(本体サイトで約7年前にUPした記事のリメイク版です)
私は愛知県の濃尾平野で生まれ育ち、今も在住しています。
何か用があって西に向かうときに愛知県と岐阜県、
または三重県との境になる木曽川を渡るのですが、
木曽川にかかる大きな橋を通るたびにいつも思うのです。
その昔、江戸幕府の命令とはいえ、遠く薩摩(鹿児島県)より
縁もゆかりもないこの地にやってきて、
命をかけて治水工事をした薩摩武士たちのことを。
かつて、木曽川・長良川・揖斐川と3つの大きな川筋は
ぐちゃぐちゃでした。
ひとたび大雨が降れば、それはすぐに水害となって
この地の人々を苦しめてきました。

木曽川文庫 に展示されている資料です。
3つの川がすっきりと流れている現代では考えられない昔の様子です。
水害の原因となるこの3つの川筋を整備する。
こんな大きな川、広い地域は、今だって難工事です。
江戸時代の後期。
現代のように重機も便利な道具も、ましてや計算する
コンピューターも無かった時代です。
遠く薩摩より徴集され、かかる費用も人員も道具も、
全て薩摩が負担。
さらに現地では、幕府の嫌がらせで薩摩藩士は
徹底して冷遇される。
それでも、薩摩藩家老の平田靱負(ゆきえ)公は
「この地で暮らす人々のために」
と藩士たちを説き伏せ、厳しく辛い状況の中で
ひたすら治水工事に邁進したのでした。

木曽川文庫より2kmほど北にある治水神社にて。
治水の重労働に苦しむ薩摩義士たちの像です。

現在の木曽川と、立田大橋です。
左手に見えるタワーは、国営木曽三川公園の展望台です。