✅ 兵庫県の豊岡からセコガニ(ズワイガニの雌)が届いた。ズワイガニの資源量を守るため、漁期は11月からたったの2か月間しかない(ズワイガニの約半分)。外子と内子の濃厚な卵の味をご近所にも楽しんで頂いた! 感謝、感謝!! そして秋の終わりを教えてくれる雲、沖永良部島の冬が始まります!!
✅ コラム264
IMD「国際競争力ランキング」が世界1位から下がり始めた1994年を起点とした日本経済の長期低迷が30年を超えた(2024年38位)。1985年「プラザ合意」を受け、米国政府からの要請で、日本の内需拡大や貿易黒字解消のため金利を下げ、円を急騰させた86年、資産バブルが始まる。89年日本政府は金融機関に貸出総額を制限する「総量規制」を導入、バブル経済に針を刺した。その結果、不動産価格は急落、住宅購入者にローンを提供する住宅金融専門会社(住専)は多額の不良債権を抱えるが、政府(国会)は自己責任論と親会社にあたる銀行の責任として支援を見送ったことでバブルの損失は肥大化した。日本の金融機関は自己資本率を限度内に保つため「貸し渋り」「貸しはがし」に動き出し、国内経済に大きな打撃を与え、97年北海道拓殖銀行、98年山一證券が破綻した。政府は公的資金の注入など大胆な支援策を打ち出すべきだったが、そうした政策が後手に回ったことが「失われた30年」をもたらすことになった。さらに、2008年のリーマンショック、11年の東日本大震災なども景気後退に大きく影響した。
その後、政府はデフレからの脱却や物価と賃金の上昇を目指したものの、その成果はほとんど見られない。日本の政治機構は大胆な政策転換やパラダイムシフトを行うことが出来ず、問題が発覚したことは理解しつつも、それを検証し十分な対策を講じることが出来ていない。欧米主要国では、長期的、戦略的に国家経営を担う「Statecraft(ステートクラフト)」と呼ばれる機能が存在するが、そうした機能が30年にわたり欠如していたことが最大の問題ではないかとも言われている。
では、こうした問題が日本だけに顕著かと言えば、少なくともこの数年の世界の変化を見ているとステートクラフトが本当に機能しているのかと思ってしまう事象が顕著に増加しているように見える。EUでは短期的な視点で民衆を煽るポピュリズム極右政党があちらこちらで台頭し、EUそのものの機能が急速に劣化している。アメリカ、ロシア、中国・・・は自国ファーストを声高らかに宣言し国際協調を蔑ろにしている。世界のあちらこちらで戦争が勃発し、アメリカもそれを抑えられない状態が続き、その権威は急落している。
もう少し大きな視点で見てみよう。7万年前、ヒトは脳の発育が遅れるという突然変異の結果、複雑な構造の言葉をしゃべることが出来るようになり、未来を創造することが可能になった(心のビッグバン)。真に現代的な行動をとる最初のホモサピエンスが誕生したともいえる。全く前例のない能力を備えた人間は一気に支配的な種になる準備を整えた。それから現代まで世界はどう変わったのだろうか? テクノロジーは急速に進歩し、宇宙にまで出かけることが出来る日も近いという。一方で、この間ずっとヒトは戦争ばかりしていることも事実だ。では、何のために戦争するのか? それは豊かに暮らすために資源が必要であることに尽きる。古くは奴隷という労働資源を、中世になると石炭などのエネルギー資源を、近世では半導体の原料になるレアメタルや石油エネルギーを求めた。
要するに、豊かであるためには資源の搾取が不可避であり、その結果としての商流が資本主義を生み出した。これこそが、環境と経済が両立しないという原理なのだ。現在の延長に持続可能な社会が存在しない原理ともいえる。
この思考の原点は二元論である。旧約聖書の第1章には「すべてのものを律せよ、空のもの、海のもの、陸のもの」とある。神のしもべである人間は自然を自分の足元に置いたのだ。自然を征服し食い散らすことが正義となった。
この2000年間、二元論的世界観で自然を搾取(支配)することで物質的な豊かさを謳歌してきた。自然の修復能力を超えた過剰な自然の搾取によって、地球環境問題がままならぬところまで人間を追い込み、搾取することによってのみ循環していた経済が停滞し、自国第一主義に逃げ込み始めたが、これは理性のさらなる退行を加速した。このままでは、現在の延長に未来の子供たちの笑顔は無い!
では、ヒトはどこへ向かうべきなのか? それは、自然を搾取するのではなく、寄り添うことを起源とする日本の基層(一元論)文化であり、それが世界の憧れの未来だと思う。
沖永良部島(奄美群島)の文化が日本の基層文化を主なものとしていることは確かで、世界が憧れる未来がすでにこの島にあるのだ!! この文化を大事に、さらに未来の子供たちに手渡すためには、どのようにブラッシュアップすればよいのか? 新しい年に向けて、じっくりと考えたい、そして考えてほしいと思う。

