人は誰でも、人のために、行動する
だったら、とびきり素敵な笑顔のために
* * *
角田さん よくぞ言ってくれました。
(そうか、この言葉だったんだ)
かさぶたみたいだ。
かゆくて、かゆくて、かきむしりたいのにがまんして、イリイリちりちり耐えていて。
(なぜがまんするんだろう? どんないいことがあるんだろう?)
(ええい!) って、
(もうどうなってもいい!) って、
ついに、一気に、爪でかききった瞬間! みたいな。
やってしまった爽快な気持ち!
爪に残るかさぶたを皮膚からはがす感触。
(あああ!)
で、かさぶたのとれた白い皮膚から、ぷっくり盛り上がる鮮血を見て、
(ああ… やっちゃった……) って。
後悔するでなく、満足するでなく。ぺろりと舌でなめてみる。
ような。
(なんだ、わたしは知っていたんだな。知ってたけど、認めたくなかったんだな)
軽く読み始めた小説だったから、なんの心の準備もなく読まされていて、
(ヤバイ)
と身構えるまもなく、目にとびこんできた。
わかってしまったら、それは、自分が十数年間とらわれていた苦しさの答えだった。
(ああ、なんだ、これだったんだ)
と、腑に落ちた。ばかばかしくて、つまらなかった。つまらなくて、愉快だった。
* * *
『三月の招待状』は、大学時代の仲間五人の三十四歳から三十五歳への一年間を、それぞれの視点から描いた連作短編小説だった。性格も、立場も、環境もちがう五人の視点でストーリーは進んでいく。
恐ろしいことに、誰が主人公でも、自分のなかに同じ部分があった。小学校、中学校、高校、短大、就職してから… 今までの人生を追体験しているようだった。
かつての自分をなぞるように登場する主人公たちが、自分の気持ちを見事に代弁してくれる。
言えなかったことも。うまく言葉にできなかったことも。
角田さんの得意技の、
(そこまで言わせますかー?)
的な(……矢のような、爆弾のような、ナイフのような、鈍器のような)、さまざまな言葉の切り口。その切れ味のよさを、結果的に全方向から味わえて、とんでもなく得した気分!
サクサク読んでいたら、地雷を踏んだ。
何の心の準備もなく読まされていて、
(ヤバイ)
と身構えるまもなく、目にとびこんできて、わかってしまったら、それは、自分が十数年間とらわれていた苦しさの答えだった。
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自分が今まで何を目指してきたか。~中略~
成功している自分を、本気で何かに取り組んでいる自分を、ちゃんとした大人になった自分を、私はずっと宇田男にだけ見ていてほしかった。
宇田男に馬鹿にされない大人になりたいと、あのときから私は願い続け、そうして今も同じ強さで願っている。
きっと、ノーベル賞をもらっても億万長者になっても、宇宙旅行をしても女性初の総理大臣になっても、私は同じことを思うだろう。宇田男に馬鹿にされない大人になりたい。
(『三月の招待状』角田光代著 集英社刊 二〇二ページ 四行目~十四行目)
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(馬鹿にされた思いが、ぬぐえなくて、許せなくて、怒っていたんだー)
とわかったら、あまりの自分らしさに、肩の力が抜けた。
(愛されたくて)
ではない。
これは、すくわれることなのか? すくいのないことなのか?
ノーベル賞をもらっても… のくだりは、爆笑だった。
そのとおりだ。
馬鹿にされた思いを払拭したくて、撤回してほしくて、独り相撲みたいに書いていた。
文学賞をとっても、本を出しても、けっして満たされることもなく、何を目指しているのかもわからず、永遠に迷子のままだっただろう。角田さんの、この文章に出会っていなかったら。
(愛されなくていい。馬鹿にされたくない)
その気持ちが、だれにも負けない駆動力だった。
と同時に、ブレーキだったと、今わかった。
だって、誰も、馬鹿になどしていない。
この卑屈さが、足枷であり、ブレーキだったんだ。
「愛」のない文章を書くことが。
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人は誰でも、ただひとりの人のために、行動する。
ただひとりの人に馬鹿にされたと思いこんで、その思いを払拭したくて、撤回してほしくて、独り相撲みたいに書いている文章より、笑ってほしくて、よろこんでもらいたくて書いている文章のほうが、いいに決まってる。
だれもが読みたいと思うに決まってる。だれもが読んで、幸せな気持ちになるに決まってる。
人は誰でも、人のために、行動する。
だったら、とびきり素敵な笑顔のために。
そんな文章を書いていこう。
浜田えみな
