人に対するジャッジを仮面の下に隠している自分を見つけて、
その課題をずっと考えてた。
ジャッジする点は自分のこと、自分を見ている。
どうしても自分のことだとしか結論つかなくて、でもそれがどうしても嫌で。
グズグズしてたら、ある日ノートに気持ちが溢れ出た。
めっちゃ悪口がとめどなく出てきた。
自分に対する悪態。
これでもかこれでもかーってくらい書けた。
意外なことに、なんだかスッキリした。
もうこれ以上ないくらいいくとこまで行ってから、なんかそれでもまあいいかあと思えた。
別に嫌いでもいいや。
嫌われてもいい。
変な話、自分に嫌われてももうそんでいいやという
そんな気持ちになった。
そうしてもう一度ノート見返したら、日常のいろんなところで顔を出す他人へのジャッジの正体がくっきり見えた。
身体と心で腑に落ちた自己蔑視。
さてそして、どうするか?
さて、そんな自分を受け入れるか否か。
誰かの言葉も導きも見本も、今まで聞いたことすべて関係ない。
自分がどう決めるか?
考えた。
勇気を出して決めた。
よし、許そう。
たとえ嫌いでもいい。いくら責めてもいい。
今まで自我エゴが満足するやり方で必死で進んできた。
そしてそれがこんなに辛いことだと体丸ごとで知った。
だからいいんだ。
そう心が思えた。
自分の心からの決断が、こんなにエネルギーが湧いてくることだって
初めて知った。