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ゼロアートは、
過去・現在・未来を縦横無尽に作用するもの
それをうけとることで、
過去も今も未来も、すべてが置き換わり、
塗りかわり、弾むように動きだすもの


*   *   *


大好きな人に「好き」だと言えなくても、ギャグなら言える。
大好きな人の前で素直になれなくても、ツッコむことならできる。
「笑い」は、オールマイティな隠れ蓑だと、幼稚園の子だって知っていて、「おもしろいヤツ」になって、傷つきやすい心をまもろうとする。


いっしょに遊びたい子とは、素直に遊ばなくちゃ、ダメなのに。


大人になって、初めて部屋に遊びに来た彼女に、小学校の卒業アルバムを見つけられ、クラスのページを開けられて、
「この子かわいい! 好きだったでしょ?」
と、一人の女の子を指さされ、
「転校生で……。しゃべったこともない」
などと、しどろもどろになって目をそらしながら

(ホントは、話したかったのに、きっかけがなくて、遊ぼうって言えなくて、“おもしろくない”なんていってしまって、泣かしてしまった)

などということを思いだして、後悔している人は誰?


「おまえ、おもしろいやん」
と、大好きな人に肩をたたかれて、笑いながら泣いているのは誰? 


しゃーないんかなあ と、新大阪駅で山積みになっている大阪土産の箱を見て思った。


『面白い恋人』


パッケージデザインも、あの北海道銘菓『白い恋人』にギリギリまで迫っている。
 
(こんなことしても、ええん?)


どこまで「おもしろい」を背負うのか? それは、オーサカ人の宿命なのか?

オーサカで生まれ育つと、ボケとツッコミの間合いやリズム、おもしろさに反応する呼吸は、自然に身についてしまう。日常生活が「漫才選手権」のようなものだから当然だ。おもしろくないと置いていかれるのだから、意識せずとも、日々、ブラッシュアップする。
死活問題ともいえる。


オーサカの小学校のクラスで、人気者なのは、顔がいい子でもやさしい子でもなく、おもしろい子.。おもしろさが全て。すべてすべてすべて。オーサカの子は、そんな世界に生きている。

だけど、小学校のモテルールは、学齢があがれば、消滅してしまう(笑) 
ネィティブオーサカではないヒトが、気に病むようなことではない。ぜんぜん気にしなくていい。
……と、思うけれど、それは大人の理屈だものな。


いくら今、人がうらやむような容姿と、健やかな輝きを手にしていても、おきざりにしたままの寂しい心があって、その心がまだ、ひとりぽっちでふるえているのなら、ぜったいに救いに行かなくちゃ。
だいじょうぶなんだよって、伝えに行かなくちゃ。
飛んでいって、つつみこんで、くるみこんで、ずっとずっと、気のすむまで、そばにいて、
なでたり、さすったり、手のひらであたためたり、寂しくなくなるまで、大丈夫になるまで、笑顔になるまで、そばにいて、

「みんな、ホントは、いっしょに遊びたいと思ってたよ」

って、伝えなきゃ。


祈るだけで、伝わるのなら、一晩中でも、目をとじて、祈るけれど、
でも、実際は、表現しなければ伝わらない。


子どもたちが群れになって、髪が風に吹きあげられて、おでこを全開にして、駆けまわっている絵を描こうと思った。林明子さんの描く子どもが好きなので、イメージだけは鮮明で、構図も浮かんだ。
場所はどこにしようか。野原にしようか。路地にしようか。校舎にしようか。子供たちは何人にしようか。何年生にしようか。

子どもじゃなくて、光にしようか。光の子どもが戯れているようす。
画材をどうするか考えているときに、黒井健さんの色鉛筆による油ぼかし技法のことを知り、身の程知らずにも

(できるかも)

と思ったので、材料をそろえた。黒井健さんの技法が載った特集本も、図書館の書架に入っていたものを出してもらって借りて読んだ(笑)



青空のゆくえ


で、ふと

(わたしは、なにをやっているのか?)

と思った。


それは過去の一点を癒すための絵。
ゼロアートではない。


ゼロアートは、過去・現在・未来を縦横無尽に作用するもの。それをうけとることで、過去も今も未来も、すべてが置き換わり、塗りかわり、弾むように動きだすもの。
それを導く方程式を、習ったのだ。法則を習ったのだ。使わなきゃ!


その人を否定し、無力にしていたものが、その人が願い、求めていたものと同じだとわかったら。
自分がなぜ、生まれてきたのかを肯定し、人のために尽くすことのできる、そのひとだけがもつ能力なのだとわかったら。


そんな言葉を、ゼロティブ思考は導いていく。


ゼロの方程式を使うと、たくさんの問いと言葉が展開する。
つながるものも、つながらないものも。
大当たりがかくれているかもしれない、ひもくじみたいに。
だから、ひとつひとつ、ひっぱってみる。


*   *   *


(アンテナ)


そう思ったときから、アンテナばかり見ていた。行きかえりの通勤電車の窓から。
無口で。まっすぐで、同じ角度、同じ方角、融通がきかなくて、ひとりぼっち。

アンテナが受信する多くのものについて考えた。
アンテナが送信する多くのものについて考えた。


山頂に設置されたアンテナ。
砂漠のまんなかに設置されたアンテナ。

目には見えないけれど、今もこの空に、無数に飛び交う情報を、山をこえ、海をこえ、宇宙をこえ、どんな場所からも、どんな場所にでも、アンテナはつながり、届けている。
なんのおもしろみもない、シンプルな形で、おどけたり、ずっこけたり、ふざけたりしないから、いつでも正確に送受信できる。


(架け橋)


どんなに遠くでも、地球のはてでも、むすぶことのできる架け橋が、この空に無数の弧を描いている。


(心のへき地)


人気者で、楽しそうに見える人の心に、思いもかけない孤独な悲しみがある。
本人でさえ気づいていない、そんな「心のへき地」。

地球のへき地に届くアンテナが、過酷な環境の中に立っているように、心の中の深いところにある悲しみや寂しさの場所が、人の心のへき地へ届くアンテナになる。それが癒された場所からなら、なおさら。
受け取った多くのものから、どんな人の心のへき地にもとどくメッセージを、つむぎだして、届けることができる人。

クライアントさんは、そんな人だった。


待っている人が大勢います。



無口で、まっすぐで、おどけたりしないから、

アンテナは、架け橋なんです。

どんな 心のへき地にも届く あなたからの発信に

今、誰もが、チューニングCHU~!


*     *     *


作品を額に入れていたら、長女のコツメ(小学校三年生)が、部屋に入ってきた。

「かわいい!」


コツメは、ピンクもお姫様も大好き。ぜったいにかわいいほうがいいと言うと思ったので、自信満々で訊いてみた。


「なーなー、コツメは、かわいいのと、おもしろいの、どっちがいい?」
「そんなん、おもしろいのがいいに決まってるやん!」
(え?)


長い髪をひるがえし、笑顔を残して、ぴゅーっと出ていってしまった。


あんまりや。コツメ。


浜田えみな