「坂道」


坂道の展覧会をしたい


坂道という言葉をきいて
浮かぶイメージを、そのまま額縁に入れて


それはきっと
いま、そのひとの 人生の時


リクトの坂道
コツメの坂道
おとうさんの坂道
おじいちゃんの坂道
おばあちゃんの坂道


リクトの坂道は、去年の駅伝競走のスタート地点の上り坂かもしれない
コツメの坂道は、小学校の西門からの長い坂かもしれない
ふたりとも、入学式の帰りに、
おとうさんと、おかあさんと、三人で手をつないで歩いた
桜の花吹雪の春の坂を覚えているかなあ


毎日、歩いている坂道
いつか登ったことのある坂道
そんなものを、思いだすのだろう


おとうさんの坂道は、どこだろう?
おじいちゃんの坂道は、いつだろう?
おばあちゃんの坂道は、だれと一緒だろう?


展覧会をしたい


さかみち


おかあさんは、いま、本当の坂道は思いうかばない
はてしなくつづく道がみえるだけ


のぼりでもない、くだりでもない、
春でもない、夏でもない、秋でもない、冬でもない
朝でもない、昼でもない、夜でもない、
山あいでもない、海辺でもない、
暑くもない、寒くもない、暗くもない、まぶしくもない、
くるしくもない つらくもない 
うれしくもない たのしくもない


ただ、つづいている道を
歩いていくんだと、思うだけ
坂道の先は見えないけれど
ひらける場所があるとわかるから
さあ、歩いていこうと、腰をあげるだけ


浜田えみな


    *     *     *


コンサートの雑感で、


「同じ言葉が、重さをかえる。意味をかえる」
「言葉のもつ意味が塗りかわり、おきかわり、自分のなかで意味を持ち、光となる」


という文章を書いた。
とつぜん、「坂道」という言葉と、目の前にひらける情景が浮かんだ。


小学生のリクトやコツメの「さかみち」は、きっと、ちがうだろうと思った。
夫や両親の「坂道」も、ちがうだろうと思った。
「坂道」は、ものすごく象徴的な言葉だと感じた。

十年後、いや、一年後ですら、わたしは、きっと、違う「坂道」を描いている。


「人生の歩き方」のような…
坂道の展覧会を開催するような…
ものがたりを、書けないかな


そう思ったことを、書いておく(笑)