青空のゆくえ


プログラム一番の演奏も、
プログラム四十七番の演奏も、
同じ楽器なのに、別人みたいに違う音を出す


一本の指で弾いているのかと思うような演奏もあり
四十本くらいの指で弾いているような
ダイナミックな演奏もあった


五十音しかないコトバも、
一台のグランドピアノみたいなものだ
そうか、文章も演奏だ


*    *    *


「PTA有志における校内清掃(炎天下!)」を終えて帰宅すると、コツメが、リビングで寝転がってマンガを見ていたので、目を疑った。


(え、なにしてんの?)


信じられない。あと二時間でピアノの発表会なのに!


暑いーっ。
帽子を目深にかぶっていたので、髪もぐちゃぐちゃ。顔も汗でベトベト。シャワー浴びてる時間ないしなあ。暑い暑い。首のあせもがヒリヒリする。


(なんで、こんな夏の暑い日に校内清掃をするんだろう?)


毎年、不思議に思っていたけれど、地区環境委員長さんが、終わりのあいさつで、


「これで、二学期、子どもたちが気持ちよく学校活動を始められると思います!」


というのを聞いて、納得した。


(だから、毎年、夏休みの最後の土曜日にするんだー)


汗だらけのTシャツとジャージを脱ぎすて、洗濯機に放りこみながら、寝転がってるコツメに声をかける。


「ピアノの練習したの?」
「したー」
マンガから目をはなさない。


(ほんまにやったんやろか?)


「てんちゃーん、コツメ、練習してたー?」
「してたで」


(ほんまかーっっっ 一回だけしか弾いてへんのとちがうん??? ピアノの練習いうんは、ピアノを弾いたらええんやなくて、まちがえずに、ちゃんと弾けるようになるまで弾くことやって、わかってんのかなーーーっ)


「コツメ、まちがわんと弾ける? ほんま?」
「うんー」
「今日、発表会やねんで?」


まだ、マンガから目をあげない。あかん。


「おかあさん、まだ、まちがえずに弾いたの、一回も聴いたことがない。お願い! お母さんに聴かせてー 聴きたいなぁぁ~ お願い! お願い!」
「いやーやー」
「何言うてんの。発表会やねんで! もうすぐやねんで! 今日だけやねんで! なんで、もっと、朝からずっと、練習してないの??? なんで? なんで? なあ、なんで?」
「もーーっ 弾くよ、弾いたらいいんやろ!」


と、弾かせておきながら、横でゆったり聴いてる時間なんてないので、コツメの着るワンピースや、髪の毛をとめるゴムや髪飾りを、どうしようかと考えながら、バタバタと部屋を行き来する。

コツメは髪が長いので、ダウンスタイルにして、サイドを三つ編みか編みこみにしてお花の飾りを…… と思っていたのに
「暑いから、おろすのイヤ!」
と言うので、
「ほんなら、お団子にする?」
と、アップにすることになったのだ。あら、後れ毛を固めるハードムースもピンもない!
飾りは何にしようかな。コサージュにしよかー。イヤリングも、つけたろかな?


「てんちゃん、ビデオテープ、セットしてくれたー?」
「うん」
「デジカメの充電はー?」
「できてる」


わたしは何を着ていこかなー。なんでもええやんな。
コツメの髪とわたしの用意、どっちを先にしようかなー。暑いなー。
お茶も持っていっとかな、のどかわいたら、コツメがうるさいしなー。
そうや! おなかすくかも。


「コツメ、なんか食べる?」
「いらないー」
「あかん。終わるの七時ごろかもしれへんで。晩御飯まで時間あるから、おなかすくってー。パン食べる?」
「じゃあ、食べるー」

コツメがパンを食べている間に、ペットボトルにお茶を入れる。
てんちゃんの部屋のドアにかけてあったワンピースを、洋服カバーごと、すそをはためかせながら、持ってくる。

(ほんまに着れるんかな?)


このピンクのワンピースは、わたしがピアノの発表会で着た(!)ものだ。
何年生の時だろう? 四、五年生だったような気がするのだけど… 


*    *    *


三十七年前のこんなものが、洋服ダンスの中に、平気でかけてあるウチの実家って何?
そして、リクトのお宮参りのときに、てんちゃんが着たお祝着が、三十四年ぶりに、さっと出てきた、あちらの実家も何? 


って感じで、モノを捨てられない双方の実家は、一歩踏み入れた雰囲気が、まったく同じなのだった。
中身を記した箱が積み重なっていたり、収納ボックスがやたらあったり、引き出物や粗品があふれていたり。特に台所のテーブルまわりが、デジャブのようにソックリで、初めて、うちの実家に来たとき、てんちゃんは、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなったと言っていた。


わたしも、てんちゃんちに行って思ったことは、たとえば、食卓の果物かごのようなモノの中に、食パンの残りだとか、バナナだとか、せんべいの残りだとかといっしょに、病院の薬の袋や、湿布薬なんかもつっこんであったり、ダイレクトメールが束になっていたり、そして、テーブルの上に、ジャムのビンやら、お土産の箱やら、のど飴の袋なんかが置いてあり、飲みかけのお茶のコップや、コーヒーカップや、タッパーなんかが、いくつもあったりして、そこに、たとえば、うちの実家だったら、じいちゃんの飲んでるキョーレオピンのセットがあるし、てんちゃんの家だったら、クロレラの大瓶や養命酒みたいな薬用酒の瓶があったりする。ふふふ。


そして、てんちゃんとわたしは、うちのキッチンカウンターを、


(こんなふうにはしたくない!)


と思いながら、両家のご先祖様の呪縛から逃れられず、気づけば、まったく同じになりつつあるのだった。


キョーレオピンとクロレラのかわりに、てんちゃんの飲んでる○○のビンがあるし、わたしはサプリは一切飲まないけど、家じゅうのいたるところに、アロマの精油ビンが転がっている。

バランスボールが三つ、リビングや子供部屋にころがっていたこともあるし、ヨガマットが敷きっぱなしになっていた日々もあった。施術ベッドが置きっぱなしになっていた日々も!

あ、ちなみに、てんちゃんのビンは、(今、原稿を書くので初めて手にとったのだけど)


『お腹に溜まった脂肪に防風通聖散 420錠(35日分)』


というものだった。


(げ。なにこれ?)


食前に飲むらしい。だから、テーブルに置いてあるのか。よく見たら、すでに空きビンがあった。
いったい、いつから飲んでるの?(笑)


*    *    *


コツメのお団子のできあがり! バラのシュシュを巻く。
ワンピースの胸につけるコサージュはどうしようかな。あれこれ、つけて試してみるが、茶色いリボンにする。ピンクのコサージュは髪につけることにした。


「イヤリング、どうする? つけてみる?」
お花のレースのイヤリングがあるのだ。
「かわいい!」


わたしは四十歳からピアスに変えたので、イヤリングの痛さとはサヨナラしたけれど、ずっとつけていると、コツメの耳が痛くなるかもしれない。


「痛い?」
「うーん。ちょっと痛い、かも」
「ほんなら、ピアノ弾く前につけよっか」
(で、カバンに入れたら、もう、思い出せるはずもなく、家に帰るまで、そのままだった)


*    *    *


「コツメ、楽譜もっていく?」
「いらーん」


(え?)


「持っていけへんの?」
「うん。いらん」


えーーーーーっ
楽譜もっていけへんのーーー???

それって、検定試験を受けにいくのに、参考書を家に置いていくようなもんちゃうん??? 

なんでやの、コツメ?? コツメって、もしかして、大物なん?
朝から、ぜんぜん、緊張してないし、練習もせーへんし、まったく関係のないことしてるし、ピアノのこと、なんも言わへんし、うそーーっ やっぱり、ただものやないの??


すごいな、コツメ。おかあさんやったら、午後から発表会やったら、朝からずっとピアノ弾いてるで。
楽譜も、ぜったい会場に持っていって、ずっと指動かしてると思う。


(なんで? コツメ)
(ほんまに、もっていけへんのー。ほんまに、ほんまに、ほんまやなー???)


よっぽど、こっそりもっていこうかと思ったけど、コツメがいらんって言ったら、もういらんもんな。
暗譜はできてるんやろうし、必要ないのやろうけど…… その思いきりのよさは、すごすぎる。


コツメ、おかあさんに、その自信をちょうだい!
ちょうだい、ちょうだい、ちょうだい!!!


*    *    *


舞台のピアノを前にしても、まったく動じる気配なし。
コツメは、プログラム七番。四番の子が終わったら、舞台そでに行かなければならない。
アナウンスで、六番の子が欠席だという。


(えーーーーっっっ)


順番が繰りあがるなんて、わたしだったら、それだけでパニックだ。心の準備ができず、気持ちが整えられない。心臓バクバクだ。
ところが、うちのおじょうさまは、ぜんぜん、大丈夫。
頼もしすぎる。


コツメー!!


おかあさんに、その自信をちょうだい! 
いや、おかあさんはいいから、おにいちゃんに半分でいいから、あげてぇぇーーーーーっ!!
リクトは、ドッジボールの練習試合なのだ。


それにしても、りっぱなグランドピアノだ。でかい。
こんなの見たことない。しかも、すごい、いい音!!
五歳くらいの子が、簡単な曲を弾くのだって、ものすごく胸にしみる。
だいたい、レベル順に弾くはずなので、初心者~中級~上級だろう。
と思ったら、プログラム五番の子の曲名は、「トルコ行進曲(ベートーベン)」で、テンポもいいし、映える曲だ。思わず、


「うまーっ」


てんちゃんと、口パクで言いあった。
技術も、コツメよりはぜったいうまい。なんで、そんな子が先に弾くのだ??
年齢が下なのだろうか。
自分の前に、自分よりうまい子が演奏したら、それだけで萎縮する。
コツメは、だいぶ前に、舞台そでに行ってしまったので、どんな気持ちでいるのか、そばにもいてやれない。


のだが……


うちのおじょうさまは、そんなの、まったく気にしてないのだった。


(コツメ、おかあさんに、その自信をちょうだい! おにいちゃんにも!)


「プログラムナンバー 七番。浜田コツメさん。曲目は、ロジャース作曲、ドレミの歌!」


きゃー。
表情ひとつ変えずに、舞台からコツメが出てきた。


(堂々としてるなー。やっぱりエラそうや)


舞台のまんなかで、おじぎをすると、さっと、椅子のうしろにまわって、高さを調節しているので、びっくりした。


(すごい。コツメ!)


演奏者の背の高さはバラバラなので、自分にあった高さと、いすの位置がきちんと合わせることが、一番、大切なことだと思う。


(すごいすごい、コツメ!)


最初の音が肝心だ。心を落ちつけてー なんて思っていたら、いきなり弾きだした(笑)



青空のゆくえ


小さい子は、何かを一所懸命やっているだけで、人の心を打つ。


鉄下駄をはいて、地団太を踏んでいるような、強烈にねばる、しっかりとした重い音で、これ以上テンポを遅くしたら、別の曲になってしまうかも? というような重厚堅牢なタッチ(笑)。


(ホメ言葉やないね)


確か楽譜ではトリルだったのでは? と思うところも、装飾音符じゃなくて、ふつうの音符のスピード?
でも、ああ、なんていうんだろう、ひとつひとつの音が、とっても、ひたむきで泣けるのだった。


(コツメー!)


「間違えない」というだけで、泣ける。


この曲、こんなにゆっくりだったっけ? と思いつつ、先生の指示どおり、メトロノームを合わせて練習したのだから、このテンポが、間違えずに弾けて、別の曲にならないギリギリの線で、折り合いをつけた速さなのだろう。

その速度が、また泣ける。

こっちは客席で、もはや号泣なのに(笑)、コツメは、まるでポーカーフェイスで、闘ってるみたいに鍵盤に向き合って、ひたすら小さな指を確実に鍵盤の上にのせて、音を響かせている。


(いったいどんなことを考えながら弾いているんだろう?)


と思ったら、また泣ける。

チョコンと床についた、サンダルのつま先が、また泣ける。

一所懸命な表情と、一所懸命な音を聴くだけで、こみあげてくるから、声を出さずにいるのが精いっぱい。

前日に、ブログで「課金システム」のことを書いていたので、


(ああ、また、これで返済のために一年間ほど、タダ働き…) 


などと思いながら、コツメが鍵盤を抑えるたびに、感動なのだった。


(やったー 最後まで間違えずに弾けたー!!!)


客席にもどってきたコツメに、

「やったねー まちがえずに弾けたねー」って言うと、
「よっしゃーあ」

と、ガッツポーズをしてきたので、笑ってしまった。
間違えずに弾くことが、コツメの最大目標だったのだ(笑)


『サウンドオブミュージック』を、いつかコツメが観るとき、何を想うだろうな……


*    *    *


発表会は、プログラム四十七番まであり、最後はショパン三昧。「別れの曲」「幻想即効曲」「英雄ポロネーズ」……


グランドピアノって、えらいなあと、しみじみ思ってしまった。
プログラム一番の演奏も、プログラム四十七番の演奏も、同じ楽器なのに、別人みたいに違う音だ。
一本の指で弾いているのかと思うような演奏もあり、四十本くらいの指で弾いているようなダイナミックな演奏もあった。


(あ。文章もそうか)


コトバは五十音しかない。

一台のグランドピアノみたいなものだ。ドレミの歌から、英雄ポロネーズまで。
高度な楽曲が、必ずしも胸を打つわけじゃないところも、文章と同じかも。

さて、わたしは、どう奏でたいのか。


*    *    *


「かみのけ、いつから、そんなんなってるの?」
「そんなん?」
「くるくる」
「?」


なんのことを言ってるのかわからなかった。コツメの大きな目が、


(腑におちない)


という顔でわたしの顔回りを見ている。
発表会が終わって、みんなでファミリーレストランに向かう車の中だ。


「くるくる? パーマのこと?」
「うん」
「えーっ おとといの夜は、もう、こんなんやったやろ? うっそーーー。もしかして、今、気づいたん???」
「… うん」
「えーーーっ てんちゃん、コツメ、わたしがパーマかけたの、今までわからへんかってんて!」
「なんでやねんーっ。朝から、ずっと、しゃべってたやん」
「ちがうもんー。ぶーっ」


ワンピースも着せてあげたし、髪の毛もきれいにしてあげたし、コサージュだって、つけてあげたし、写真もいっぱい撮ったし、あんなにいっしょにしゃべってたのに。


「いつから、そんなん、なってるの?」
って、マジマジ見られても (笑)


(なんやー。やっぱり、緊張してたんやん)


おかあさんの髪型なんて目に入らないくらい、いっぱいいっぱい やってんねー。
発表会が終わって、みんなで、ごはん食べに行こうって、車に乗りこんで、初めて、まわりが見えてきたんやなあ。そう思ったら、また、こみあげるもので、胸がいっぱいになった。


しっかりしてたコツメ。堂々としてたコツメ。まちがえずに弾けたコツメ。エラそうなコツメ。
でも、ちいさいコツメ。どきどきしてたコツメ。心配だったコツメ。こころぼそかったコツメ。


そんなこと、なんにも言わへんかったけどね。
かわいいコツメ。


あのね、おかあさんはね、おととい、パーマをかけました!


浜田えみな