日曜日に本をもらった。
うれしいなあと思っていたら
水曜日にも、もらった。
カバンの中で、二冊並んだ本は、どちらも小説に関わる本だった。
日曜日にもらった本は、『小説家という職業』(森 博嗣著 集英社新書)
ゼロアーティスト養成講座の五回目だった。
吉井さんから、受講生のみんなに贈られた本。
絵本あり。小説あり。新書あり。実用書あり…
吉井さんの本棚にあった本のなかから、ひとりひとりの「今・ここ・未来」にフォーカスして、セレクトしてくださった。
本をもらうことは、うれしい。自分のための一冊だということが、うれしい。みんなの前に、それぞれちがう本が置かれている光景が、うれしい。
通勤電車のなかで読みはじめながら、吉井さんのつけたページの「折」をリアルだと思った。自分以外の人の手元にあったものだというリアリティ。
大きな折ほど重要なのだろうか? ぜんぶ、大きさがちがう。角度も面積もあまりにもバラバラなので、意味があるのかないのか、よくわからない。
わたしだったら、
(絶対、このページを折る!)
と思うところに、まったく折りめがなかったりして(笑)
図書館の本などで、誰のものかわからない書きこみや折れがついていると、思考が、ざわざわと中断されるような心地悪さを感じるけれど、誰のものだかわかっている痕跡というものは、存在と、温度を感じる。
こっそりと片思いしている人から、もらった本だったら、ものすごくうれしいだろうなあ。その人が同じページを読んだというだけで、舞いあがるような気持ちになるだろうなあ。
吉井さんの「個性的な折」のついた本を、わたしなどがもらっていいのだろうかと思いつつ、内容を読みすすむ。
(森 博嗣さんって、『隠蔽捜査』(今野敏著)の竜崎伸也みたいな人だ)
吉井さんが、なぜ、これをくださったのか、わかった気がした。
今まで、押されたことのないスイッチが、たしかに入った。
スイッチの内容については、また別の機会に書くことにする。
水曜日にもらった本 『書く前に読もう 超明解文学史』(三田誠広著 集英社文庫)についても、あらためて書こうと思う。三田誠広は、二十代前半のころ、よく読んだ作家だ。
(ひとは、一生のうちに、何冊、本をもらうだろう?)
帰宅して、本棚を確認した。
『赤毛のアン』(小学ニ年生)
『いわさきちひろ全集1969・I』(二十代前半)
『FOCUSING』(二十代後半)
『たけくらべ』(二十代後半)
『文楽 芸と人』(二十代後半)
『伊藤比呂美詩集』(二十代後半)
『アンジュール』(二十代後半)
『空とぶ馬』(三十歳)
『ルリユールおじさん』(四十ニ才)
多いのか少ないのかわからない。
常時使う以外の本棚は寝室にあるので、ふだんは手にとることもない。
『ルリユールおじさん』が、気になった。
(すごく感動した記憶があるのだけど、どんな話だったっけ?)
ベッドに寝転がって、ページをめくっていった。
(……)
二冊の本は、『ルリユールおじさん』を手にするための道しるべだったのだ。
目の前におかれたものを、ついばみながら進んでいくと、求めていたものが手をひろげている。
養成講座五回目の宿題は、「自分のためのゼロアートづくり」
『ルリユールおじさん』に描かれたものは、まさにわたしの「泣きツボ」の宝庫だった。
Relieur(フランス語)
「製本」
「もう一度つなげる」
つなげることは、つづくこと。つづくことは、かなうこと。
「あたらしいいのちを生きる」こと。
「魔法の手」
父から息子へ
金の文字で自分の名前がきざまれた本を手にしたソフィー。
表紙に顔をうずめ、生まれ変わった本を抱きしめるソフィー。
(わたしだけの本……)
(わたしだけの本……)
(わたしだけの本……)
紙のカバーをそっとはずすと、そこには、また、新しい世界があった。
『ルリユールおじさん』は、夫からもらった。
浜田えみな