味だからと、自分で決めた目標を、ないがしろにしてはいけない) と戒められている気がした。

毎月一編。一年で十二編。わたしの「ことの葉」が生み出す宝物。


*    *    *


鑑定したことがない「へ」を、この機会に音連れとして、ひもといてみる。


意味は「縁(へり)」「辺(へん)」
発信のことだまである「は行」の、え段のことだまだ。

意外性のある発展の働きがあるとされている。驚いたとき、感心したときに、思わず「へーっ」と言うように。


ある点とある点を結んだ端が「縁」であり「辺」。
その線は、結ぶ点をどこにとるかによって、いろんな方向へ飛ぶことができる。

プラネタリウムで、「夏の大三角」や、「冬の大三角」を教えてもらうたびに、


(どれとどれを結んでも、三角形になるやん)


と思っていたのは、わたしだけなのだろうか?(笑)
どんな大三角でも、思いのまま。


縁と辺を創りだす二点を、人との関係や、発想におきかえてみるとわかりやすい。

まったく関わりのない人どうしや、まったく関係のない分野が手をつなげば、その関係が創りだしてゆくものは、無限の可能性を秘める。新しい着眼点。


「へ」のことだまを持つ人は、ふつうの人が思いもしないような発想や行動を起こし、発展、成長していく力をもっている。意外性。特別性。突飛。奇抜。


誰かと協同して何かを創りあげたいという願い。


今年、誰と出会うのかわからないけれど、その人にとっても、わたしにとっても、思いもよらない場所へと飛び出していく「縁」になることは、どうやら、間違いがなさそうで、ワクワクする。

ご縁をいただく人たちに、今からラブコール。


おまけに。
今年はうるう年!! 
二段さんのブログに遊びにいったら、いきなりわかった。→ ブログ記事 「まいいち」


うれしすぎる。366日。

去年より一日多い。来年より一日多い。四年に一度のプレゼント。


何が見れるだろう? 何が感じられるだろう? 何が聴けるだろう? 
何を伝えられるだろう? 何をとどけられるだろう? 
何がおきるだろう? 何をおこせるだろう?

とくべつな年。


どんな方向を向いても、想いもよらない軌跡を描いて伸びていく「縁」のベクトル。
そこには受けとってくれる人がいる。そんな光景が浮かぶ。


あなたは誰ですか?

「へー」
を、いっしょに創りましょう!


今年一年、よろしくお願いします。


浜田えみな