コンピレーションには二種類ある。魂がこもっているものと、そうでないもの。後者は、消費されていく。カーステレオから惰性で流れるベストヒット’80sとか、NOW、とか。別にそれらを否定するつもりはない。「あったね、こういうの」美味しいとこどりの煌びやかさだったり、時代を切り取ったノスタルジーとセンチメントのお役立ちアイテムとなる。その代わり、収められたアーティストの表情は何も見えてこない。

前者は、羅針盤になる。時代を切り拓こうという熱量と、収録曲よりもむしろコンセプトやアーティストの想いが伝わってくるのだ。そしてその熱はもしかしたら聴いた人の人生を変える、までは行かずともちょっとだけマシにするかも知れない。私は昔からそういったコンピや、スプリット諸作が好きだった。

 

だからこのコンピに誘われたときディスジャパの矜持がしっかり伝わってきてとても嬉しかった。それに対して過去リリースしたアルバムに入っている曲を「はい、どうぞ」で納期に間に合わせることはしたくなかった(仮にNOWみたいなやつだったらメンバーとLINEでやりとりして「これでいいよね」とデータを送ってお終いだったと思う)。悲しいかな時間の制約等もあり“これのためだけに書き下ろしました”とまではいかないのだけど。

 

とにかく私たちは1/19ではあるけどちゃんと魂をこめたので、これが誰かの羅針盤になったらいいなと思う。

 

オルタナという言葉は本来便宜的なものでしかなく、それがいつの間にか音像や音楽性を表現してしまっているのは残念だけど、むしろ音楽性じゃなくてパンクと同じでアティチュードの問題なんだよな。だからこそ、ディスジャパはオルタナと呼ぶのにふさわしいんだ。

 

『NOT FORMAL 〜NEW CHALLENGER〜』

発売日:11月13日(水)予定

参加アーティスト:THIS IS JAPAN 、aoni、1980YEN、Emily likes tennis、The Whoops、錯乱前戦、SEAPOOL、xiangyu、時速36km、空きっ腹に酒、逃亡くそタわけ、勃発、FRSKID、奮酉、Bearwear、MASS OF THE FERMENTING DREGS、揺らぎ、RiL、ROKI

 

取り留めがなくなってしまったけど、私の羅針盤となった数枚を紹介して〆ます。

 

〇Say hello to th far east All From SUB POP

信じられないようなダサジャケはさておき、当時隆盛を極めたSUB-POPの日本向け企画盤。ちゃんとリリース後に何組か招聘してイベントをやっていてすごいと思う。歌詞カード兼小冊子も読みごたえあるしちゃんとサブポップシングルスクラブのメンタリティに則っていることがわかる。

とにかく1曲目のfastbacksのラズベリーズカバーから最高(fastbacksはメンバーがサブポップの社員なのもいい)。面子は節操がないというか、めちゃくちゃなんだけど、自分はこれでSEBADOHとかCODEINEとかSIX FINGER SATELLITE(テクノ好きとかポストパンク好きとかにもっと評価されて欲しい、あらゆるセンスが最高)とか好きになった。高1くらいで出会えてよかった1枚。

 

〇International guardians of Rock’n’roll 1983-1999

クリエイションの歴史をまとめた大ボリュームの2枚組。大学生の頃クリエイションのレーベル買いをしており本当に頭がおかしかった(エド・ボールのLPとかも持ってた)。とにかくめちゃくちゃ打率が高かったんだよ。1曲目のジザメリから吹っ飛ばされる(ギター何本重ねてるんだよ)。ネオアコ/ネオサイケ~シューゲイザー~ブリットポップとUKの最先端の旗手であり続けた本当に稀有なレーベルだった。惜しむらくはヴェルクラのDrive Me Down、絶対普通のバージョンの方が良くない?というところ。

 

〇NO NEW YORK

説明不要のノーウェーブの教科書。どんな作品でもそうかもしれないけど、とにかく1曲目が全てで、このDISH IT OUTは1番ファースト王貞治みたいな反則感。めちゃくちゃな喩えかも知れないけど、初めてネットでグロ画像を検索してしまった時のようなおぞましさすらある1枚。Teenage JesusのTシャツ、文字通り穴が開くまで着た。ここからノーウェーブ、ポストパンクにドはまりしたんだった。4バンド4曲ずつという構成も隙が無いし、後ろのきな臭い各バンドメンバーの顔写真も雰囲気たっぷりで最高(大鷹さんのライナーだっけ、若き日のアートリンゼイを犯罪者みたいって)。

 

〇never lose that feeling

Club AC30のシューゲイザーカバーコンピ。これは割と新しいしシューゲイザー再評価という史実的な面からいったら間違いなくMorr MusicのBlue skied an’ clear(slowdiveトリビュート)を挙げるべきなんだろうけど、私はSwervedriverがフェイバリットだったので…。当時の気持ちを忘れるなよ、という矜持が込められているような気がしてこの作品がとても好きである。

 

 

ライブ告知もします。

〇10/5(土) 吉祥寺NEPO

カタカナ レコ発企画

〇10/12(土) 中野Bass on top

地底湖企画

〇11/3(日)大塚

秋のYOIMACHI

どういった経緯かは忘れたが、名古屋で一人暮らしを始めた9つ上の姉の家にいた。小学5年の話である。

コンポからものものしい重低音が鳴った。びっくりする私。

「何、これ…怖…」

「ボンジョビ」

姉は澄ました顔で答えた。程なくしてサビのハイトーンボイスとドラマチックなコーラスが流れ、思わず聴き入った。カッコいい…。

よくある、洋楽初体験というやつだ。今考えると件のバンドは全体的にバブルガム過ぎるし歌詞もどうかと思うが、それまでミスチルとB'zとテレビから流れるJ-POPしか聴いてこなかった自分には十分衝撃的だった。


導入からして脈絡がないが、THIS IS JAPANは背伸びして初めて聴いた洋楽、初めて字幕で観た洋画みたいなバンドだ。そしてそれをカッコつけて周りに喧伝したくなるような存在。「すげーカッコいいバンド見つけたんだよ。今度CD貸すよ」「録画した映画、うちで観ようよ」って。

初めて対バンしたのは6年前で、とにかく速くて、音がデカくて、カッコよかった。興奮して語彙がなくなって、それしか感想が出なかった。全く似通ってはいないが、ボンジョビを初めて聴いた時の気持ちになった。

後でお互いのバンドの年齢構成がほとんど一緒と知り、共同企画をしたり、企画に何度も呼んでもらったりした。ディスジャパはものすごい数のライブをこなし、次第にフェスに呼ばれるようになった。昨年一緒に出たコネクト歌舞伎町はとても楽しかった。

素晴らしいクオリティのアルバムを出し、破竹の勢いで遂にはフジロックにも出る彼らの活躍は嬉しいしほんの少し悔しくもある。オルタナティブの王道をゆく彼らと、教室の隅で誰に見せるでもないSF小説をせっせと書いているかのような我々のツーマン。光と影、陰と陽、タウンアンドカントリー、是非。

7/21(日)吉祥寺NEPO
Emily likes tennisプレゼンツ
“オートマチックアフィリエイトセミナーvol.3~令和の光~”
17:30OPEN 18:00START
adv:2500円+1order
出演:THIS IS JAPAN
Emily likes tennis

25年という歳月をどう思うか。その間ずっと順風満帆にいくことなどまずなく、むしろ多くの挫折を味わいながら少年は大人になり、壮年は老人になる。

 

当時6歳か7歳だった少年は、大人になった。

 

20歳で彗星の如く現れた青年は多くの人たちの神様となり、海を渡り、数々の金字塔を打ち立て、凡そ四半世紀を経て、再び私の前に降り立った。

 

 

「すまん、マジで外せない用事だから…やっと会えるんだ」

訝しがる同僚。内示も右から左に受け流し、部下に非礼を詫びて決算期の多忙極まる中、ほぼ定時でオフィスを抜け出した。水道橋までが、遠い。思わず駆け足になる。このままだと試合開始には間に合いそうにない。

 

23年か24年ぶりかな…」

 

 

関東の片田舎にある私の地元は、数年に一度、県営球場で西武主催のプロ野球の試合があった。95年の仰木監督の胴上げと、イチローの糸を引くようなライナーをテレビで見て以来、私はオリックスファンになった。そのイチローが、目と鼻の先にいる!試合そっちのけで、少年は瞬きすらもったいないかのようにイチローを目で追い続けた。一応、ニールの場外ホームランにも歓声をあげた。

 

当然の如く野球を始めた。神様と同じ右投げ左打ち。見よう見真似の振り子打法から始まり試行錯誤を繰り返し、最終的に何故か日高(オ→神)のフォームに近づいた。残念なことに自身の野球の才能はというと本当に箸にも棒にも掛からず、中学に上がる頃の将来の夢は「オリックスの球団通訳か球団職員」だった。プレイヤーとしての限界を悟っていたのだ。

 

オリックスはイチローがメジャーに行った頃から、信じられない暗黒時代に突入した。防御率1位の金田と具の二人で9勝止まりの貧打と思いきや、翌年チーム防御率が6近くになりダイエーに29点取られたりしていた(余談だがその頃一瞬だけダイエーに浮気しかけたものの、谷が全盛期だったのとブラウンとオーティズの守備が酷過ぎてネガポジ反転したなどの要因でオリックスファンに留まった)。それと同時に私自身も長いトンネルに潜り込んだ。クラスの人気者だったはずなのに、むしろ暗くなった。野球よりも音楽を聴く方が好きになった。

 

しかしイチローはメジャーで新人王を取ると、毎年当たり前の様に200安打以上を記録していた。そして私が高校1年のシーズンには、シスラーの記録すら塗り替えてしまった。その年、私が応援していたオリックスブルーウェーブは、消滅した。

 

大学に入ると、私はバンドに夢中になった。「僕の神様」カテゴリに、ケビンシールズとJマスシスが加わった。因みに2008年のフジロックも、かなりこの日と「近い気持ち」になった。そしてイチローは、気づいたら10年連続で200安打を達成していた。オリックスは、2位が一回あっただけで相変わらず毎年のように監督が代わっていた。


私が社会人になり数年で、イチローにもいくつもの分岐点が訪れた。マリナーズからヤンキースへ、ヤンキースからマーリンズへ、そして、再びマリナーズへ。因みにオリックスは実質優勝した年が一度あった。昨日のT-岡田のホームラン凄かったんだよ。

 

 

道中「僕とイチロー」のようなテーマで物思いに耽っていた。水道橋に着くや否や、全力ダッシュで東京ドームへと向かった。50メートル程で力尽きて早歩きに切り替えた。30歳、もう若くない。

 

ゲートをくぐると既に試合は2回の表に突入しており、満員の観衆とメジャーリーガー達が躍動していた。仲間と合流し席に着く。9番、ライトイチロー。まだ打席は回っていない。

 

どうなってしまうのだろう。昨年の5月以来の公式戦。オープン戦の絶不調もあり日に日に「引退試合」の見方が強まっていった。ヒーローは45歳になった。そもそも、現役としてグランドに立っていること自体奇跡である。

 

3回表。ネクストバッターズサークルにイチローが立った瞬間、無数のフラッシュが焚かれ、視界がぼやけていった。

 

神様に再会した感動と、終焉の雰囲気を何とか否定したい祈りのような悲痛な気持ちがごちゃ混ぜになった。地鳴りの様な歓声が鳴り響いている。

 

23年前と同じように身を乗り出して、瞬きすらせずに一挙手一投足を見つめた。ぼやけた光の先に、まばゆい光が見えた気がした。

 

イチローは2球目を打ち損じ、高いフライが上がった。永遠に、落ちてこなければよかった。

 

なぁ頼むよサービス監督、4打席はくれよな。イチローが此処にいるんだぜ。

 

3回の打者一巡の猛攻で5点取ったマリナーズ。4回には再び無死一塁でイチローに打席が回ってきた。

 

もう、ワクワクではなく、祈りだった。フルカウントからファールで粘るイチロー。最後は低い球を見送り、四球で出塁した。

 

「ナイセンッ!」

 

会社で出したことのないような大きな声を上げていた。まるで少年野球だ。その瞬間、何故か涙が溢れてきた。塁で躍動するイチローを見れるからだろうか、出塁により存在意義を見せたからだろうか。理由はわからない。

 

その後のことは正直あまり覚えておらず、4回裏の“思わせぶりな儀式”を呆然と見つめた後は、まんじりと乱打戦を眺めていた。「多分、自打球の大事をとったんですよ」と友人に苦しい解釈を披露した。

 

 

終わってしまうのだろうか。永遠なんてないからいつかは終わることはわかっているが、それを認めたくない気持ちと、どう終わっていくのだろう、どう終わればいいのだろうという何様とも言われかねない気持ちが一緒くたになっている。

 

ただ、どう終わろうが、打ち立てた数々の功績がなくなるわけではないし、私の神様はそのまま、変わらないのだろう。

 

 

告知を申し訳程度に載せます。Emily likes tennisGIG情報です。イチローに捧げる曲はありませんが、ヘルニアに苦しむ人に捧げる曲をやります。

3/24()新宿motion

TOKYO SWING SP.

OP/ST 17:30/18:00

Adv:¥2,2001D

出演:余命百年

Koochewsen

左右

宇宙団

ポップしなないで

Emily likes tennis