(なんで普通に産んでくれへんかったん?)


名前が好きでなかったわたしは、誕生日もイヤだった。
コントロールされた出産なんて、素直に受けいれられない。どうしたって、ぬぐえないしこりだ。


(なぜ、自然に産んでくれへんかったん?)


母子手帳の出産予定日は三月二十一日。陣痛発来の状況欄は「人工」。
母から聴いていた理由は、《胎児が大きくなりすぎて、予定日まで待っていたら、帝王切開しなければならないから》というものだった。


「お母さん、田舎者で何にも知らなかったし、おなか切ったら死ぬと思ってたから……。先生が、今なら、下から出せるからって言ったから、おなか切るのはイヤです、早く産みます!って言ってん」

(「お産の家」で、自然出産を推奨している)吉村正先生が聞いたら、目をむいて怒りそうな話だ。いくら胎児が大きくなりすぎたからといって、陣痛促進剤を使って、一ヶ月も早く出産させなくても、そのまま自然分娩できただろうに。女性には、その力が備わっているだろうに。

(母は、なんて、無知なんだろう!)

わたしは、怒っていたのだ。奥深いところで。たぶん、ずっと。 


         *         *        *


機会あって、頭蓋仙骨療法を学び、胎児の頭蓋骨が、母親の脊椎や骨盤や恥骨で圧迫され、出産のときの、どこに圧力がかかったかによって、生じたゆがみが、その後の骨格や感情形成に大きな影響を及ぼす可能性があるかもしれないことを知った。

自分の二度の妊娠・出産を振りかえるとともに、出産・バーストラウマなどについても知ることになった。知れば知るほど、自分の性格上のネガティブな部分は、この一ヶ月早い人口分娩に帰依している気がした。


(どうして、自然分娩してくれへんかったん?)


母にぶつけられない、ゆきばのない思いが、ふつふつと、静かに、でも、けっして消えることなく、積みかさなっていたのだと思う。

たとえば、早産・未熟児のバーストラウマは、外に出ることに対する恐怖・不安や恐れと、「まだ早い」という気持ちを持つという。陣痛促進剤は、赤ちゃんにとっては全身苦しい痛み。「助けて」という叫びがあるという。へその緒がまいている子は、パニックになりやすく、喉が弱くて、自分の気持ちを表現することの恐れを持つという。


母にどうしても聴きたかった。なぜ、わたしが、二月二十一日に生まれることになったのか。


         *         *        *


今年の浜田のテーマは、「女性性」と「うまれる・うむ・いのち」という大風呂敷だ。(書けるだろうか?)
映画を観たり、本を読んだり、講座を受けたり、助産士さんに話を聞いたり、そのときに訪れるものをキャッチしつつ、まったく収束できなくて、資料ばかりが積みかさなっているけれど、そのつど、確実に心にとどくメッセージをもらう。お産の現場に立ち会ってきたひとたちのコトバは、深くしみいり、とほうもなく、あたたかい。たった、ひとことで。


生まれる瞬間だけが、お産ではない、立ち会い出産というのは、生まれるそのときに、そばにいたかどうかではなく、妊娠期間中をふくめて、妊婦や胎児と一緒にいたかどうかだということば。
誕生とは、産道から出てきたときではなく、おなかに宿ったときからだということば。
いつ生まれるか、どんな状況で生まれるかは、母親の意思ではなく、すべて、赤ちゃんが選んでいるのだということば。


父と母のもとに生まれてくるのも、二月に生まれてくるのも、わたしが選んだことなのだ。そう思えたとき、すべてが楽になった。分娩のかたちが重要なのではない。自然分娩であれ、医療の力を借りた分娩であれ、どう生まれてきたかということより、どう、つながってきたかということだ。おなかのなかで、母と父と。


         *         *        *


「どうして、一ヶ月早く産まなあかんかったん?」
「出血して、切迫流産で入院して安静にしているうちに、えみなが、大きくなりすぎて……」
(切迫流産!)
そんなことは初めて聞いた!
(なんだ、やっぱり、わたしが早く生まれたかったんだ(苦笑))
徳島から出てきて、初めての妊娠で、八ヶ月で出血して、入院して、絶対安静だなんて、不安で心細かったことだろうと思う。


母子手帳を見ると、「午後九時十二分」と書いてある。
「夜の九時やったら、わたしが生まれたとき、みんなそばにいた?」
「それが、だれもおれへんかってん」
「なんで???」
「だって、時間かかってんもん。陣痛がきたから、すぐに産まれると思って、看護婦さんに頼んで、田舎からおばあちゃんを呼んでもらったのに、陣痛が止まってしまって、三日くらいたっても生まれへんし、おばあちゃんもすることないし、困ったわー。最後は、痛くて、お父さんや、おばあちゃんや、看護婦さんや、みんなに交代でさすってもらったのに、ぜんぜん、おりてこなくて、お父さんもおばあちゃんも、疲れて、『もう帰ろかー』 って、みんなが家に帰ったときに生まれてん」


予定日が三月二十一日で、生まれたのが二月二十一日だから、ちょうど一月前に陣痛促進剤を打って、すぐに生まれたのだと思っていた。三日も、おりてこなかったなんて。今まで、ただ、憤りをぶつけていた母に、申し訳ない気持ちになった。やはり、わたしが、その日を選んだのだ。


ふいに、横から父が
「えみなは、何回も死にかけたなあ」


正確には三回だ。
生まれた次の日に、産婦人科が火事になり、煙にまきこまれて、チアノーゼ状態になった。母はショックで母乳が出なくなるし、わたしは、そのあとミルクを全く飲まなくなって、もともと月足らずなので、小さく生まれていたから、どんどん体重が減って、一ヶ月たって、やっと、出生時の体重に戻って退院できたと言っていた。
自分で選んで生まれてきたにしては、過酷な試練(苦笑)


生後六ヶ月ごろ、田舎の親戚に見せるために、母と二人で徳島に船で帰省する際、台風に直撃され、大荒れの海で、船のエンジンが止まってしまった(!) それこそ、天地が返るような船の中で、母は「もう死ぬ」と覚悟したそうだ。


生後八ヶ月ごろ、徳島の母の実家で、叔父の灰皿にあったタバコを食べてしまい、死にかけた(!)

「えみなの小さい布団のまわりに、みんな、ぐるりと、ひざと頭をつきあわせて… 何人おったかなあ… ずーっと、みんなで見てたなあ……」


(葬場で遊んでるから、連れて行かれそうになるんやろー?)
と、百回くらい突っこんでしまいそうになるけれども(笑) 


          *           *          *


(そういえば!)
わたしは、生命線が三重だ。
手相を観てもらったときに
「こんなにクッキリした、三重生命線は見たことがない。浜田さんは、病気などでは死なないですよ」
と言われたことがある。
(じゃあ、保険かけてるの、もう解約しようかなー) 
と思ったのだが、なんのことはない。生まれてすぐに、その効力を、使ってしまっていたのだ。命をつないでもらった名残が、この手相……?
未来の分は、もう残っていないかもしれないから、やっぱり保険はかけておこう。


なぜ、わたしは、生き長らえたのだろう?


生まれたばかりの小さい命が尽きようとして、抱くこともできないとき、そばにいる者ができることは……
祈ること。見守ること。


名前を呼ぶこと!


不思議だけれど、死にかけたとき、両親のほかに、必ず祖母がいた。田舎の親戚がいた。
どれだけ、名前を呼んでもらったのだろう。どれだけ、祈ってもらったのだろう。
片手で抱けるような小さいからだにともる、かすかな灯火。消えいりそうな、その灯火を、まきかえし、吹きかえし、みちあふれさせる治癒の力。内在力。生きる力。何度死にかけても、何度でも、わきおこらせる力。
死にかけている赤ちゃんを呼びもどすことだま。それほど強い力はない。愛に満ちた祈りはない。


その力が、わたしの「ゆ」のことだまなんだ!


ひとのもつ治癒の力を……、源泉を……、たとえ、消えいりそうになっていても、吹きかえすことが、できる。その力!
その力をもっているんだ! みんなが、名前を呼んでくれたから。
今、生きていることが、その証。


         *         *        *


わたしが、その日を選んで生まれてきた。
名前のことだまは、とりまく人たちの、愛と祈りでできている。
そのことが、わかった。

母と祖母のことだまは、「し」 
どんな困難があっても、大丈夫にする力。逃げずに乗りこえることで、問題を解決し、大丈夫にする力。


母に、もっと、話をきこう。自分のなかにある、喪失感。埋められない何か。みたされない何か。あふれをとめている何か。輝き。魅力。得がたいもの。喜び。安らぎ。幸福。……
それらのヒントを、みんな、母がもっている。そんな気がする。
だれよりも強く、わたしの名前を呼んでくれた母が。


                         浜田えみな


次回は、午前中の講義「個性心理学講座」での学びです!