素敵な夏のスカーフ!渋沢栄一資料館を見学した後、お土産売り場で買いました。

株)旺栄「渋沢逸品館」の藍染め製品です。


説明によると「渋沢栄一の生家は「藍玉」(あいだま)の製造販売を手広く展開していました。」

「藍玉とは、藍染めの原料です。埼玉県深谷市生まれの栄一は、家業を手伝う中で、経済・経営のノウハウを身につけいきました。」

(なんてさまざまな色合いの染め模様でしょう!)


「栄一は地元武州から、上州・信州方面まで藍玉を販売し大成功を収めます。今のお金で換算して、栄一ひとりで年間5億円を売り上げようです。」この説明書を読んでびっくり!


素晴らしい!なんだか当時の商品を渋沢栄一さんから買い求めたような喜びがあります。お土産にしてはちょっと高額でしたが!自分のために!

さて、2日目のスケジュールは、公益社団法人「温故学会」はなわほきいち氏の資料館に見学!

まずは名前が読めなかった。

塙 保己一(はなわ ほきいち)1746年〜1821年,


今回のサザンクロスの会の同窓会は、「大人の修学旅行」と名付けられておりまさしく勉強になりました。初めて知りました。

「世のため 後のため」という素敵な言葉がとても心に残りました。


土曜日で休館にもかかわらず、事前にもう1人の幹事が理事長さんに特別お願いして開けていただき特別に講義をしていただきました。素晴らしい内容に感動しました。


[学んだこと]

温故学会は、盲目(中途失明)の江戸時代の国学者塙保己一を顕彰した記念館で、昭和2年に開館されました。

渋沢栄一は、塙保己一と同郷(埼玉県)であり、この温故学会設立に大きく貢献しました。

保己一は貴重な「群書類従」(ぐんしょるいじゅう)666冊を編集した人です。

これは日本の古書・古文を分類し編纂(へんさん)した我が国最大の史料集です。

なんと1万枚という大量の版木(はんぎ)がこの資料館に眠っています。木は丈夫な山桜の木だそうです。

木に文字を彫っていったのですね。当時は、その版木を印刷をして本として残していったのです。

江戸時代後期に活躍した全盲の学者。

理事長さんの詳しいお話しから少し説明します。

「塙保己一は、7歳の時に病気がもとで失明した。15歳で江戸に出て学問の道に進む。」

「保己一は、全盲のために人から本などを読んでもらう。するとどんな難しい内容でもすべて頭に入っていき暗唱できるほどの力をもっていたそうです。」 それはすごい!

「群書類従」を完成させるためには、周りの弟子たちから読んでもらってそれらを頭に入れて666冊を完成していく方法だったようです。

このお部屋でお話しを聞きました。

江戸時代からここに塙保己一や渋沢栄一がいたと思うととても感激しました。

(渋沢栄一は彼をお金の面でも大いに協力し、支援していたようです。会議にはこの部屋で一番中央に座っていたそうです。)

お話しによると渋沢栄一は自分のことにはお金は使わず、着ていた服は繕ったあとがいくつもあったようです。


「保己一は万葉集や「徒然草」など約2万枚の版木を弟子たちの力を借りて作成していった。

34歳の時に全国に散在していた古代から近世までの貴重な史書、秘伝書、文学作品を編纂(へんさん)し出版することを決意した!」

そして、74歳の時に完成!すごい!

「世のため 後のため 今の私に何ができるのか。」保己一先生の言葉です。

素晴らしい資料を見せてもらいました。


このあと恵比寿ガーデンプレイス内にある「イタリアン料理ボッチヤ」でランチ会。39階!


まもなく夜の9時になります。

この続きはまた明日!

See you!

Emily