✅ 今日は、ワラサと解禁になったイセエビ、そして縄文牛のモモ肉のCarne alla Pizzaiolaです!!

✅ Emileのコラム 273
「ギルガメッシュ叙事詩」(BC30世紀頃)、旧約聖書の出エジプトヨシア記(BC15世紀ごろ)他、神話や伝承には数多記載があるが、公式な最古級の戦争の記録は、BC1479年のメギドの戦い(エジプト新王国トトメス3世とカナン連合軍の戦い)、あるいは古代エジプトとヒッタイト帝国間で行われた「ガデシュの戦い」(BC1286-74)らしい。それから現在まで、世界のどこかで休む間もなく戦争が続いている。
ロシア・ウクライナ戦争では、この4年間(2022-26)で40-55万人の死者(民間を含む)を出し、ロシア側の戦費は約43兆円/年、政府支出の40%が使われたことになる。その結果、累計温室効果ガス排出量はCO2換算で約3.11億tにも上るという。これはフランスの年間排出量に相当し、日本の年間排出量の約1/3に相当する。何故これほど大量の温室効果ガスを排出するのか、それは、インフラ破壊、大量の燃料消費、火災が同時に発生するためである。
そして戦争の究極の兵器が「核」である。広島に投下された核爆弾(15kt)では14万人が即死し、総死者は20万人規模(放射線障害等)に及ぶが、現代の標準的戦術核(100Kt)が現代の都市に落ちれば、即死者50-100万人、総死者数は100-200万人、戦略核(1Mt)なら、即死者100-300万人、総死者300-500万人以上になるという。復興には20-50年の超長期の時間と数百兆円の費用も必要だ。日本のような都市集中型国家では、国家経済に致命的な打撃となるだろう。また、核爆発後の火災は「火災旋風」を引き起こし、数億トンのCO2を排出する。
日本は1967年に佐藤栄作内閣が表明した「非核三原則(持たず、作らず、持ち込ませず)を堅持」しつつ、「米国の核抑止力に依存する」という二重構造を持ち続けてきたが、最近の政府の言動を見るに、聊か危うい兆候も見えてきた。そもそも核は抑止力になるのだろうか? 米ソ冷戦時代はその効果があったのかもしれないが、すでに9か国で現役核弾頭総数9.615発保有の時代にそれは難しい。湯埼前広島県知事は、「抑止は決して対等な武器を持つことではない、核抑止は「恐怖の均衡」であり、平和の仕組みではなく、核抑止はフィクションである」という。今年の広島平和記念式典では、小学6年生が平和の誓いで「平和とは誰かから与えられるものではなく、世界の人々と自分たちで創り上げるもの」と述べ、横田知事は「核兵器により、すべてを破壊することに何の意味があるのか? 人間同士が支えあう精神こそが重要」と話した。
もう一度考えてみよう、戦争とは何か? 無論、戦争は単一原因ではなく、複合現象ではあるが、その原点は「政治的闘争」である。それは、内/外集団のバイアスによる心理的な問題、集団間暴力の歴史性、資源・土地・食料などの社会構造、政治目的(暴力の独占)、安全保障のジレンマが主な要因だろうが、その目的は自国を守るためであり、自国民の幸福を守ることである(自らの幸福しか考えていない指導者もいるが…)。 それならば、国家を疲弊される武力闘争以外にも解決の方法はあるはずだ。
日本は世界で唯一の被爆国である。今尚、多くの方が苦しんでいる現実もある。沖縄戦では県民の25%を戦争で失った。戦争や核の悲惨さを知っているからこそ、その無意味さを、そして平和の価値観を心に刻み付けているともいえるのだと思う。
日本人は、世界で唯一、1万年以上も戦争の無い文明を持ち(縄文時代)、そのDNAをしっかりと持ち続けているのだ。戦争は苦しみや悲しみ以外何も生まない、誰も得をすることもない、それどころか一瞬にして文明を崩壊させる力さえ持っている。 平和は決して戦争で得られるものでないことは歴史が明らかにしている。 二度の世界大戦を経て、多くの国は自国第一主義と決別した。 自国の権利行使と自国易の追求を抑制して、そうやって「浮いた」国権と国富の一部を国際的な機関に供託して、世界的なスケールの「公共」を立ち上げ、それによって国際秩序を維持するという方向を目指した(例えば国連)。
沖永良部島の多くの人たちは、島の暮らしが幸せだと思っている、それは自然とコミュニティーがしっかりしているからだ。コミュニティーは公共が前提である、もう一度世界のコミュニティーをつくることは不可能だろうか? 人は一人では生きられない、だからこそコミュニティーが生まれた。コミュニティーとは助け合い、笑顔が生まれるエンジンだと思う。今こそ、あらためて未来の子供達へどのようなバトンが手渡せるのか、考えてみる時なのでは…・