あけましておめでとうございます! 二〇一一年が明けた。
「過ぎたことは過ぎたことだ」
ゆうべ、湯船に鼻までつかりながら、心のなかで幾度もとなえた。こんなシンプルなことばで、こんなにも強くなれるなんて…… 今だから、ひびく。
すっかり「す」になった胸に、新しい風が入ってくる。
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初詣に向かう車窓から見あげた空は、不安定な天気で、雪雲の裂けめから、日が射しこみ、青空のかけらが見えかくれしながら、ちぎれていく。そのなかで、ひときわ、明るい裂けめのなかに、うすぼんやりした虹色がうずまいていた。弧も描けず、ただ、水蒸気に光が屈折しているだけの、もやのような虹。すぐに後ろに飛びさって、見えなくなってしまった。もう一度たしかめたくて、窓にはりついて、空を見あげて、目をこらしていた……。生まれたての虹にあいたくて。
この雪雲のうしろに、大きな虹のアーチがかかっている。
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今年のいろはの教え。わたしが今年、学ぶことは、なんだろう? 左手に気をこめ、目をとじて一枚。
「す」
少しきを 足れりとも知れ 満ちぬれば 月もほどなき 十六夜のそら
まだ少し足りないくらいで満足する気持ちを持つこと。月も満月になれば、翌日からは十六夜の月となって、欠け始める… という意味。八、九分の完成で満足せよということではなく、欲を出しすぎて道を誤ることのないよう、常に不平不満の生活を送らないための戒めを詠んだ歌。欲がつのれば、相手がねたましくなる。足ることを知り、分を知り、現状に感謝することで、心の平安が生まれる。そんなふうに書かれてあった。
分を知る。
苦しいのは、目標設定がまちがっているのかもしれない。自分の分を、わきまえていないのかもしれない。集中すべきことの選択を、まちがえているのかもしれない。
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ことだまの新年は旧正月から始まる。
冬至から節分までの期間は、旧と新のエネルギーの交換の時期にあたり、新しい年の幕開けに向けて、目標設定と清算を行う、助走期間とされている。
わたしは、二〇一〇年は、「は行」の学びの年だった。そして、二○一一年の節分からは「ま行」の学びへ入る。今は、そのエネルギー交換の時期というわけだ。
は行の年は、「発信のことだま」といわれている。 あ行~な行の五年間で、培ってKたこと、学んできたことを、外に向けて発信していく年。そして、ま行の年は、「評価のことだま」といわれ、発信したことについて、評価を受ける年。翌年のや行「継続のことだま」へとつながるがんばりどころ。
昨年、「き」のことだまを持つ人との出会いが多かったが、それ以上に、わたしのまわりには「み」のことだまがあふれている。自分の名前、妹の名前。夫の名前。子供たちの名前。仲のよい友だち、文章修行の師と仰ぐ人、名前のことだまの世界へみちびいてくれた人、とにかく、「み」の人との出会いは途ぎれたことがない。このことは、何を意味しているのだろう? 「み」も、たくさんの意味とはたらきがあり、一生、学びつづけることだまなのだ。
「き」につづいて、今年は、あらためて「み」の学びの深さに、意識を向けている。
基本的には、「水」のはたらきだ。
自分を磨く。浄化する。流されるのではなく、自分の流れをもつ。育てる。導く。実り。……
今のわたしが必要としている力は、どれだろう?
「ま」は、「ほんとうの」という意味。わたしにとっての「ほんとうのもの」…… たいせつにしていくもの、まもるべきもの、きわめていくものが、今年、はっきりとわかる。ドキドキする。
「まっすぐ進む」はたらきもある。目標さえ決まれば、迷わず、突きすすむ力。
ま・み・む・め・も のことだまを持つ人は、キーパーソンとなる人。
よろしくお願いします(笑)
自分が今年、何行の学びにいるのかは、十一月~三月の期間限定で行っている「運気鑑定」でわかります。詳細は、後日、アップします。
浜田えみな