日々、見過ごしそうな心の動きを注視するクセがついた。

 

モヤモヤをネガティブとカテゴライズして蓋をするんじゃなくて、

そんな自分も認めたうえで掘り下げてみる。

 

昨日のなんでもないような場面

同じ立場で働いているのになんでも聞いてくる、

寄りかかってくる人に感じた。

「自分で考えればええやん」

みたいなこと。

 

別に怒ることでもなかったので普通に説明しながら作業した。

 

以前は腹立ってたけど、今はそうでもない。

もっと以前は、無意識にキツい対応してしまっていたと思う。

怒りを感じているのに、自分で抑え込むから余計に怒り倍増してた。

それを人にぶつけてた。

ぶつけるのを抑えるつもりで、ダダ漏れだった。


 

 なぜ怒ってたのか?

責められるべきことだと思っていたから。

べったり寄りかかる姿に嫌悪を感じてたから。

自分も人に依存してたから、自分のダメなところを見せられて過剰に反応してた。

それを経て、自らの力に頼ることの楽しさを知っていった。

 

目の前の相手がたとえそうだとしても、別に悪いことではまったくない。

協力し合えばいい。

 

なのに?

 

 

 

 

思い当たったのは、

自分に負担がかかるからという、

持ち前のケチ根性だった。

 

あんまり認めたくなかったよね。笑

 

「私もやってるんだから、ほかの人もみんな頑張るべき」

という信仰。

 

 

今までそういうのやり過ぎて、こんな私になった。

ケチ守りし過ぎて人をジャッジしてしまってた。

自分で人間関係をギスギスさせてたよね。

 

 

そしてどうするか決めた。

そういう時は、チャンスだと捉えて、

「私がやったるわ」という寛容性に変換していこうと決めた。

 

もちろん、それがとても嫌なことならしないけど、

幸いなことに好きなお仕事をさせてもらっている。

 

 

相手のためでも会社のためでもなく、

自分の器を広げるために。

寛容な心を育てるために。

この場で自分を表現するために。

 

 

自分のために、今日を生きる。