船みたいだ
ボダイジュカフェは、船みたいだ
* * *
作品の前で動かない後ろ姿から目が離れなかった。
わたしたちの、誰のどの作品も、ひとつひとつ、ていねいに時間をかけてみてくださっている。
わたしの、長い長い物語パネルも。
斜め読みなんかじゃなく、流し読みなんかじゃなく。一行一行、ていねいに読んでくださっているのがわかる。だって、作品の前から動かないのだ。その人は。
まったく知らない人が、自分の作品の一字一句、とばさずに、読んでくださっている。
一章目をぜんぶ読んでもらった時点で、
「ありがとうございます! 感激です!」
と駆けよりたい気持ちだった。
出版された自分の本を手にとってくれた人に遭遇したときって、
(きっと、こんな気持ちなのだろう)
と思った。ぜったいそうだと思った。
「笑顔がない」のコーナーが終わり、「チッ」のコーナーにうつる。
ここから、五語展は奥まった小部屋の展示になる。ライトも明るくて、それぞれの作品もすごく映える。
まきさんの、メルヘンでアンティークで、ミラクルで、幻想的なフレームアートコラージュも、あんとみさんの大胆かつ繊細で、くっきりと美しい線と水墨の濃淡が見事な絵本原画も、二段さんの奥ゆかしく見せつつハッチャキな、やられました感満載のすだれアートも、きゃらめるさんの、テーブルやソファーのファブリックとあまりにもマッチした、おもちゃ箱の物語のようなブック型アートも、わたしの文字だらけのボードも。
必要な人が目の前に来たら、メッセージを送ろうとスタンバイしている。
耳をすませば、きっと聞こえてくる。そういうミラクルが起きる小部屋だ。
* * *
八時前になると、お客さんも少なく、その人は、たったひとりだったけれど、どのコーナーも、本当に、ゆっくりじっくり、ひとつひとつていねいに見てくださっていて、その姿を観ているこちらのほうが、まるで祈りをささげているように、真摯な気持ちになった。
(あのひと、すごくじっくり見てくださってるね)
(だれかの知り合い?)
(だよねー)
(じゃなきゃねー)
(あんなにぜんぶ、ちゃんと見てくれるなんてねー!!)
(だれの?)
(わたし、ちがう)
(わたしも)
(知らない)
(じゃ、あんとみさんだ!)
(あんとみさん、すごいねー お友だち、すごいねー)
(あのひとが帰るとき、ぜったいお礼に行かなくちゃ!)
二段氏・きゃらめる氏・まき氏・浜田は、あんとみさんの「だいじょう部」の展示の前のコーナーで、「カルタ大会」の打ち合わせをしつつ、そのひとが、あしあと帳にも書いてくださり、いくつかグッズを買ってくださり、清算するようすを目で追いつつ、いつ、お礼に行こうかとタイミングを図っていた(笑)
ドアを出ようとするところに、四人で追いかけ、
「ありがとうございましたーっ」
名前を呼んでお礼を言わなきゃと思って、あしあと帳を見たら……
(きゃああ)
なんと、朝、パソコンのメールチェックをしたときに、
「すごく温かいカードですね。素敵です」
と、カルタをほめてくださり、五語展に来てくださると書いてくださった人だった!
友だちのブログから訪ねてきてくれ、ぜんぜん知らない人で、思いがけなくて嬉しくて、出勤まぎわなのに、ありがとうメールを打って、家を出たのだった。遅刻だってば。
だから、名前はちゃんと憶えている。
お話できてよかった。
作品を読んでくださっていた横顔も、うしろ姿も、わたしは一生忘れない。
自分の作品を長い時間かけて、読んでくださる人と、同じ時間を共有したこと。
あんなに一生懸命読んでくださっている姿を、この目で見れたこと。
一生忘れない。ぜったい忘れない。一生のたからものだ。
* * *
というのも、搬入の日から、ずっと落ちこみだったのだ。
搬入の日までわからなかったからだ。
なんで、わたしは、こんな長い文章パネルを展示しているのだろう? と思った。
来場者は、立って読まなければならないのに。時間だってないのに。
わたしは何を伝えたいのか。だれに伝えたいのか。どうやって伝えるのか。どこで伝えるのか。
カフェギャラリーで展示するとは、どういうことなのか?
カフェにはどんな人が来るのか?
落ちこみ内容は、また明日。
でも、その人のおかげで、落ちこみから浮上できた。
そうしたら、ボダイジュカフェが、船に見えてきた。
癒しの五語展の題字をディスプレイしている窓のあたりは、船のブリッジ(司令塔)みたいだ。
羅針盤はどこを指しているだろう?
あんとみさんの猫曼荼羅のあたりは、ウッディで甲板みたいだし、あんとみさん、二段さんの展示がある長いラインは、客室のようだ。
五語展の小部屋は、隠しキャビン。選ばれた人だけが行き着くことのできる秘密の扉だ。
わたしたち五人を乗せた船。
どこに行くのだろう? どこまで行くのだろう?
船に乗っていられるのは、あと三日。
浜田えみな


