王冠1菊花賞馬王冠1


トーホウジャッカルラブラブ




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このトーホウジャッカルの栄冠までの
道のりを知り大ファンになりましたラブラブ









夏の到来を予感させるほどの

暑い陽射しが降り注ぐ東京競馬場。

13万人の競馬ファン集まったのは

2014年6月1日日曜日。

2011年生まれのトップホース18頭が

世代最強、競馬界最高栄誉、そして

競馬に生きるホースマンを虜にする

日本ダービーを迎えた。


その前日、遠く離れた京都競馬場で

ある一頭の馬がデビューを果たした。

馬の名前はトーホウジャッカル

デビューレースは3歳未勝利戦。

未勝利戦とはまさに字のごとく

勝ったことのない馬のレース。

結果は18頭中10着。惨敗だった。


一方日本ダービーを制し、

世代最強の称号を手に入れたのは

ワンアンドオンリー


土曜日に未勝利戦で10着の馬と

日曜日にダービーを制した馬。

148日後、この両馬が同じ大舞台に

立ち、立場が逆転することを

この時点で誰が想像できたのか。


トーホウジャッカルのデビューが

遅れたのは2歳夏に腸炎を患ったため。

若駒の体重は50キロ減り背骨が

浮き出ていた。

関係者は絶望の淵に立たされた。

クラシックなんてもってのほか。

競走馬にすらなれないかもしれない。


そんな心配を若駒は感じたのか。

強靭な生命力によって闘病生活に

打ち勝ち、デビューにこじつけた。

しかし勝てない日が続いた。

デビュー戦10着、2戦目は9着。

初めて先頭で駆け抜けたのは

3戦目、今から107日前の7月12日。


このときワンアンドオンリーは

放牧に出され涼しい北海道で

休息を取っていた。

トーホウジャッカルはひたすら

走った。京都・阪神・中京・小倉。


そして遂にダービー馬に挑戦する

チャンスが巡ってきた。


神戸新聞杯(GⅡ)


結果は3着だった。

惜しい競馬をした。

しかしダービー馬には勝てなかった。

相手馬は休み明けだったにも

関わらずだ。

奇跡の子はこのレースで何かを

感じたのかもしれない。


そしてリベンジマッチの時が来た。


菊花賞(GⅠ)


世代最強は奇跡の子の影すら

踏むことが出来なかった。

トーホウジャッカルがデビュー

した翌日に競馬界の中心にいた

ワンアンドオンリーを寄せ付けずの

圧巻のレコード勝ち。

風になびく金色のたてがみは

まるで自身の今日までのヒストリー、

昇り竜が舞い上がっていく

さまのようだった。


トーホウジャッカル。

生まれは2011年3月11日。

東日本大震災の日。

馬は地震が起きると産気づくのが

早まることが多い。

トーホウジャッカルの母馬はいつもは

産気づくのが遅れ気味。

しかし地震の影響か、この時は遅れる

ことがなかったという。

奇跡の子が日本競馬の主役となった。



ワンアンドオンリーと
トーホウジャッカル。

菊花賞で1勝1敗のタイ。

真の日本一を決めるべく

日本ダービーと同じ舞台

東京競馬場2400メートル

ジャパンカップでの頂上決戦か。

唯一無二の馬 VS  奇跡の子

戦いは始まったばかりだ。

【柳本 絵美】






 


12時間かかった初コラム(笑)爆弾

多少引用した部分もありますが

ご了承くださーい( ´ ▽ ` )ノラブラブ




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