読みおわったとき、無意識に大きく深呼吸していて。
今まで吸いこんだことのないくらい、腹の底ふかくまで、空気が入っていくのを感じられて。
自分のからだが、果てしない草原のようにひろがっていくような、そんなものがたりを読んだ。
かたく合わさり、こわばっていた骨や膜がゆるんで、からだが、ほどけて、軽くなっているような。
とどこおっていたものがとけて、しずかに流れがよみがえっているような。
何度も何度も涙があふれてきて。感情が動いて、よみがえるものがあって、つながるものがあって。そのたびに、やわらいでいく。とけていく。しみだしていく。流れていく。
指さきやてのひらのぬくもりで、マッサージを受けているように、文章の力で、心をゆるめることができるんだ。何度もくりかえす、うねりとゆらぎで、心がストレッチされている。リリースしていく。
そんなものがたりを書きたい。そんな癒し。
文章を読むことは、能動的な力を要する。
まぶたをあければ、とびこんでくる光景ではない。意識しなくても、耳にすべりこんでくる音楽ではない。
だから、本当に疲れはてた人の心をすくうのは難しいと思っていた。本を手にとり、ページの先へ、先へと、文字を追ってもらわなくてはならない。時間もかかる。読もうという意思がなければアプローチできない。でも……
つながることができたら。
ひとつのことばから。ひとつの文章から。ひとつのものがたりから。
おりなされていくものは、果てしなく、どんな場所にいても、どんなときでも、どんなふうにでも、ミラクルが起きる。
自分だけの世界。自分の歩幅。自分のリズム。自分のニュアンス。
登場人物の表情。質感。声。空の色。海の色。風の色。ぜんぶ、自分の内側に生まれている。そして。内側に生まれているものが、飛び出す瞬間があるのだ。
世界が動き出す「感じ」。その中に自分が「いる」感じ。
ものがたり特有のリアルさは、ときに圧倒的な臨場感で、ゆさぶりをかけてくる。今いる場所がどこであれ。今いる自分がどうであれ。それは奇跡のように。
ものがたりにしかできない「癒し」がある。ものがたりだけがもつ手法がある。
そのことに、気づいた。
からだにふれなくても。アロマオイルをつかわなくても。
心にふれることができる。
ああ、そうだ。
心にふれることができるんだ。
だから、わたしは、とりこなんだ。ものがたりの。
浜田えみな
『風待ちの人』 伊吹有喜 (ポプラ社)