昨日までSuMPOの会員の皆さんの島合宿、手術明けで膝の調子が今3つの中、色々と御迷惑をお掛けしながらも素敵な時間を頂いた! 酔庵塾の皆さんには、庭の芝刈や草抜きまでやって頂き、皆さんをお迎えすることが出来、心から感謝!! 気になっていた庭のバナナの収穫も会員の皆さんにお手伝い頂き、やれやれ・・・ さてこのバナナ、早速箱詰めして、どこへ行くのでしょう(笑い)
8月23日に、江戸学の田中優子さん(法政大学前総長)と鼎談の機会を頂き、明日9日は、(伊勢)神宮の神官で式年遷宮を取り仕切られた吉川竜実さんとの対談が島で予定されている、吉川さんも江戸学に精通されている方で、縄文から江戸時代にかけての日本人の心の文化の変遷のような話が出来ればとワクワクである。このあたりのことは一度纏めてコラムに出来ればと思っている。
8月6日、広島平和式典こども代表「平和の誓い」からの抜粋である。『今もなお、世界では戦争が続いています。79年前と同じように、生きたくても生きることが出来なかった人たち、明日を共に過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。本当にこのままでよいのでしょうか。願うだけでは、平和はおとずれません。色鮮やかな日常を守り、平和をつくって行くのは私たちです。』
第二次世界大戦を経て、もう二度と戦争は行わないと誓ってつくった国連はどうして機能しなくなったのだろうか。何故、膨大なお金を消費し、何の得も生みださない戦争を21世紀になっても続けるのだろうか。子供たちの誓いを聴きながら、あらためて考えさせられた。
久々に世界史年表を拡げてみた。紀元前後から、世界で多くの国が生まれては消え、また新たに生まれ、そして、それには必ずと言ってよいほど戦争が原理となった。その中でも圧倒的な歴史を持つ国は日本を除き、一千年以上続いたビザンツ帝国(東ローマ)のみでそれ以外の多くの国は数十年から数百年の歴史しか持っていない。こうして観ると、人類の歴史は殺戮と奪取のようにも見えてくる。
一方で、戦争は折々に新しい技術を生み出してきた。青銅から鉄の武器へ、火薬、自動車、戦車、船、飛行機、原子爆弾・・・ 技術の発達は戦争と権力者のためであり、後々その恩恵が庶民に還元された。電気モーターが洗濯機を、通信機がラジオやテレビを、軍用車が大衆車を生み出した。
戦争を繰り返すこと、そして技術が利便性を生み出す事、これは主体が異なるだけで、共に欲望の発散という点では同意ではないかと思う。違いは前者が王や権力者の為であり、後者が生活者の為であることだ。
今、権力者によるポピュリズムが世界を席巻し始めている。それ自体極めて危険だと思うが、科学技術の発達が何の疑問も持たず「善」だと信じている生活者の在り方そのものも極めて危険な状態にある。確かに技術の発展は生活を豊かにしてきた、しかし日本では,1980年代中頃から「もの」の豊かさより「心」の豊かさへ暮らしの価値が大きく変わった。にもかかわらず、暮らしの中には「もの」が溢れ、もう充分だと言っているのに相変わらず、これでもかと言わんばかりである。
そして、それが未来への危機を生み出した。例えば、SNSなどの通信に関わる世界のデータセンターの消費電力は2018年から30年の間に少なくとも17倍になるという。それは日本の年間電力消費量の3.2倍に相当する。当然大量のCO2を排出するが、こんなことには一切触れず、一方では地球温暖化問題を高らかと謳いあげる・・・・そんな矛盾があちこちで起きている。無論、メリットの部分だけを強調する企業やメディアにも責任は有るが、生活者自身が技術に対して疑問を抱かず、一方的に与えられるものと思っているところにも大きな問題がある。それどころか、技術は、本来道具であり、それを使いこなす責任が人間側にあるにもかかわらず、(知らず知らずのうちに)人間が逆に技術に使われている―科学技術の言いなりになる―ことも多くなってきた。人間を超えるAI、遺伝子操作、体細胞からクローン、1秒で映画をダウンロードできるSNS・・・どれもがバラ色の未来を創る・・・それは本当なのか? 電車に乗るとほぼ皆が四角いスマートフォーンの画面を食い入るように見ている、どう見ても、科学技術の僕に見える。
先端技術を否定しているのではない、我々は、与えられるのではなく、自らの判断で技術を、否、あらゆるものを選ぶ「意志」が求められているのだ。
そもそも、ちょっとした利便性やメディアの甘い言葉に煽られて、あれも、これも買い漁り、そのための装置はすべて地下資源から出来ていることも、使う時にも大量の地下エネルギーを消費することも気に留めず、その結果、自分で自分の首を絞めるという地球環境問題を生んでしまったのだ。
判断を企業やメディアに、ましてAIに一方的に任せることは避けなければならない。
この欲望の発散を収束へ向かわせること、これは、もう一つの戦争だ、だが、この戦争は破壊や焦土を生み出すものでは無い、色鮮やかな日常を育む、確かな未来を生み出す戦争なのだ。
本当にそれは必要なのか? 自分の「意志」が問われる時代なのだ!!