うまくなりたかったら、
書いて読んでもらうしかない
自分で何百回読んでも、
絶対に気づかないことを、教えてもらえる
人に読んでもらって、初めて、
文章は命を得る。
動き出していくのだ
* * *
おかしいー
わたし、何やってるのー???
もう、あと、三日しかないのに!!
大丈夫なんだろうか。
この時期に、「切ったり貼ったりが大の苦手で不器用な」わたしが、数ミリの切れ端を指さきに乗せて、
(ピンセットがあればー)
とぼやきながら、ピットのりと格闘しているのは、『ヨーロッパの伝統色折り紙』というものを見つけてしまったせいだ。
おフランスの色なんだものなー。
茶色じゃなくて、「マロン」
薄いピンクは「シャンパーニュ」
ベージュは「カフェオーレ」と書いてある。
使ってみたくなるじゃないですか。
カルタに取りかかったのは、一昨日。下絵案ができ、罫線をひいて、「枠」をつくった。
この「枠」が曲者だった。枠ができたとたん、「あ!」っと思った。何かが変わる音がしたのだ。
(なんだろう?)
その「枠」のなかに、下絵を描いていると……
(なにこれ、もう! どうしたらいいの?)
《動き出すのだ!!》
こんな感覚、ふつうの人にはないのだろうか?
小さいころから、お話を書いたり、絵を描いたり、妄想の中で暮らしているからだろうか?
自分の描いたアイテムが勝手に自己主張を始め、信号を送ってくるのだ。
具体的に言うと。
○○○○○○○○ こんなイモムシみたいなものを描いていた。
もちろん、色エンピツで塗る予定だ。
それなのに!
(フェルトでやったらかわいいんちゃう??)
という悪魔のささやきが聞こえてきた。
そうしたらもう、○○○○○○… をフェルトで作った映像しか浮かばない。それがまた、ものすごくかわいく見える。もう、それしかありえなくなる。
(コラージュにしよう!)
心はエリックカールだ(彼はフランス人ではないけれど)。
というわけで。
色エンピツで塗って、数時間で完成するはずの五枚のカルタは、フェルトあり、色紙あり、色画用紙あり…… どれも、切ったり貼ったりが施されている。
そして、完成していない。
肩凝るし。まっすぐ線引けないし。
でも、かわいいです!
おフランスの香りがします(笑)
とはいうものの。
四番目のカルタの下絵案には、クリスマスケーキが登場する予定で、まさかクラフトにすることは想定していなかったので、どうしたものかと思案中だ。
でも、だいたい手順は浮かんでいて、どの色紙を使えばいいかも推測できる。ただ、カットが小さく、枚数が多く、色も多数なので、時間の予測がつかないのだ。
不器用だから、そんなに小さい紙片を、うまく切ったり貼ったりできないだろうと思う。
でも、好きなのだろうな。こんなめんどうくさいことが(苦笑)
めんどうくさいことは、楽しいことが多い。めんどうくさいけど、やってしまう楽しいことや、うれしいことが、人生を豊かにしていると思う。
問題は、そんなことにかけている時間があるかどうかだ!!! 今! 今! 今!
ああ、でも、きっと、やるんだろうな。やります。きっと。ぜんぶできます。
楽しみにしていてください。おフランスの伝統色ですから。
* * *
吉井さんからも、最終確認ということで、展示に向けての厳しいチェックが入った。
やるつもりだったこともあるし、
(そんなことは想定していませんでした……)
と、ボーゼンとするようなこともあった。でも、ボーゼンとしてはいられない。こんなときこそ、さっさと動くのだ。わかっていること、わかっていないこと、やるべきこと、やらないこと。
時間があるとかないとか、できるとかできないかという、自分の立場で考えるのではなく、来てくださる人の立場で、わたしたちが伝えたい思いを受けとってもらえるかどうかを、考える。足りないことは、何があってもやらなくちゃダメなのだ。
さっそく、メーリングリストでは、司令官 木村二段氏の的確な指示がとびかっていた。
あんとみ氏の「どんと、まかせとけ!」なコメントも、力強くて、心強くて、涙が出そうになる。
だいじょうぶのゼロ丸くんは、あんとみ氏の作だ。
* * *
作品を読んでもらった。
なぜ、もっと早く読んでもらわなかったのだろう?
小説は、人に読んでもらってうまくなるのだと、初めてわかった。
読んでもらうたびに、よくなっていくのだと、実感した。
作者のあとがきに、編集担当者への謝辞が入っているのを読んでも、具体的にどういうことなのかわからなかったけど、今は、その意味がわかる。
人に読んでもらわなければ、気づかないことばかりなのだ。
自分ではあたりまえに思っていることが、ちっとも一般的なことではなかったり、説明不足でわかりにくい箇所があったり、意味を誤解されやすい表現があったり。
《なぜ? どうして?》
の感覚は、作者の自分にはわからない。初めて作品世界にふれる人にしか教えてもらえない。
読んでもらって、教えてもらって、文章をよくすることができる。
自分で何百回読んでも、絶対に気づかないことを、教えてもらえるのだ。
うまくなりたかったら、書いて読んでもらうしかない
このことを、ゼロの仲間が教えてくれた。
みんな、搬入前の一分でも惜しいときに、長い小説を読んでくれた。メーリングリストでコメントをくれた。直接、話したほうが伝わりやすいからと、長い電話につきあってくれた。小説なんて、ふだんは読まないのだということも知った。それなのに、読んでくれた。
わたしは、なんて幸せ者なんだろう。
こんなにしてもらったら、もっともっと、作品をよくするために、今までパスしていたことを、やっておこう。そう思った。
第一章では、アロマのフェイシャルトリートメントの場面が出てくる。わたしは、ボディトリートメントは習ったが、フェイシャルは体験講習を受けただけで、習ったことがない。
だから、講師が話していたことと、実際に施術を受けたときの感覚を思いだして文章を書いた。
もしかすると、おかしなことを書いているかもしれないと気になって、現役のセラピストさんに読んでもらうことにした。
そして、またしても……
自分では得られないものをプレゼントしてもらった。
セラピストさん自身が、お客様に施術しているときの感覚を、メールで送ってくださったのだ。
「お客様も自分もない。繋がっているという感覚だけ」と書かれてあったのが印象的だった。
ここに文章を紹介できないのが残念だけど、読んでいて、まさに、トリートメントというのは、自然のエレメントとの対話だと感じた。
セッションルームのベッドの上が、海にも空にも大地にも宇宙にもなるのだ。
セラピストは、海になり空になり大地になり宇宙になる。
クライアントも、海になり空になり大地になり宇宙になる。
一体だからだ。
「つながり」
わたしが、今回の作品で伝えたいテーマの一つだ。
***
一か月前に作品を仕上げて、人に読んでもらう期間にあてればよかったと、つくづく思う。この先、公募か何かに応募する機会を持つなら、必ずそうしよう。
人に読んでもらって、初めて、文章は命を得る。
動き出していくのだ。
展示会のことも、気恥ずかしいので、ひっそりとしか案内していなかったけれど、このさい、バンバン郵送しようという気持ちになってきて、DMを増刷した。
てんちゃんの妹さんたちにも、案内を送ってみようかという気になってきた。
なにせ、お義母さんは、
「うちの長男の嫁は、小説書いているのよ」
と嫁じまんをして、ぶっとばせてくれた人なのだ。本当にあのときは、びっくりした。
お義母さん、おかげさまで十数年ぶりに書きましたと、報告しなければ(笑)
カルタ大会だって、来てほしい。
せっかく創るのだから。
(まだできてないですが!!)
今日の自分への約束 …… 「リンデンフラワー」は、本日仕上げる。最終校正。
浜田えみな