自分がどうしたいかがわかり、
誰にどうしてほしいかがわかったら、
世の中はステキなことばかり


* * *


「てんちゃーん、彫刻刀使うの、得意?」
「んー 得意かどうかわからんけど、下手ではないと思うけど?」
「わかったー」
(やった! それは、得意っていうことやんな! イヤじゃないっていうことやんな!)


* * *


「なにそれ、こぎん…?」
机の上にプリントアウトしてあった資料を目ざとく見つけたてんちゃんの、いぶかしそうな声。
「うん。津軽地方の刺し子。見て見て、ほら!」
模様集を渡す。
「ま、まさか、次はこれをやろうというのでは…」
てんちゃんの顔がひきつっている。
「やれへん、やれへん。無理。でけへん。めっちゃ、たいへんそう。だって、これ、びっしり、ぜんぶ縫いとりやねんでーっ」
ぶんぶん首をふる。


* * *


「こぎん刺し」のことを知ったのは、アメーバブログで、訪れた人が残してくれる「ペタ」というアイコンをどんどんクリックしているうちに、たまたま出会った記事だった。


きれいな模様のポーチだなあと思ってみていたら、なんと、プレゼントだという。粋な亀甲柄でシャレている。よくよく読むと、そういうプリント柄だと思ったものが、ぜんぶ刺し目だということがわかり、ほとんど驚愕! 

いったい、いくつ目があるのだろう? どのくらい時間がかかるものなのだろう?


ふれてみたい。


指の腹をそっとのせたら、どんなふうに感じられるのだろう?
のせた指のすべてに、ふっくりとした糸の、整列した密な締まりや、ぬくもりが伝わってくるだろう。


ふれてみたい。


こぎん刺しとはなんだろう? と思ったので、すぐ調べてみた。
「津軽こぎん刺し」と呼ばれる青森の伝統工芸品だということがわかった。
その歴史を読み、おしよせる思いに胸がいっぱいになった。


東北地方では、寒さが厳しく、綿の栽培ができないので、手にいれることが難しい木綿を農民が着ることは江戸時代には禁止されていたので、農民たちは、自分たちで栽培できる麻を、たいへんな手間かけて皮を裂いて糸にし、機で織りあげて布にしたそうだ。


でも、麻布は、重い物を背負う肩や背中がすりきれやすく、凍てつく風の吹きすさぶ厳しい寒さを防ぐことはできない。そこで、糸で布目をびっしりと刺すことで、補強と保温効果を高めたのだという。


凍るような風を通さないように。からだが冷えないように。あたたかさが逃げないように。
くいこんだ縄で、肩が赤くすりむけてしまわないように。大切な衣服が長持ちするように。

ひとさし、ひとさし、想いをこめて。


津軽の女性は、五歳から刺し子を習い覚えると書いてあった。
それは、代々、その家の女から女へと伝えられていく技術なのだろう。
祖母から。母から。姉から。
嫁入りのときには、自分で刺した着物を数枚、持参したという。

語りつがれたもの、受けつがれたものは、こぎん刺しの技術だけではない。

生家から出て、新しい家に入り、女性として生きていくうえで必要な知恵とたくましさも、刺し目とともに、伝わり、受け継がれたのだろう。


言いたいことがあっても、口に出すことも許されず、耐え忍ぶことばかりの寒冷な農村の女性が、一心に刺しては返す布目模様は、創意工夫のまま、美しいもの、新しいもの、癒されるもの、支えとなり、だれにも邪魔されない自分の世界を創りあげることの自由さを、彼女たちに与えたのだろうと思う。


当時の、こぎん刺しの着物を、いつか、この目で見てみたい。


でも。
図案も見たし、刺し方も見たけれど、創るのは


(むり!)


江戸時代の東北に生まれなくてよかったと、心の底から思うのだった。


(当時でも、不器用な女性はいたやろなあ)


いや、不器用でもなんでも、やらなければならないし、五歳からやっているのだから、どんなに不器用でも、それなりにはできるのだろう。

だから、とびきり、よくできる女性が、きっといたのだ。そんな女性が、美しい図案を考案し、ほかの女性たちは嬉々としてそれに取りくみ、単調な作業の励みとしたのだろう。


*    *    *


それにしても。
ハンドメイド作品を手掛けるかたというのは、いろいろなものを創っていらっしゃるのだなあ。

美しい。ていねい。機能的。オリジナル。センスと才能のかたまり!

そして、まるでネットワークのように、ほかのひとのハンドメイド作品を賞賛し、オーダーされ、それをブログで細かく紹介されていた。

いくつかのブログを読んだだけで、そこからリンクする、また別のハンドメイド作品に出会い、そのブログから、また別のハンドメイド作品に出会い…
というふうに、一晩で、さまざまなハンドメイド作家の心意気にふれることになったのだ。
ハンドメイドショーック!!(笑)


みなさん、すごいですねー
なんて、あたたかいのでしょう!


喜んでもらいたい。笑顔になってもらいたい。幸せな気持ちになってもらいたい。毎日、元気にすごしてもらいたい。
そんな気持ちであふれている。


作品を梱包されるときも、いろいろとオマケが入っていたり、人となりが伝わってくるようなサプライズがしかけてあって、


(これは、うれしいだろうなあ~)


と、読んでいるだけでワクワクし、忘れかけていた「贈る気持ち」が、わたしの中に舞いこんできた。


たとえば、美しいプリント生地のハギレがオマケで入っていたりするのだけど、ほんの少しの切れ端なのに、その存在感ときたら! 
これほど、創造力をかきたてるものはないなあ~ と、手作りしないわたしでさえ、ドキドキした。


そして。


(あああ)


と思うのだ。

美しいプリント地のハギレは嬉しいが、「ことばのはしきれ」 なんて、だれが欲しいだろう?


わたしが人にプレゼントできるのは、ことばのはしきれみたいなものだけど、そんなものより、消しゴムはんこのほうが、よほど、人のこころをあたたかくする と、真剣に思った。


こぎん刺しのあんこさんの創られたペンギンの消しゴムはんこを見て、本当に、元気が出たのだ。
何も言葉を書かなくても、こんなペンギンが押されたカード、それだけで、ことば以上のノックを感じる。


(いいなあ)


で、ちょっと、やってみようと思って(笑)
こぎん刺しは無理だけど、消しゴムはんこなら、なんとかなるかも。
しかし、わたしは、彫刻刀もカッターナイフも大の苦手。


だから、⇒ 冒頭に戻る


「てんちゃーん、彫刻刀使うの、得意?」
「んー 得意かどうかわからんけど、下手ではないと思うけど」


***


わーい。
楽しみだなー 楽しみだなー
何をハンコにしようかなー
ぺったん、ぺったん。


自分がどうしたいかがわかり、誰にどうしてほしいかがわかったら、世の中はステキなことばかり。


浜田えみな


あんこさんのブログです ⇒ haricot rouge* ~ハンドメイド日記~



*** ことだまのはしきれ ***


名前のことだまは、必要とする人のもとに音連れます。
浜田に音連れたメッセージと力を、あんこさんのことだまから、ひもといてみましょう。


「あ」は、新しい始まり・希望・ひらめきのことだま。
「あ」は、あした。あさひ。どんな暗闇でも、必ず訪れる光です。
「あ」のことだまの人と出会うときは、何かが始まるとき。希望が花ひらくとき。アイデアが浮かぶとき!


「ん」は、ステージアップのことだま。今いる場所から、上の場所へ、上の場所へと、ステージアップしていく力です。


「こ」は、実現化のことだま。夢や希望を形にすることができる力です。


あんこさんと出会う人は、新しいことを始めるときだったり、ひらめきを必要としていたり、暗闇の次に訪れる光を待っていたり、今の自分を向上したいと思っていたり、実現したい何かを抱えている人。

そして、あんこさんは、その人たちに、だいじょうぶだよ! って言ってあげられる人です。

自分の名前のことだまは、出会う人に、その力をプレゼントできるのです。


「あんこ」さんには、たぶん、ご本名があって、この名前は、ハンドルネームだと思うのですが、ハンドルネームをつけるときというのは、そのことだまを必要としたときなんです。


何かを始めたくて。希望をもちたくて。それを人に伝えたくて。
自分を向上したくて。夢を実現したくて。


あんこさんというネーミングにされたのでは?


そして。

あんこさんと出会う人は、新しいはじまりと希望を胸に、ご自身をステージアップして、夢を実現したい人たちばかり。
今回、当選されたかたたちは、そうなのかなあって思います。

「だいじょうぶだよ」って太鼓判を押してくれる、あんこさんのことだまが、プレゼントと一緒に、とどきますよ!


と同時に。
あんこさんには、当選されたかたたちのことだまが、とどきます。


たくさんのかたたちがいらっしゃいましたね!
何かメッセージがあるかな? と思って、見てみました(^^)


「ま行」のことだまが多かったんです! 

おひとりをのぞいて、みなさん、「ま行」のことだまの人たちでした。

「ま行」は、評価のことだまです。これまでやってきたこと、伝えてきたことを、がんばったね、すごいねって、ほめてくれることだまです。そのひとにとっての「真実」をおしえてくれることだまです。


あんこさんがこれまでやってきたことが、「認められるときですよ」 っていうメッセージです。
あんこさんにとっての「ほんとう」が、「みえてくるときですよ」っていうメッセージです。
ほんとうにほしいもの? ほんとうにやりたいこと? ずっとさがしていたもの?
それは、どんなものでしょうか?


あんこさんとお話ししたわけではないので、くわしいことはわからないけれど、一般的なことだまの意味は、そういう感じです。もし、ひびいたところがあれば、うけとってください。


人との出会いは、ことだまの音連れ。
だれもが、必要とされて生まれてきて、人のためにできる力をもっています。
名前が、その力をおしえてくれます。
だれもが、出会う人に、ことだまのプレゼントを贈ることができます。生涯。


ほんとうに、たいせつなものに、人は、名前をつけます。

そのことを、わすれないでほしいです。


いつでも、どんなひとにも、
「あなたを待っている人がいること」を、つたえたいと思っています。


ひさびさに、ことだまのはしきれを書きました!
さいきん、「あ」の人にご縁のある浜田えみなデシタ。