『震災から5年、南三陸で考えたこと!』Emileのコラム147 | 地球村研究室

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厳しい地球環境制約の中で心豊かに暮らすには?沖永良部島で実践しながら考えたいと思っています!!

 4月末、沖永良部島での植樹祭、来年は住民一人1本の木を植える!是非実現に向けて進みたい。

 

酔庵塾の皆さんと!制服姿で。。。。

 

5月始めには、初めて南砺市の城端曳山祭りにお誘いを頂き、出掛けてきた。御神像を積んだ6基の曳山と庵屋台がなんともおおらかなペースで進んでゆく、所望所ごとに止まり、庵唄を歌い、また次の所望所で・・・威勢の良い祭りも素敵だが、なんとも優雅な歩みに心を癒される。

覚えていらっしゃるだろうか、1年前我が家にやってきたヤギのハンナ(今はお隣さんに嫁入り)、ついに母に!! 元気な子供を2匹生んで母子ともにいたって健康!!

 

 さて、東日本大震災から5年が過ぎた。あの長くて強烈な揺れとその後の津波の惨事は未だに脳裏から離れることはなく、かえって年を追うごとに鮮明になっているようにも思う。あの津波で最先端といわれた堤防やさまざまな防災テクノロジーはことごとく破壊され、われわれが創り上げてきたものが如何に自然の前では無力であるかを実感したのは私だけではなかったろう。

 あれから、テクノロジーのあり方を自分なりに考え続けてきた。無論テクノロジーは人を豊かにすることが絶対条件ではあるが、一方ではその豊かさとは何か?それが今問われているのだと思う。利便性だけを追求するテクノロジーは人と自然やコミュニティーの関わりを切ってしまう。それが、核家族化や孤独死、女性の就労、子育てなどにも大きな影響を与えていることは間違いのないことだろう。では、テクノロジーを否定して昔に戻ればよいのか?残念ながら、人は一度得た快適性や利便性を容易に放棄できない欲の構造(生活価値の不可逆性)を持っており、それも簡単ではない。

では、求められる新しいテクノロジーのかたちとは何か?津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町でその試みの一つが始まった。住民が参加しなければ動かないごみ処理施設(BIO ㈱アミタ・バイオガス施設)である。現在の南三陸町は人口約12000人、震災で下水処理網を完全に破壊され合併浄化槽で対応している。またごみ処理は石巻市に委託、その費用や焼却灰の引き取りなど大きな問題となっていた。㈱アミタが考えたのは、ごみの内の生ごみだけを住民に分別してもらい、生ごみと合併浄化槽の汚泥を回収、醗酵させ、バイオガスと液肥に変換しようというアイデアである。バイオガスシステムに分別場は無い、住民の分別レベルが低ければこのシステムは動かないのである。

http://www.amita-net.co.jp/strategy/recycle/minamisanriku-bio.html

 3年前、1つの集落で分別実験が始まった。最初は全くだめだった分別レベルが日を追うごとに上がり、2週間もしないうちに完璧な分別を行ってもらえるようになったという。そして、分別した生ごみからバイオガスが炎を上げ、そこから生まれる液肥に住民の皆さんが見せた笑顔はとても充実しているようにも見えた。

 昨年の10月末、システムが完成し、いよいよ全住民を対象とした実証実験が始まった。一抹の不安もあったものの、それから半年、幸いなことに分別は99%近いレベルで継続し、年間4500tの液肥とバイオガス発電による21.9Kwhの電気が生まれる予定である。4月初旬、南三陸町で森里川海をつなぐテクノロジーが存在できることを多くの方に見ていただくためにシンポジウムが開催された。霞が関のお役人は無論、国内外から遠くの方々に参加頂いた。ミクロネシアのパラオ共和国では、早速のこのシステムの導入が検討されているという。

 今まで、ごみは出しておけば、誰かが持っていってくれ、知らないところで処分してくれるのが当たり前だった。水分が80%以上もあるごみを、大量の燃料を使って燃やし、大量の二酸化炭素を放出し、その焼却灰を埋める場所を求めてあちらこちらで訴訟が起こっている。これが、最先端文明といえるのだろうか? あらかじめ自分たちが出すごみを分別するだけでそれがエネルギーを生み出し、液肥は畑を豊かにする。

震災があった地域だから出来たことだろうか?そうは思わない。自分の暮らしに責任を持つことは誰にとっても素敵なことなのではないのだろうか?そして、たったそれだけのことで、従来に比べて建設費も維持費も圧倒的に安いシステムが動くのである。これは間違いなく、人をつなぎコミュニティーを創りだすテクノロジーであり、『間』を埋めるテクノロジーの一例なのだと思う。

 

 シンポジウムでは、すばらしい話もたくさん伺った。牡蠣業者の後藤清弘さんは、震災で船も漁具も自宅もすべて失った。その中で自然と正対することを改めて考え直したのだという。今までは、収量を上げるために、出来るだけ多くの牡蠣を、人よりも少しでもたくさんの牡蠣をと、密集させて養殖していたという。震災を経験して、牡蛎が湾を流れる海流をゆりかごにして、しっかり育つように、養殖密度を下げるために養殖量を1/3に減らした。その一方では、本当に育つのだろうか・・・それで暮らして行けるのだろうかと、眠れない日も続いたという。そして今、自然がその答えを出してくれた。何と、今まで収穫するのに3年かかったものが1年で収穫できるようになったという。そのカキを食べさせて頂いた。殻一杯に詰まった牡蛎は、プリプリして海の香りを濃く残し、まさに海の濃厚なミルクを感じさせてくれた。嬉しいことがさらに続いたという、養殖量が減ったので、作業量も少なくなり、朝早くから日没後まで休みなく働いていた生活から、日曜休日の生活に変化できたという。週末は家族でのんびりできるんです・・・・そういう清弘さんの日に焼けた顔が本当にうれしそうに緩んだ。

 今、牡蛎は養殖のエコラベルASCを日本で最初に取得することになり、『戸倉っこかき』としてブランド化し、市場からの評価も高いという。自然の恵みを頂く、自然と正対するということを改めて考えさせられ、教えて頂いたように思う。無農薬の米を作り、地域の活性化に奔走する人たちなど・・・・ 震災が色々なものの価値を改めて考えさせてくれた結果なのだろう。でも、震災が起こらないとこのような変化は生まれないのかという疑問も同時に生まれてくる。もちろん、そんなことは無いとは思うものの、どうやって多くの方々に気づいて、そして変化してもらうのか、そんな仕掛けを考えるのも僕たちの仕事だと思っている。