前回のロンドンオリンピックの後の話です。

冬シーズン目前に迫った11月、私はオーストリアにて雪上トレーニング中に転倒し、
右足の内側側副靱帯損傷と骨挫傷の怪我をおい、日本にてリハビリを余儀なくされました。

前の年にワールドカップで2本目に進出出来るようになり、これからという時の怪我だったのでとても悔しく、悲しく、そして1日でも早く復帰をするんだという気持ちで、JISSにてリハビリに取り組んでいました。

そんなリハビリ中に1人の女子選手に出会いました。
その出会いは私のその後の人生に大きな影響を与えてくれた大事な出会いとなり、
今考えると、その時の怪我には感謝してもいいかもしれません。

その選手はつい数ヶ月前のロンドン五輪にてテレビの中で見た、
私からしたら雲の上の存在に値する選手で、
尚且つ笑わない女王という名をつけられるほどの強気な人。
なのかな…と思っていたが、
実際にJISSで見る彼女はいつもニコニコしていて、気さくで可愛らしく、素敵な雰囲気をもっていたので、
報道される姿と実際は違うんだな。
なんて思いながら、初めはリハビリ室で挨拶くらいしかしない仲でしたが、自然と仲良くなり、たくさん会話をするようになりました。

ロンドン五輪では大きな期待を背負うも、初戦敗退という結果に彼女自身、選手としての限界だと感じ引退を考えたそうです。

しかし話を聞くと、まず前十字靭帯が切れっぱなしでロンドン五輪まで1年弱戦ったとのこと。
もちろん、ロンドン五輪でも切れたまま出場。
その上、ハムストリングの肉離れや様々な二次損傷を負い、完璧な状態とは程遠かった。

いやいや、それでまず日本で1位になる時点で凄すぎるよ…。
ボロボロの身体で戦ったことが勝ち負けではなく、まず何よりも凄いこと。
そして当時の彼女は23歳。年齢的にも可能性的にもまだまだ伸び代だらけ。むしろ私自身伸び代だらけと(私は29歳)思っていたので、
そんな身体で限界という言葉は間違っている。
ということを軽くかなー?笑いながら話した記憶があります。
実際はおこがましいよね。何様だって言われてもしょうがないと思ったんですが、
彼女は日本の宝。

その宝を無くすわけにはいかないよね。

その時から互いの競技の話や、食べ物の話、6歳も歳が離れてるのに、いつでも励ましあい、今日まできています。
特に私は彼女の戦う姿に何度も何度もパワーを貰い、現在まで選手を続けることが出来ています。

そんな彼女が自分の意志で1つずつやるべきことを積み重ね、掴んだ3度目の五輪。
現地時間の今日、リオオリンピックに挑みます。

彼女を見ていて私は思います。

結果が人生を変えるのではない。
結果出すためにしてきた努力や歩んだ道のりが人生を変えていくのだと。

そしてその姿勢がたくさんの人を惹きつけ、愛される人間になっていくのではないかと。
中村選手の人間力ですよね。
彼女は尊敬すべき大好きな選手で、私の誇りです。
いや日本の誇りですね。

本人が満足のいく結果になりますように。
今日はテレビに張り付いて応援します。