(絶対行かなあかん!)


チラシを見た瞬間に思った。
絶対行こうと思ったから行ってきた。


パウル・クレー 『おわらないアトリエ』
京都国立近代美術館


クレーのことをよく知っていたわけではない。
何枚かの絵を観たことがあり、表紙になっている詩集を見かけたことがあり、クレーを好きだと言う人を知っているだけだ。


「おわらない」という言葉に惹かれた。


チラシは中央から上下に開くタイプで、一枚の絵が、分かれて展開する。これは、後述するクレーの技法の一つを表していた。
淡いトーンのグレーと、ややメタリックな渋いピンクが効いて、オトナかわいい。このチラシを飾るだけで、部屋がアーティスティックになる。


「クレー作品が物理的にどのように作られたか」
「どうやって作ったか」
「製作プロセス」
「制作上の具体的な技法を検証する」
「クレー芸術の創造的製作過程を明らかにする」


解説に踊る文字。


(絶対、行くねん!)


今回、京都と東京で開催される展覧会は、クレーの芸術の制作上の具体的な技法を検証した六章からなる。そのなかで技法のプロセスとしての構成は


1 写して/塗って/写して 油彩転写の作品
2 切って/回して/貼って 切断・再構築の作品
3 切って/分けて/貼って 切断・分離の作品
4 おもて/うら/おもて 両面の作品


だった。


製作過程の試行錯誤や、プロセス!


絵画作品を切ったり貼ったりするなんて、想像もできないけれど、文章ならば、常に切ったり貼ったりだ。段落まるごとなくなることもある。前後を入れかえることなど、しょっちゅうだ。

完成した作品よりも、「どうやって作ったか」が、“重大な関心事” だったというクレー。ひとつの作品を追求し、反芻する画家の記録を、絶対に観たいと思った。


最後の一文。最後の一筆。


いつ、おわりにするのか。どこまで描くのか。
「おわらない」という言葉に、共振した。


*        *        *


京都の会期はニ〇一一年三月十二日~五月十五日
仕事をもつ人なら、わかると思うけれど、この時期に休める職場などない! 年度末・年度始め・人事異動…
子どもをもつ人なら、わかると思うけれど、この時期はてんてこまい! 卒入学・新学期・授業参観・懇談会・家庭訪問… 


(いつ観にいくねん?)


行事に追われて気づいてみれば、もはや連休が明けていて、あと一週間! 


(いつ休むん?)


(もう無理かなあ~) 


(いやいや。なんとでもなるってー。 そのぶん、残業したらええもんな)


五月十三日は、交通安全週間の旗当番だから、一時間の有給休暇の申請をしなければならなかった。
あと二時間、追加するくらい、


なんとでもなるってー!(ホント?) 


週明けからずっと雨だったのに、当番の金曜日は晴天! 「みどりのおばさん」の旗と腕章を付け、


「おはよう!」
「行ってらっしゃーい!」
「ほらほら、一列になってー」


三十分ほど連呼したあと、駅までダッシュ。職場とは全く反対方向へ……


(わー 京都だ! 京都だ!)


京阪電車の三条から、美術館への道は、春も夏も秋も冬も、何回往復したか数えきれない。
といっても、絵のことをわかっているわけでも、詳しいわけでもない。ひょっとしたら、好きなわけでもないかもしれない。

ホンモノを観る機会があるなら、観ておこうと思った日から、興味のあるものには足を運んでいる。大阪に住んでいるから、兵庫も奈良も京都も行ける。恵まれている。


*         *         *


意気ごんで出かけたクレー展だが、六章から成る展示を観ても、なぜ、その技法を選択したかは読みとれなかった。五百点で貸し出しをしている「音声ガイド」(五百円)で、解説を聴けばわかったかもしれない。
ただ、「油彩転写」時代の作品に惹かれた。
水彩の色合いやグラデーションが、日本の伝統色を思わせたからだ。
自然の中で、生きているものたちの色合いを、スイス生まれの画家の作品に感じて、ずっと絵の前に立っていた。


(この風は、どこから吹いてくるのだろう?)


と考えながら。

クレーの絵画のなかに見られる「油彩転写」という技法は、黒い油絵の具を塗った紙の上に、鉛筆やインクで描いた素描を置き、描線を針でなぞって転写したあとに、水彩絵の具で彩色するものだ。油絵の具は、水をはじくので、にじんだりせず、自由に色をつけることができる。転写だから、どんな輪郭線でもとれる。彩色は、輪郭にこだわらず、思いのままだ。

素描の線と色と面。二次元が三次元にも四次元にも五次元にもなる、色づかい、筆づかいの魔法。


どんな絵の具を使っているのだろう? 
どの時代の絵より、このときのクレーの色づかいが好きだと感じた。とても、日本的なのだ。黄色ではなく、うこん色や朽葉色。赤ではなく、紅色や茜色。青ではなく、青藍や紺青。
日本の伝統色とされているもの…… 隣りあって並んでいなければ、同じ色にしか見えない微妙な色相のちがいを感じわけて、くっきりと名づけられた情緒あふれる伝統色の名前。その繊細でとぎすまされた日本人の感性を、想った。


素描に命を吹きこむように、リズミカルに彩色されたグラデーションの中に。


*        *        *


京都国立近代美術館のコレクション・ギャラリーの展示階フロアからは、平安神宮の真っ赤な大鳥居が真横に見える。いつ来ても、何かのオブジェのような気がして、驚く。
美術館を出ると、緑があまりにもきれいだったので、疎水沿いに、仁王門通りを歩いた。

思わず足をとめた 紅茶と焼き菓子の店。

 
白い小鳥の細工……  となりのライムケーキも、ふっくらとして、おいしそうだ。
どんな味がするのだろう? ていねいにシュガーコーティングされた生地は、作られたときのまま、しっとりしているだろう。口の中では、どんなふうに素材の風味をころがしながら、とけていくだろう? 
ゆっくりと味わうひとときは、至福にちがいない…… 


(ちがいないけど、仕事だしなー)


めくるめく想像のなかで、唾を飲みこみ、誘惑をふりきって、ダッシュでかけもどった。
昼前には、職場の席にいた。
なんなんだ?(笑) ほんの数時間前には、クレーの絵の前にいたのに。


クレー展が開いてくれた窓は、転写の技法と、日本の伝統色。とぎすまされた感性への憧憬。
クレーのファンの人には眉をひそめられそうなことばかりかも。だけど、


(この風は、どこから吹いてくるのだろう?)


絵の前で、そう感じたことは、忘れない。


浜田えみな



美術館と 小鳥の焼き菓子の画像は → 風が吹いてくる ~クレー展 京都・岡崎~