勇気を出してドアをあけたのに、誰もいない。
「すみませーん。こんにちは~」


……  (返事がない)


ふと見ると、受付カウンターに張り紙があった。
“御用のかたは押してください↓”
矢印の下にあった水色のボタンを押してみる。


返事もなく、のっそりと奥から現れたのは、もはや、おじいさんだかおばあさんだか判別のつきにくい年齢の、(たぶん)おばあさん。

こちらが何も説明しないうちに、値踏みをするかのように一瞥された。それから、顔をそむけたかと思うと、あごをつきだし、眉をよせ、ずらした鼻めがねで、口をへの字に曲げ、


「ひゃ~」


(え?)


コンニチハもなく、いらっしゃいませもなく、愛想のかけらもなく、いきなり、しかめつらなんかされて、
 “ひゃ~” などと言われても……

(ワタシ、何かそそうをしたのでしょうか???)


「そんなにいっぱい持ってきたんかいな」
「は?」

いっぱいもなにも、ここは「クリーニング取次店」 わたしは「客」。
たくさん出したらダメなんですかー?
喜んでもらいこそすれ、そんな非難の目で見られようとは…… 


「受付は、もう終わっているのでしょうか?」
「終わってへんがな。あんた、初めてやな?」


(え! 一見さんおことわり?)


「会員じゃないと、ダメなんでしょうか?」
「会員なんて、そんなもん、あらへんがな。そんな、ようけもってきてからに……。出して」
「出してもいいんですか?」

取りだしたとたん、

「あかんあかん! それ、ダウンやな? あかんで!」


(は?)


「ダウンは別料金やで。三点に入らへんで」(注 三点八九〇円のセール中)
「三点じゃなくていいんです。でも…… 半額になりますか?」(窓のポスターを指さす)
「ちゃうがな、半額は、オ ー バ ー コ ー ト ・ ジ ャ ケ ッ ト 。これは、ダ! ウ! ン!」


(はー??)


「じゃあ、けっこうです。それ以外のをお願いします」

(割引がないのなら、別の店にもっていこう)


と思いながら、袋から、オーバーコート・ジャケット・カーディガン・セーターなどを、取りだした。
数年前までは、ちゃんと「おしゃれ着洗い」洗剤をつかって、洗濯機の「おうちクリーニング」機能で洗っていたけれど、今、そんな余力はどこにもない。洗うのはいいのだが、型くずれしないように干す場所と時間がない。天気のいい日も悪い日も、仕事で家にいないのだ。週末も、子どもの行事とPTAの役員会で、ほとんど出かけている。クリーニングだって、持ってくる時間がなくて、こんなに遅くなった。深夜営業のクリーニング店が近所にあればいいのに。


「名前は?」
「浜田です」
「どんな字や?」
「砂浜の浜に、田んぼの田」
「こんな字か?」
「はい」
「数えるで! 一枚、二枚、三枚」(三枚ごとに、しるしをつける)


一枚ずつ衣類を渡すと、順番に伝票に書きこみ、三点になると金額を入れていく。
一枚余った。しまった。出すと叱られそうだから、家で洗うことにして、出さずに残した。
十二点持ちこんだので、八九〇円×四セット×消費税。レジはなく、電卓で計算して、液晶画面を見せてくれる。
「なんて出てる?」
「三七三八……」


「あんた、家、どこ?」
「○○元町六丁目です。駅の近くのマンションです」
「△△さんの近くのとこか?」
「△△さんというのが、どこのことなのか、よくわからないのですが……」
「駅の近くに、マンション、あるがな」
(どれのことだろう?)
「たくさん、ありますよね。地元じゃないので、詳しくないんです。うちは九階建ての茶色いマンションですけど」
「ふうん」
(たぶん、よくわかっていないと思う。お互いさまだ)


袋に残ったダウンコートを、別の店にもっていくのが、めんどうくさくなってきた。
「すみません、ダウンコートって、おいくらなんですか?」
「ものによるがな」
「は……」
「出して」
「はい」
「長さは?」
肩の高さで掲げてみせる。
「千七百円」

(クリーニングに出すのが初めてなので、高いのか安いのかわからない!)

わたしの無言をどう受けとったのか、


「よそは、もっと高いで」と、ピシャリ。

(ほんとかなー??? でも、もう、どっちだっていい)


「どこに持っていっても値段はいっしょ。うちは、五百円勉強してるんやで」

(定価表がないので、どうだかなあ~ でも、もう、いいや)


「お願いします」
「もうひとつ、伝票切るで。ええか」
「はい」
千円札を二枚取りだすと、財布には万札一枚。

(崩しておこうかな?) 

「一万円札でもいいですか?」、
「あかんあかん。今、二千円もってたやろ」
「はぁ……」


もう、どうとでもなれ、です。戦前・戦中・戦後を生き抜いた日本のお年寄りは、エライんです。


おつりを財布に入れていると、声をひそめて身をのりだしてきた。思わず身をひいてしまった。
あわてて体を元にもどす。


「そこに、クリーニング屋あったやろ?」
「は?」
「ここ、むこうに行ったところに、もう一軒、クリーニング屋、あったやろ?」
「……」


たしかに、おばあさんの指さす方向には、もう一軒、クリーニング屋がある。
わたしは、どういう回答を、所望されているのだろうか? 
わからないから、ごまかそう。


「今日は、こっちのほうから来たので、わからないんです」(反対側を指さす)
「そうか」
「近くに、クリーニング屋さんが、あるんですか?」(しらじらしい!)
「うちは、イセツやで、あっちはホワイトや」

店内のポスターを見ると、「イセツドライ」と書いてある。イセツやホワイトと言われても、クリーニング業界の歴史もブランドも、よくわからない。ただ、百メートルも離れていない場所に、クリーニング屋が二軒、並んでいるのだから、おだやかでは、ないのだろう。
それよりも、三人は同級生で、昔、おじいさんの取りあいをしたとか? わくわく。 


もう一軒のクリーニング屋は、やり手のおばあさんと、やる気のないおじいさんが店番をしている。
おじいさんは、事務作業には全く慣れていないが、なかなか男前で、おばあさんは、とにかくしっかり者。おばあさんは、昔はかわいかったのかもしれないが、今、その面影を探すことは難しい。
チラシを片手に、セールの三点セットや五点セットでお願いしようとすると、衣類を確認して、


「こういう上等のセーターやコートは、セールやなしに、別で出したほうがいいけどね」

と、ガサガサのしゃがれ声で言われるし、オプションの特殊加工も、必ずオススメされる。
説明も慣れていて、システムにも詳しい。アドバイスもしてくれるので、良心的かもしれない。

が、今回、わたしが、その老夫婦の店を通りすぎて、しかめつらばあさんの店まで足を延ばしたのは、それがうっとうしいからではない。

めったにクリーニングを利用しないので、会員証をなくしてしまい、再交付の手続きをするのが、めんどうくさかったのだ。探す時間もなかった。もしかすると有効期限も切れていたかもしれない。


ともかく。
しかめつらばあさんは、なぜだか、しかめつらをほどき、別人のようにイセツのよさを語ってくれた。ひょっとして、仏頂面は、単なる人見知り?


「まあ、一度、頼んでみて。仕上がりを見たらな、わかるから」


どんなことにでも、自分が関わっているものに、誇りをもつことは素晴らしい。


それにしても。
笑って……いるのだろうか? 硬いしわの下の表情の動き。
口角があがるような笑い方ではない。強いていえば、「岩」が笑ったら、こんなふうなのだろうか? という感じ。
かわいい。


伝票に、仕上がり予定日が書かれていないので、きいてみる。
「いつ、できあがりますか?」
「わからへん」
「え」

わからない? 標準仕上がり期間というものは、存在しないのだろうか?
いつ、引きとりに来たらいいのだ?


「ここに電話番号書いて」
「はい……」
「うちはな、通年、やってるねん」
窓に張られたポスターを指さす。
「はい」
「三点八九〇円! いつでもや」

「はい」

「だからな、ちょっとずつもってきたら、あんたも重くないし、わたしもたいへんやないの。こんどから、ためんともってきて」
「はい……」


説教されてます? 何回も思うけど、わたしは「客」です。
客なのに。
まるで、何かの審査を受けているみたいだ。なんなんだ。
まさか? 
そうなのだろうか?


衣類を受けとりにきたら、「指令」が下るのかもしれない。
この水色のボタンがつながっている場所……


天井からつるされた衣服の奥に、隠し扉が。


浜田えみな