モーグルの伊藤みき選手の引退。

彼女と初めて会ったのはソチ五輪の前のシーズン、JISSの食堂で、はじめまして!!

の所から話をするようになり、ウィンターの他競技で友人があまりいなかった私は友達になれたことがまずとても嬉しかった。
しかも!有名な伊藤みき選手!!私なんかが話していいの?って興奮&ミーハー&恐縮があって敬語からなかなかタメ語にならなかったのを覚えています。

そして同シーズン、オーレのワールドカップでたまたま同日同場所でモーグルとアルペンスキーが試合開催をしており、
私が0.05秒で2本目に進めず部屋で1人落ち込んでいたんですが、
ふと!近くで開催されているモーグルを見に行ったところ、みきちゃんは準決勝まで勝ち進んでいて、
目の前で日本人選手がワールドカップ4位になる姿を見て、
自分の落ち込みなんて忘れ、大興奮し、
自分自身も世界で活躍する姿を夢見ました。


そんな彼女とさらに親交が深まったのは、
お互いに前十字靭帯を断裂した、2013年の12月。

ソチ五輪開催2ヶ月前の事です。

私が中国で前十字靭帯、内側側副靭帯、断裂の怪我を負った2日後、彼女はフィンランドで全く同じ怪我をしました。

その頃、私の年齢は30歳。
心技体ともに、最高に良いパフォーマンスをしていて、振り返ると選手としてのピークだったと思います。
あの頃の滑りが出来れば、ワールドカップでは良い場所で戦えたと今でも思っています。
(優勝は無理かな…。入賞はワンチャンあったかも笑)所詮たられば…笑


そんなこんなで復帰のためのリハビリや情報共有など毎日のように連絡取り合いました。

こんな方法が膝に良いらしい!とか、このサプリ、腫れに良い!とか、とにかく膝の治癒に良いことは全て試しました。
今では笑い話ですが、ドロを飲んだりもしました。笑

私は五輪内定はしていなかったので、
前十字靭帯が切れたままワールドカップに復帰したが、思うように滑ることが出来ず、そのまま五輪レースから敗退。

彼女は前年の世界選手権で銀メダルを取って、五輪内定をしていたので
ソチ五輪まで手術せずにリハビリと練習を繰り返し本番に挑んだが、
本番ウォームアップで膝を更にいため、欠場し帰国。

テレビで見た彼女の姿は今でも鮮明に覚えている。
その頃、ネット内ではそんな彼女のことをバッシングする人も少なくなかった。
その時の心の傷は計り知れなかったと思ってます。

前年度、世界選手権でメダルを取り、れっきとした日本のエースとして五輪ではメダルに手がかかっていたかもしれない中、
怪我をしてしまい最終的にはそれ以上に辛い思いをする。

彼女の心中は絶対誰にも計り知れない。

しかし、私を常に励ましプッシュし続けてくれて、彼女のパワーを見て頑張ろうと思い、
私は30歳から更に4年間スキーを続け、
33歳で世界選手権に出場、
34歳でワールドカップにも復帰、
平昌五輪には行けませんでしたが、
アルペンスキー日本人女子最年長まで
非常に中身の濃い内容でスキーを取り組めた。

これは紛れもなく伊藤みきのおかげでもある。

そして彼女自身、あれから5年間、戦い続けた。
惜しくもあと一歩で五輪出場には至らなかったけれど、モーグルスキーヤー伊藤みきを全うした。

何度も何度も辛く悲しい思いをしたことか。
それでも伊藤みきは自分の道を突き進みやりきった。

平昌五輪出場を逃した時、
トリノ、バンクーバー、ソチ、平昌と色んな想いが出来た。
と発言した彼女の言葉が印象的だった。
強い選手、凄い人だからこその言葉に尊敬の念に堪えなかった。


最後に今シーズン、彼女が出場したワールドカップを観戦に行くことができた。

とても良い表情だった。
会場で1番輝いていた。



昨年、五輪選考レースである全日本選手権で勝てなかった翌日、家にご飯を食べに来てくれて私を励ましてくれた。

そして、私の引退レースの阿寒にも来てくれた。

伊藤みき引退の発表の日一緒にいられた。

常に私を温かくしてくれた。
嬉しかった。

全日本選手権の翌日


私の引退レース


みきちゃん引退発表の昨日。


これからまた新たな挑戦、これから始まる新しい日々を楽しんでほしいし、
お互いの人生の様々な出来事の共有がまた楽しみ!!

伊藤みきのこれからの人生に幸あれ。
信頼。尊敬。感謝。
Congratulations!!!!