✅ 庭の「ホルト」の木、台風で倒れ、道端に放置され、虫に食われて枯死状態だったものを、ひょっとしてと、庭に植えて11年になる。息を吹き返し、庭に素敵な日陰をつくってくれるまでに成長したが、最近急に元気がなくなってきた。枯れた部分を切り落とし、枝には薬剤を撒いてみたが・・・・ 何とか元気になって欲しい・・・
✅ コラム269
戦前の日本では、人の年齢は「数え」で加算されていた。冬に枯れた草も、翌春には新たに芽吹き、あたかも毎年、生死を繰り返しているように映る。新年を迎えるたびに人々が年を取るという「数え」は、まさにこの自然の繰り返しの営みを映していたのだろう。
「青春」とは15歳から30歳までを指し、草木に例えれば、新芽が伸びる季節に相当するこの時期が「青」(緑)とされることに由来するらしい。50歳代前半にかけての時期は「朱夏」と呼ばれる。強い日差しを受けて草木が最も成長する時期である。その後、60代前半にかけては「白秋」である。収穫を終えた田畑に「あき(空き)」が目立ち始め、一方収穫物が世に「あき(飽き)」るほど出回る季節でもある。そして60代後半以降、死を迎えるまでの時期、人生の最後に訪れるのが「玄冬」である。植物を含む多くの生物が活動を抑える季節である。
日本人はこの生の循環をどのように捉えてきたのだろうか。 哲学者の山折哲雄さんは、日本列島が三層構造で出来上がっているといった。森林山岳社会、稲作農耕社会、そして近代工業社会である。そして、この列島形成性の重層性が、そのまま我々の意識と感覚に重要な性格を刻み込んだという。深層における縄文文化、中層における弥生文化、そして表層における近代的な意識や価値観である。そしてこの風土と意識に関わる三層構造は、2011年の「東日本大震災」のような危機に際して、柔軟な対応を可能にし、いつ起こるかもしれない自然の脅威と、それによって発生する不条理な死を忍耐強く受容する態度を生み出した。
自然科学者であり文学者でもあった寺田寅彦は、数限りない地震や風水による災害をくぐり抜けることで、日本には「天然の無常」という感覚がつくりあげられたとも言っている。「無常」というのは釈迦が考えたもので、この地上に永遠なものは一つもない、形あるものは必ず滅び、人はやがて必ず死ぬ、というのだが、それは日本の風土の中で大きな変容を遂げた。我々を取り巻く自然界には四季の巡りによる蘇りと循環の無常が息づいている。春に花が咲き、秋には紅葉と落葉、そして冬になって木枯らしが吹く。けれども年を越せばまた春が来る。そのようなあらゆる自然の循環が生きる支えになり、ねばり強く、柔らかな、たおやめぶりの忍耐力が芽生え、やがて近づいてくる死の影、死の訪れを静かに受容して土に帰る、自然に帰一する、そういう感覚が発達したのだ。
「青春」から「玄冬」までの年を重ねる間に、縄文文化、弥生文化、そして近代的な意識や価値観の間を縦横に紡ぐことで、長年の経験に裏打ちされて身についた「たしなみ」が、人としての「成熟」につながるとすれば、老境を迎えることは忌むべきことではなく、むしろ誇るべき到達点であるといってもよいだろう。
最近20代の若者に終活ブームが到来しているという。それは「残りの人生でしたいことを明確にできる」「持ち物の整理ができる」「ライフプランを見直すきっかけになる」 との事だが、そこには、思考を飛び越して答えだけを求める最近の急激な変化を垣間見る。 20代に限ったことではない、多くの人たちが重箱の形がどんなものかには興味なく(見えず)、重箱の隅ばかりつついている、特に自然から距離の遠い人たちにその傾向が顕著だ。
AI(人工知能)に質問すれば、すぐに答えが返ってくることに慣れすぎているからなのだろうか、そんな時代が当たり前だと思っているからなのだろうか。考えることを止めれば、人や自然に寄り添うことはできぬ、無論「たしなみ」につながる智慧や技も育つことはない。考えることの繰り返しが人を育て社会を創り、その土台が自然なのだ。
我々は自然なくして生きては行けない、どんなに科学が発展しても、それは縄文の太古から何も変化していない。「自然に生かされていることを知り、自然を活かし、自然を往なす」ことが生きる基本であり、その上に弥生的文化、近代文化が子亀、孫亀のようにのっかっているのだ。そして今、親亀こければ、皆こけるという危うい状態にあるのだ。
沖永良部島で暮らしていて、島のお爺やお婆は、本当に凄いと思う。物知りで、いくつもの技を持ち、笑顔に満ち溢れている、生きる術をたんまりと持っているのだ。 この混沌としている時代、大事なことはAIではなくGI(爺・婆 イノベーター(改革者))なのだとつくづく思う・・・・









