自分が癒されながら、他人を癒すことができる
他人を癒しながら、自分が癒されていく


五つの言葉は、五人の
ネガティブな想いから生まれた言葉です


その言葉に、五つの花が咲いています

ボダイジュカフェは、満開です
種を受けとって、あなたの心に、蒔いてください


*    *    *


今回の展示は、

言われると悲しい気持ちになる言葉を、うれしくて元気が出る言葉に変えてしまう「ことばアート」の展示だ。


⇒ ほんとに、そんなことできるの?


今までに、養成講座受講時のワークや、今回の展示に向けてのミーティングで、四人の作家から自分のネガティブワードに対する「ことば」をもらう経験をしているけれど、そのミラクルはハンパではない。


一瞬にして、視界が開けるような、背負っていた荷物が消えたような、あたたかいものがわき出てくるような、認められたような、ゆるされたような、過去も現在も未来も変えてしまう、はてしない感覚だ。


一度ぬり替わった世界は、もう戻らない。めそめそしていたことがウソのように、晴れ晴れする。どきどきわくわくの力強い気持ちを持続できる。やさしい気持ちになれる。あふれだして、そそがれてゆくものがある。


⇒ なぜ、そのようなことが可能なの?
 
それは、言葉が、固有ではないからだ。
中心にある「核」のまわりに、いろんなものがくっついているからだ。

言葉のもつ意味を、やわらかくしたり、かたくしたり、おもくしたり、かるくしたり、ふかくしたり、あさくしたり、とがらせたり、まるめたりする。必要なものもあるし、不要なものもある。

そうしているうちに、言葉本来の意味に、いろんなゆきちがいや取りちがい、思いこみや、思いすごしが加わって、伝言ゲームのスタートとラストのように、差しだす側と受けとる側での意味合いが、大きく変わってしまう。


そんなことの許容範囲の中で、コミュニケーションしているつもりになっている。
傷ついてしまう多くのことは、本来とは別の姿の、そんなこと。
許容範囲を超えて、コミュニケーション不全になっている、そんなことだ。


さらに、受けとり方のクセもある。


いつも光のほうを向いて、自分のうしろに影をつくる人。
いつも光に背を向けて、自分の前に影をつくる人。
同じ場所にいるのに、見ている景色がまったくちがう。


だから。

ことばアートは、その向きをくるりと変えることだったり、少し横にずらせてくれることだったり、視界を広げてくれることだったり、不要に背負っているものをおろしてくれることだったりする。
生まれたすきまに、新しい流れをひきこんでくれる。光をそそいでくれる。


どんどんどん、言葉をみつめていって、くっついているいろんなものについて考えてみる。


(なんだこれ?)


というものがくっついている。


(こんなものが?)


と嬉しくなるものがくっついている。


「おなじ」であることに気づいたり、「ちがう」ことを発見していると、自分を本当に悲しい気持ちにさせていたものは、なんだったのかが見えてくる。

見えたときにはわかっている。わかったときには、解決する。癒しのはじまりは気づきだから。


どんなことも、つながっている。
うれしい気持ちも、悲しい気持ちも。大好きな気持ちも、大きらいな気持ちも。わくわくする気持ちも、へこむ気持ちも。


イコールで結べる何かをさがしだす。
自分が早く捨ててしまいたいと思っていたものが、尊敬する人の大切なものだったり、大好きな人の親友が、自分の苦手な人だったり。

好きなものと嫌いなものが、手をつないでいたりする。反発するのも引かれあうのも、同じ一つの磁石であるように。


*    *    *


今回の作品は、五つの言葉をとりまく「イコールで結べる何か」を追いかけることで、つながっていった。


「風が吹けば桶屋がもうかる」ということわざのように、スタートとゴールで、まったく関係のなさそうに思えることに意味づけをし、つながりをもたせて論理を導いてみよう! というワークがあった。

それは、やってもやらなくてもよく、「時間のあるときにやってみてください」的なニュアンスだったので、少しは考えてみたものの、すぐにゆきづまって、投げ出してそれきりだった。


ところが。


五つのまったく関係のない言葉から生まれる物語を、ひとつの物語につなげるというのは、まさに、この「風が吹けば桶屋がもうかる」的アプローチだったなあと、終わってみて思うのだ。

必ず、どの言葉の中にもキーワードがあって、その周辺をさぐっていると、つながる何かが浮かびあがってくる。河原で砂を洗って、砂金を見つけるみたいに。
すごい宝物だ。


*    *    *


吉井春樹さんのゼロアーティスト養成講座を受講するとき、最後まで、わからなかったのが、


(自分が受講してもいいのだろうか?)


ということだった。

アート作品を創りたいわけではなかったからだ。

一目でわかるキャッチーでハートフルなフレーズではなく、ある程度の長さをもって表現する世界を創りたいと思っていたからだ。

ゼロアートって、どんなものなのかわからなかったし、ゼロアーティストが、どんなものなのかなんて、もっとわからなかった。
受講にあたって、不安をぶつけたわたしに、吉井さんは、


ゼロアートという作品があるのではなく、作品を創りあげるためのプロセスが「ゼロティブ」だから、どんなものにも

使えるのです


と説明してくれた。


こんなふうに書いても、なんのことかわからないと思うので、ぜひ、作品を観に来てください。


一瞬にして、視界が開けるような、背負っていた荷物が消えたような、あたたかいものがわき出てくるような、認められたような、ゆるされたような、過去も現在も未来も変えてしまう、はてしない感覚。


めそめそしていたことがウソのように、晴れ晴れする。どきどきわくわくの力強い気持ちを持続できる。やさしい気持ちになれる。あふれだして、そそがれてゆくものがある。


わたしの感じた、こんな気持ちを、ぜひ、体験してほしいです。


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わたしたちの作品は、それぞれちがう。


絵本の人。書の人。イラストの人。コラージュの人。物語の人。
でも、どれも、ゼロアート。


小説を書きたいと思っている人で、「自分はアートをしたいわけじゃないし……」とゼロアーティスト養成講座の受講を迷っている人がいたら、きっぱり「だいじょうぶ!」と伝えたい。
受講していなかったら、この作品は書けなかったから。


だけど。

アートをしているかどうかなんて、関係ないのです。

人として人のなかで人と生きているわたしたち。
伝えるもの、受けとるもの、つながるものを持つわたしたち。
だれにとっても、ゼロティブがあれば、無敵です。


無敵は素敵なんですと、吉井春樹さんは教えてくれます。


自分が癒されながら、他人を癒すことができる。他人を癒しながら、自分が癒されていく。
五つの言葉は、わたしたち五人のネガティブな想いから生まれた言葉です。
その言葉に、五つの花が咲いています。ボダイジュカフェは、満開です。
種を受けとって、あなたの心に、蒔いてください。


*    *    *


物語ができた。
作品を書くのは初めてではない。
でも、こんなふうに書いたのは初めてだ。楽しかった。


なんでつながるんだろう? と思いながら書いた。
いくらでもつながるんだ! と思いながら書いた。


伝えたいことを持てたからだ。
伝えたいことのために書いたからだ。


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わたしたち五人は、ゼロティ部員。だいじょう部員。部員募集中です。


展示作品を観てくだされば部員。カルタ大会に参加すれば部員。

元気になれたら部員。笑顔になれたら部員。

だれかにごめんねが言えたら部員。だれかにありがとうが言えたら部員。

だいじょうぶと自分に言えたら部員。だいじょうぶとだれかに言えたら部員。


随時、入部受付中です。


浜田えみな